過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

<   2007年 05月 ( 19 )   > この月の画像一覧

[記憶の引き出し]

 私が私であるための拠り所とは記憶の整理と編集なのではないかと思う。
 この世に生れ落ちてから日々体験する出来事をどう記憶し、さらにその記憶という素材をどう整理・編集して私の物語をつむいでいくか、それが「私が私であることの統一性」なのだと思う。
 人は混沌から生まれる。生れ落ちた次の瞬間からの日々は、「私」を形作る経験の積み重ねの日々。「私」は世界を観察し分析し、分類、整理し、世界は「私」の見るもの聞くもの触れるものに沿って少しずつその輪郭を形成する。「私」は世界を創り、世界は日々「私」を造る素材を提供する。
 人はそれぞれ、記憶の引き出しを持つ。きちんと分類された多くの引き出しを持っている人もいれば、粗雑で大雑把に分類された引き出しもある。明るいものや美しいものがたくさん入っていて何度も開けては眺めて見たくなる引き出しもあれば、鍵をかけて二度と開けることのない引き出しもあるかもしれない。開けてみたくなる引き出しをたくさん持っている人もいれば、おぞましいものばかり入ってる引き出しを抱えて生きていかざるを得ない人もいるだろう。
 引き出しが何かの拍子にひっくり返ってしまうこともある。「私」は混乱に陥る。引き出しの中身はぶちまけられて、ごちゃごちゃになり、何がどこにあるのかさっぱりわからなくなる。そして「私」はばらばらになる。そんな時は、ひっくり返った中身をまた拾い上げて整理し直さなくてはならない。何十年もかけて積み上げてきたものなのだから、あわてず、少しずつゆっくりと整理し直すのがいい。もしかしたら以前よりずっと使いやすい引き出しになるかもしれない。


[记忆的抽屉]

   我认为我的存在依据过去的记忆的整理和编辑。
   人如何把从诞生的那天开始所经历的一切记住,然后把记忆这个素材再做整理和编辑进而形成自己的故事,我认为那就是“自我的统一性”。
  人自浑沌来到人间的那个一瞬间,每天就是在为形成一个“自我”而在积累经验的过程。那个“自我”对世界进行观察分析和分类整理,而世界在“自我”的所见所闻和接触事物的过程中逐渐形成了它的轮廓。我创造这个世界,而世界每天提供制造“我”的素材。
   每个人都有各自的记忆的抽屉,有把抽屉分得整齐和细致的人,也有分类粗糙,草草了事的人。有的人拥有许多令人不由得想打开它的抽屉,但也有人不得不负着充满令人厌恶的抽屉度过其一生。
  抽屉也会发生意外而翻倒,这是“自我”就会陷入一种混乱状态,因为抽屉里的东西被翻了一地乱糟糟的都搞不清什么东西在什么地方了。因为“自我”也会由此而支离破碎,所以这时就必须把翻了一地的东西收拾整理恢复到原状。因为这些都是几十年积累下来的东西,所以最好不急不躁,慢慢地去整理它们,这样可能这个抽屉会比以前更好用。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-31 00:00 | 雑感

石垣に座って

c0173113_225845.jpg


石垣に座って誰かがやって来るのを待っている

暖かい光がふりそそぎ
冷たい風が頬をなでる
とんびがくるりと輪を描いて
鴨は水面で水浴びしてる

日が暮れたなら
とんびは森のねぐらへ帰るだろう
鴨も葦の寝床で休むだろう

いつまで待っても誰も来ない

帰る家もないならば
歩き出すよりしようがない

[PR]
by koharu65 | 2007-05-28 00:00 |
[生きていさえすればいいのよ]

 河べりを散歩していて、きらきら光る川面や青々とした山々を眺めたり、ざわざわと鳴る木々の葉ずれの音や雲雀のさえずりを聞いたりしていると、この世が無性に愛しくなる。夕刻の太陽が空に描く朱から濃紺のグラデーションに二度と同じものはない。幾度夕焼けに出会っても、それはたった一度の風景で、今この瞬間にすら刻々と姿を変えていく。そんな自然の光景を一人たたずみ眺めながら、太宰治の『ヴィヨンの妻』に出てくる文句を思い浮かべる。「私たちは、生きていさえすればいいのよ」。
『ヴィヨンの妻』太宰治
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2253_14908.html


[存在的意义]

    在河边散步,看着阳光照得亮晶晶的河面与青翠的群山,听着树叶的摩擦声与云雀的歌声,突然感觉到我非常爱惜这个世界。夕照太阳在天空上画的从朱红色到深藏青色的色调变化,再也没有同样的。看到好几次晚霞也每一次都是唯一的景象,且现在连这一瞬间也时时刻刻变化。不知道我何时搬到没有上下左右、光也没有黑暗也没有、绝对不变的世界。
   我目前还不想失去时时刻刻变化的这个世界,单独伫立在自然里珍惜这个世界的每一瞬间的美。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-26 00:00 | 雑感

