過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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人の話を聞く

 誰かの話を一対一で聞いている時、ごく稀に、まるで相手の心が自分の中に流れ込んでくるような気持ちになる時がある。それは老若男女関係なく、相手の心の開き具合とか、語りたいという自然な気持ちとか、自分の聞く態勢とか或いは体調など、いろんな条件が重なった結果、そういう特別な情況が生まれる。そういう時は、相手の心がすうっと私の体の中に流れ込んできて、まるで精神的に交わっているような陶酔感が訪れる。必ずしも相手が語る会話の内容に興味があるわけではない。むしろ具体的な興味がないほうがそういうことが起きやすいように思う。
 例えば、ある時、私より十も年下の女の子がレゲエについて私に語ったことがあった。彼女はレゲエの歴史やそれがどんなに素晴らしい音楽であるか、熱心に語った。私はレゲエには全く興味がない。その時聞いた内容で覚えていることといったら、それがジャマイカの音楽である、ということくらいである。あるパーティーの席でのことで、周りでは談笑する人たちの声が賑やかに飛び交っていた。けれどそこには、私と彼女、二人だけの隔絶された空間があり、自分の愛するものについて我を忘れて語る彼女とそれを聞く私がいて、ぴったりと一つになったかのような陶酔感が訪れた。それ以前、彼女と私は特別親しい関係ではなかったし、それ以後も特別親しみが増したわけでもない。
 それから、ある親戚の老婦人が私に昔話を語ったことがあった。それは彼女がまだ10代の少女だった頃、ほんの短い間、中国へ旅行した話だった。これも私は細かい内容を覚えていない。ただ、この老婦人が、船に乗って大陸へ渡った遠い昔の大冒険の思い出を如何に愛していたか、如何にその思い出が彼女の人生の中できらきらと輝いた一頁となっていたか、婦人の語り口からそれらを感じたことだけを覚えている。まるで彼女の人生の一部が、私の体の中に雪崩れ込んでくるような気がして、私はエクスタシーを感じた。
 しかし、こういうことは滅多に起きることではない。以前、同僚の男性に「XXさん(私のこと)って、人の話を聞いてるんだか聞いていないんだか、わからないところがあるよね。」と非難めいた口調で言われたことがある。
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by koharu65 | 2007-11-30 00:00 | 雑感

からだ


からから からだ
からっぽの からだ
からから 鳴って
絡み合う

ことこと ことのは
追いかけて
もののことわり 説くけれど
からからからと 空回り

からから からだ
からっぽの からだ

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by koharu65 | 2007-11-27 00:00 |

温もり


まぶたに触れる
唇をなぞる
頬の輪郭を包みこむ

温もりを感じない

冷たさに心が震える

冷え切っているのは
私の心か
彼のカラダか

互いの心臓を切り開き
互いに互いの生暖かい血を浴びたなら
温もりを取り戻すことができるのだろうか

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by koharu65 | 2007-11-25 00:00 |
 テレビで、作家の渡辺淳一がこんなことを言っていた。
「男って言うのはフラれて当たり前。よく二兎を追うもの一兎も得ず、って言うでしょ?あれは二兎しか追わないから一兎も得られないんだ。四兎も五兎も追って、初めて一兎を得られるんだから。」
 なんだか楽しそうだ。私も、もし男だったら、四兎も五兎も追うドン・ファンになりたい。

  在电视上有个著名作家、渡边淳一说了这种话;
  “男人吧,有的是被甩。有句谚语说“追二兔者不得一兔”,这因为只追二兔所以一兔都得不到。追四兔五兔才能得到一兔啊。”
  有这种想法的男人好像生活很愉快。如果我是男人,我也想当追四兔五兔的花花公子。

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ドン・ファン(Don Juan):
 17世紀スペインの伝説上の放蕩児、ドン・ファン・テノーリオ(Don Juan Tenorio)のことで、プレイボーイの代名詞として使われる。

Don Juan:
  17世纪西班牙的传说的放荡人,把它用作花花公子的代名词。
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by koharu65 | 2007-11-23 00:00 | 雑感
 『スローボートで中国へ』という旅行記がある。著者はギャヴィン・ヤング(Gavin Young)、日本語訳は冬樹社より椋田直子訳で1989年に出版されている(原作は1987年出版)。ヨーロッパから中国まで船のみを移動手段と決め、大小の船を乗り継ぎながら旅をした7ヶ月間を記した紀行文である。
 その中にこんな記述がある。

…私はアンダマンで感じた疑問をエマーソンにぶつけてみた。「日本軍のやり方が腑に落ちないんです。せっかく英国人を追い出したのに、島民を慰撫するどころか、虐待して。インド人の協力者まで手荒く扱ったというのは、どういうわけでしょう」
 エマーソンはシンガポールで日本軍の捕虜になった経験を持つ。「日本人は変わっているんだ。子供に機関銃を持たせたようなもんでね。危険このうえないが、うまくやればごまかすこともできるし、意外に気のいいところもある。…」

