留学時代の出来事
2011年 06月 14日
私が北京に留学したのは1990年だったが、ある時、学校側がビデオを見せてくれた。なんだかビデオを見るってよ、という話が留学生仲間に口づてに伝わってきて、希望する生徒たちは課外の時間に、三々五々、娯楽室へと集まった。 ビデオは前の年に起きた事件を報道した中国のテレビ番組だった。日本人留学生たちは皆、先生たちがそのビデオを見せた意味をなんとなくわかっていた。中国ではこういうふうに報道されたんですよ、ということをただ伝えたかったのだと。私たちにビデオを見せてくれた目的を直接的に説明されたわけではないし、留学生同士で突っ込んで話し合ったわけでもないのに、なぜか、皆それを暗黙のうちに知っていた。ビデオを見せた先生たちと私たち日本人留学生は、それを通して、言葉にはできないある種の痛みを共有したのだ。
ところが、これは後から聞いた話なのだが、欧米人のグループはビデオを見た後、大変怒っていたそうだ。何でこんなのを見せたんだ、私たちを洗脳するつもりなのかと。そう言われても先生たちには何も説明できない。それで、このビデオを見せることを決めた留学生管理部門のトップの先生が、「やっぱり日本人とは心が通じ合うところがあるけど、欧米人とはだめだな」とこぼしていた。
もともとその先生には特別な経歴があって日本語がぺらぺらだったので、日本人留学生たちとも普段から親しくしていて、そういうお互いの考えや性質をよく知っているがゆえの暗黙の了解みたいなのがあったのは確かだ。それにしても、そもそも西洋人は伝えられる中身そのものに注目するのに対して、東洋人は中身よりもその背景や関係性全体を通して物事を判断するという両者の違いがあるのだろうかと思った。
そんな話を思い出した。