不安のスパイラル

c0173113_1043966.jpg


不安のスパイラルが伸びていく
疑いを隣人に 憎しみを友として携えながら
疑心暗鬼の霧の中 憎悪無尽の風が吹き抜ける
浮かんでは消え 消えては浮かぶ幻影を追いかけ 
空を切る両手
くるくる回る螺旋に運ばれ
不安はどこまでも伸びていく

[PR]
by koharu65 | 2007-05-24 00:00 |
 美しい夢を見た。
 九十九折の階段を少し登ると、上から中型の白い犬が二匹降りてくるのが目に入った。柔らかな白い巻き毛が全身を覆い、肢体はスマートで気品がある。大きな耳が頭部の後ろに垂れ下がり、波打った巻き毛はまるでモーツァルトの銀髪のよう。二匹の白い犬は赤いリードに繋がれて、二人の女性を従えている。二人の女性はそっくりでたぶん双子だろう。双子はおそろいの白いドレスを着ている。柔らかなドレープがかかっている長いドレスで、細い足首と黒いパンプスが見える。首には黒のベルベットのチョーカー、長いストレートの髪にカチューシャをはめている。二人は音もたてず優雅に歩く。歩くたびに白いドレスの裾がゆっくりと揺れる。そして傍らには白のタキシードを着て白いシルクハットを被った父親らしき紳士が連れ立っている。
 一行は私の目の前で、階段の途中にある一軒の家に入っていった。尖った赤い屋根の小さなかわいらしい家は低いフェンスに囲まれて、庭にはアーチに絡まったバラの花が咲いている。もうすぐ双子はこのアーチの下で結婚式をするのだと、私は思った。
 階段の片側は崖になっていて、もう片側には階段が九十九に折れるその一区画ごとに、双子が入っていった家と同じような小さな洋風の家が建っている。小さな家はそれぞれ小さな庭を持っていて、どれもよく手入れされて気持ちがいい。
 途中で急に視界が開け、眼下に広い湖が見えた。
 真下の岸辺には小さな桟橋があって、ビート板のような小さな小さなボートが繋がれている。ボートに子供が乗り込む。一人乗り、二人、三人・・・、ボートは重みに耐えかねて沈んでいく。ボートも子供たちもすっかり沈んでしまい、私は息をつめて湖面を見守った。一人、二人と子供たちが浮かんできた。もう一人は?と思う間に、水面は急に透き通り、水の中の様子が現れてきた。仰向けに沈んでいる子供の姿が微かに波打つ水の中にはっきりと見える。ロープが二重三重に子供の首に巻きついている。ああ、あの子はロープを自力ではずせるだろうか、と不安に駆られながらも、きっとはずせるに違いないと私は予感する。その予感通りに間もなく子供は自分でロープをはずし、浮かび上がってきた。
 いつの間にか私の立っている場所は湖の岸辺にぐんと近づき、私は地面から子供の肩程の高さにあるコンクリートの防壁の上に立っている。私は濡れ鼠になっている子供を防壁の上から抱えるようにして引き上げ、びしょびしょに濡れた頭をタオルでごしごしと拭いてあげるのだった。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-23 00:00 | 夢の話

命の重さ

 よく言われる「自殺しては絶対にいけない」「人は何があっても生を全うすべきだ」という概念が私にはどうしてもすんなりと飲み込めない。
 私はおそらく自殺はしない。でもそれは命が大切だからとか、自殺するのは卑怯だとか、人は精一杯生きるべきだ、とかそういう抽象的概念や理念によるものではなく、単に死ぬのが怖いからである。私固有のこの肉体に執着しているからである。
 少年や少女が自殺するたびに、学校の校長は子供たちの前でお題目のように「生命の尊さ」を唱える。でもどうして生命が尊いのか明確な説明はない。死はこの世の中に満ちている。爆弾で死ぬ人も、銃で死ぬ人も、飢えで死ぬ人も、地震や津波で死ぬ人も、交通事故で死ぬ人も、小さな子供が行列する蟻を一匹ずつ指で押しつぶしていくのを楽しむように、神の手はランダムに人の命を押しつぶしていく。いったい毎日どれくらいの命が、地上から消えていくのだろう。いくら人類の知恵が増そうとも、抗しきれないこの世の圧倒的な摂理を前に、人の命はとても軽い。「人の命」という抽象的な概念を思い浮かべるとき、それを重いと感じることは私にはどうしてもできない。私にとって重いのはただ「この私の命」であり、「私の命に連なる命たち」である。「私の命」を「人の命」という抽象的な概念に置き換えると、それはたちまち日々失われる無数の命の中に紛れ込み、行方が見失われてしまうだろう。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-22 00:00 | 雑感