 著者のギャヴィン・ヤングは1960年からイギリスの新聞、オブザーバーの海外特派員を務め、世界各地の紛争や革命を取材してきた記者である。本書は、旅をしながら通り過ぎる各地域の紛争の歴史に触れていて、空間的地理的な旅の記録だけでなく、時間軸に沿った移動の記録、歴史を思い起こす旅の記録ともなっている。
 旅の終わりに著者は香港で古い友人、ドナルド・ワイズに会い旧交を温める。ドナルドは「日本軍の捕虜になって、あの悪名高いクワイ川にかかる橋を渡る鉄道の敷設作業に従事した経験を持」つ。そして彼は1、2年前、当時の日本兵と捕虜の生き残りが橋の上で再会するという催しに参加した。

「記憶どおりに残忍そうだったか?」
「日本兵の大半は農家の出さ。残忍そうに見えるかって?いや、そうはいえない。小柄で日焼けしているだけだ。当時は捕虜を殴るにも、膝をつかせないと手が届かなかったものだ。」

「日本軍の上官は捕虜だけでなく、部下の日本兵も殴ったり蹴ったりしていた。俺たちもこの目で見たんだ。再会した時、元捕虜の誰もがそれを口にしていた。だからって許せることじゃないが、なるほどとふに落ちる部分もかなりある。」

 時々、第二次世界大戦の中で日本が行ったことを考える。いったい何が間違っていたのかと。戦争とはそういうものだから仕方がない、と言う人たちがいる。けれど、いろいろ考えてみると、戦いにも真っ当な戦いと、そうでない戦いがあるような気がしてならない。関連する文章を目にする度に、当時の日本は、本来、ある目的を達するための手段である暴力が、手段でなくなり、それ自体が組織を動かす原動力となって、ただやみくもに国家全体が無方向に突き動かされていたのではないかと思う。行使される集団の暴力をコントロールするシステマティックな機能が麻痺する恐ろしさ、はっきりした意思によって方向づけられることのない暴力の行方を思う。そして、それはもしかしたら、意思の所在があやふやになりがちな日本の社会の持つ性質に由来するものであるのかもしれないと思うのである。
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by koharu65 | 2007-11-19 00:00 | 本・小説・映画

こぼれでる本音

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へんてつもない会話の途中
小さな蛇が
飛び出した
予期せぬ事態に
驚く間もなく
小さな蛇が
次から次へと
こぼれ落ちていく

楽園からの追放を恐れ
私はむりやり口を閉じた

蛇の這った後には 
たくさんのニガヨモギ

蛇が消えても
その強い苦味は
私の舌に、皮膚に、神経に
貼りついて
いつまでも消えない



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ニガヨモギ:
 キク科の多年草。ヨーロッパ原産。英名、ワームウッド(Wormwood)。エデンの園から追放された蛇の這い跡に生じたという伝説を持つ。かつては世界で最も強い酒といわれるアブサンの原料だったが、神経麻痺などの中毒症状を起こすので1915年以降は、生産中止となっている。
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by koharu65 | 2007-11-19 00:00 |

今昔

 私の両親はずっと町工場を経営していた。工場へ入ると、機械ががしゃんがしゃん回る音、ベルトコンベアーがうぃんうぃんと動く音、ボイラーの中で火がごうごうと燃える音、流れる水の音、油と埃の匂いなど、いろんな音や匂いがした。今でも、どこか下町の工場のそばを通り、同じような音や匂いに触れると、私はそれらを懐かしくまた愛おしく感じる。
 私が小学校に上がる頃まで、会社の新年会は工場内で催されていた。工場内のコンクリートの床にゴザを敷き、酒や食べ物が用意され、皆適当に車座になる。興に乗ってくると誰かがねじりはち巻きをして踊りだす。私はお年玉目当てに頃合を見計らって座に紛れ込み、愛嬌を振りまいた。そんな新年会も、いつの間にか料理屋の座敷で行われるようになり、景気が悪くなってからは新年会そのものが開かれなくなった。
 母が話す昔話の中で、印象に残る話が幾つかある。
若い従業員が作業中に指を切り落とすという事故があった。その従業員の父親が乗り込んできて、父に向かって出刃包丁を突きつけ、お前の指も切ってやる、と息巻いた。父はどっかと座って、ああ、切れるもんなら切ってみろ、と言ったそうだ。
 それから、ある休日、工場の2軒隣にある長屋から一人の従業員があわてて我が家へ飛び込んできた。隣の部屋の様子がおかしいと言う。隣の部屋の住人も工場の従業員だったが、数週間前に妻が家を出て行き、本人と子供2人が暮らしていた。私の母が大きなお腹を抱えて(お腹の中にいたのは私の弟である)駆けつけると、父親と子供2人がげーげーと吐いていて、母は急いで救急車を呼んだのだという。子供二人に農薬を混ぜたジュースを飲ませ、無理心中を図ったらしい。幸い命に別状はなかったそうだ。
 駆け落ちの話もある。お互いに別々の家庭のある男女の従業員がある日二人とも、忽然と姿を見せなくなった。前々から、怪しい関係だと、うわさされていたらしい。家族も探したけれど行方知れずとなった。若い二人ではなく50に手が届こうかという二人である。その話を昔話として聞いたのは、確か私が大学生くらいの年齢だったと思う。当時の私には、そんな年齢の男女が恋に落ちすべてを捨てて逃げるということがいったいどういうことなのか、なかなか腑に落ちなかった。
 私にとってはテレビドラマを見るような、そんな出来事の数々は、両親の話によるとすべて70年代前半までのことだったようだ。
 それらのドラマの舞台となった古い工場の跡地には、今、5階建ての介護付き高齢者用住宅が建ち、オープンの日を粛々と待っている。
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by koharu65 | 2007-11-17 00:00 | 雑感