栗きんとんの夢

 栗きんとんを食べる夢を見た。
 招かれて友人の家を訪れた。夕飯前には辞去するつもりでいたのだが、これから野外で宴会だというので、私もご相伴に預かることにした。
友人の家族や親戚が20人以上、近所の長屋の前の広場に集まっている。広場の真ん中に、コンビニの商品棚の半分くらいの高さの棚が一列に7、8メートルほど並び、棚にはおつまみやスナック菓子が店のように陳列されている。集まった人々はその棚を囲むようにゴザを敷いて腰を下ろし、思い思いに棚から食べ物を取って飲み食いしている。私も目の前の棚に手を伸ばしてつまみを取り、ビールを飲みながら食べる。
 ところがそのうち、私は棚の向こう側にあるものが食べたくなる。例えば、向こうのほうの棚にあるカシュナッツが食べたくなるのだが、わざわざ立ち上がって取りに行くのも憚られ、食べながらも気がそぞろになる。本当に食べたいものは手の届かないところにあり、私は限られたものしか口にできない。
 ふと見ると、横に座っている友人の膝先にゴザの上に置かれた重箱があり、重箱には栗きんとんと、牛肉と野菜の筑前煮が入っている。お正月のようだと思いながら、私は栗きんとんに箸を伸ばす。着色していない大き目の栗と芋の餡が手作り風でおいしそうだ。次に筑前煮も食べようと思いつつ、栗きんとんをほおばる。
 
 食べたいものが食べられなくてもどかしい思いをすると同時に、それでもおいしい物もちゃんと食べられた夢。吉兆。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-21 00:00 | 夢の話

莫名其妙的好感

c0173113_20584317.jpg


我对日本有莫名其妙的好感,而对中国有热烈的好感。
对美国有自由与打开的好感,
对欧洲有理性与平静的好感,
对俄国有古老与坚强的好感,
对非洲沙漠有浪漫的好感,
对南美密林有神秘的好感。

[PR]
by koharu65 | 2007-05-20 00:00 |

 15、6年前、北京の学生寮に住んでいた時のこと。ある夜、部屋の明かりを消してベッドに横たわると、部屋の隅に小さな白い光が見えた。電気をつけて近寄ってみると2cmほどの艶のない真っ黒な虫がいて、写真でよく見る頭の部分が赤い日本の源氏蛍と違って、なんだか醜い様子だけれど、きっと蛍の一種なのだろうと思った。こんな都会に、しかも、近くに水辺があるわけでもない寮の部屋の中にどうして蛍が紛れ込んだのろうと不思議に思ってなんだかどきどきした。明かりを消してベッドに戻りしばらく待つと、光はゆっくりと浮かび上がり、部屋の中を舞い始めた。
 その蛍は二日前に亡くなった子供なんじゃないだろうかと私は思った。この世を離れる前に名残を惜しんでいるのかもしれない。或いは小さな光は遠慮がちにその存在を私に伝えようとしているのかもしれない。ここにいますよ、とでも言いたげに、ふわふわと漂っている。
 私は小さな光を胸に抱きながら眠りについた。
 翌朝、蛍はもう姿を消していた。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-19 00:00 | 雑感

排水が溢れ出す夢

 夢を見た。
 キッチンのシンクが二つ並んでいる。水道の蛇口も二つ。それぞれのシンクの前に、女性が一人ずつ立ってそれぞれ洗い物をしている。女性の一人は妹、一人は友人。シンクに置かれた金盥の中には食器が積まれている。彼女たちは水をジャージャー流しながら、食器を洗っていく。私はダイニングの椅子に座って彼女たちの後姿を眺めている。
 すると、突然シンクの下からじゃばじゃばと水が溢れ出す。シンクの下には扉がなく、洗い物をする女性たちの足の向こうにシンクの排水口から床まで縦に延びた排水管がむき出しになって見えている。その管の継ぎ目から洗剤を洗い流したあとの排水がどんどん流れ出てくる。私はあわてて「早く、水を止めて」と叫ぶ。友人はすぐに気づき蛇口の栓を閉めるが、妹はまだのんきに水を出しっぱなしにしているので、私は駆け寄り、飛び付くようにして蛇口を閉めた。
 さて、排水管を調べてみると、排水口から床までの管はつなぎ目のない一本のビニールパイプではなく上下のパーツに分かれていて、上の管と下の管の継ぎ目に巻かれていたビニールテープがはがれている。もともと上下の管は口径が合わず、きっちりと合わさらない管の間の隙間を埋めるように布切れが幾重にもぐるぐると巻きつけてあり、その上に更に修理用の黒いビニールテープが巻かれていた。そのビニールテープがはがれて、継ぎ目は十二単衣のように巻かれた布切れだけで繋がっている。
 私は継ぎ目の部分だけを取り出して(そんなことは実際にはできないのだが、なにしろ夢の中のことだから)、テーブルの上に乗せ、修理を始めた。ビニールテープを巻きなおせばいい。ところがテーブルの上がごちゃごちゃに散らかっていて、さっき一度手にしたはずのビニールテープがなかなか見つからない。継ぎ目を片手で持ってもう片方の手で拾い上げるのは、テープではなく布を巻いたものだったり、リボンのようにひらひらしたものだったり、テープでも細すぎて使い物にならなかったり、どれもこれも役に立たないものばかり。ついさっきそこに置いたはずの粘着力が強く幅もある修理用の黒いテープがちっとも見当たらない。目につくのは、ことごとく似て非なるもの。
[PR]
by koharu65 | 2007-05-18 00:00 | 夢の話