悲しむ人、困る人

 私が死んだら、悲しむ人はいるかもしれないが、困る人はおそらくいないであろう。人の命に重さの違いはないと言うけれど、偉大な哲学者や文学者、科学者、一国の首相、大統領など社会に影響力を与える者の死と、一介の市民の死とでは、社会にとっての損失という意味では、その重さに大きな違いがある。
 毎日の散歩コースの途中、橋の下をくぐると、傍らにホームレスの宿がある。青いビニールシートで囲った簡易な小屋があり、その前にはきれいな自転車が一台、地面には焦げ後のついた石の竈がある。カシャンカシャンと空き缶をつぶす音が夕闇に響く。寝る場所と、食べるものと、移動の足と、労働と。そこにはシンプルな生の形態がある。
 彼が死んだら悲しむ人はいるだろうか。

  如果我死了可能有人会悲痛,但恐怕没有人会为难。虽然人们说人的生命没有轻重的差别,但从社会的损失这个观点来看,还是有很大的差别。与伟大的哲学家、文学家、科学家或一个国家领导等具有社会影响力的人的逝世比起来,一个普通的市民的逝世毕竟还是微不足道的。
  我每天去散步的路线中会从桥下走过,有个流浪者就在那里安家。那儿有个用蓝色的塑料布围成的简易小屋,前面有一辆干净的自行车,傍边地面上有个烧焦的石灶。还能听见压碎空铁罐的咔嚓咔嚓声。睡觉的地方、吃的东西、交通工具、还有劳动,就以这么简单的形态生活着。
  如他死了,有没有人悲痛呢。
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by koharu65 | 2007-11-14 00:00 | 雑感

のぞかずの淵


覗いてはならぬという淵の傍らに立つ

淵は暗く深く静まりかえり
一見、何ものをも映さない

緑の木立は密やかにざわめき
胸騒ぎの鳥声が警告を伝える

何のために、禁を犯そうとするのか
そこに淵があるから、などと詮もないことを考える

淵を覗けば、おそらく浮き上がる
淵の底から、沈むボディが現れる

青ざめた白い肌
水にたゆたう黒い髪
踝に絡みつく緑の裳裾

彼女は待っていた
彼女の目を見つめかえす目を
浮かび上がるときを
彼女の手に差しだされる手を
引き上げられるときを

予感に怯えた私は身を翻し、淵を後にする
一陣の風が吹き抜け、獣たちは安堵の声をあげる

取り残された彼女の深い溜め息が
木々の間を縫い
低く長く尾を引きながら
私を追いかけてくる

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by koharu65 | 2007-11-12 00:00 |

堂々巡り

 何のために生きるのかと、10代の子供のような問いを相も変わらず繰り返し、想像の世界で思索を弄ぶ。あれもこれも怠け者の遊戯(ゲーム)に過ぎない?けれど経済だけがすべてじゃない。現実が重過ぎると感じるのは、物質的なものに捕らわれているからだ。そう断定する次の瞬間翻って、しかし精神的なものに頼るのは現実からの逃避かもしれないという考えが脳裏をよぎる。ああ、思考の堂々巡り。

  为了什么活着,我依然反复着像一个10多岁孩子说的疑问,在想象的世界弄思索玩。难道这全是懒惰者喜欢玩的游戏而已吗?不过不是只有经济才是这个世界的全部。有时人们会感到现实的负担太重,这是因为他们拘泥物质性的东西所引起。但我在断定这个想法的同时,马上就会想到依靠精神上安慰也许是一种逃避现实的方法。就这样我的思索在迷茫徘徊,没完没了。
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by koharu65 | 2007-11-10 00:00 | 雑感