過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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夏休み


たたみの上に
布団を敷きつめて
ころころ転がって
ひんやりとした肌をくっつけあって
暗闇の中でひそひそ話

さあ、明日から
海も山も川もみんな
きみたちのもの


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姪や甥たちと一緒に、我が家にひとつしかないエアコンの部屋で雑魚寝した。もうすぐ夏休み。
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by koharu65 | 2008-07-24 00:00 |

梅干

 久しぶりのからりと晴れた天気。漬けてあった梅をざるの上に干した。
熱い日射しに晒されて、真赤にのぼせた梅が可愛らしい。
 (赤いのは太陽のせいではなくて、先日梅酢が上がった後、赤紫蘇を入れたからだけど。)

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by koharu65 | 2008-07-19 00:00 | 雑感
 おもしろい夢を見た。
 私を含めた女性3人で、夏休みの研究か何かで、川の深さを測りに行くことになった。深いところで腰まであるような川の中をじゃぶじゃぶ歩いていく。しばらく行くと、川は岩のトンネルに入った。トンネルの中は急流で渦を巻くように水が流れているのが、真っ暗な中、体の感触でわかる。川底は柔らかな泥で足を取られそうだ。私は3番目に並んでいて、自分は怖いとも思わなかったが、前のふたりが流されやしまいかと心配する。
 岩のトンネルを抜けると、そこは一転して人工のプールになっていて、大勢の老若男女が水着姿で水遊びに興じていた。水底は明るい空色のコンクリートでゴミひとつ落ちてなく、水は澄んで美しかった。流れもなく、すべてが穏やかで楽しげだ。ここは人工のプールで人の手で調整できるのだから、深さも測る必要もないだろうと、私たちは元来た流れに戻ることにする。川の深さを3ヶ所、測らなければならない。水底を見ると、所々にうっすらと苔が生えた石ころが転がっていて、ああ、ここがプールと川の境目なのだな、と思う。
 下ってきた川を今度は上ることになり、私たち3人は、向かってくる水の勢いに立ち向かうようにしてトンネルの手前まで来た。私はふと、これは同時に複数箇所の深さを測るだけではなく、季節を変えて別のときに測りに来ることも必要なのではないかと考える。それでこそ研究の意義があるのではないかと。

 夢に現れる川の流れとか水などは、私が思うに、感情の流れの象徴のようだ。人工的なプールならその深さや流れをコントロールできるけれど、コントロールできない感情の水流が人の意識のどこかに流れていて、時折それがとめどない奔流となって人を押し流すのではないだろうか。
 或いはこれは考えすぎであって、一昨日川べりを歩いていて川の水があんまり気持ちよさそうなので、このまま飛び込めたらいいのにな、と思ったからそれを夢に見た、というだけの話なのかもしれない。
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by koharu65 | 2008-07-19 00:00 | 夢の話

川辺で

 今日は川の水が青かった。夕刻になってようやく熱気がおさまり、水の上を渡る風がひんやりと肌に心地よい。河原を歩いていたら、浅瀬にぴちぴちと跳ねるものがあった。かがみこんで両手で捕まえてみると、体長10cmほどの鮎だった。水の外では苦しかろうと、鮎を包んだ両手ごと水の中につけて、しばらくぬるぬるとした生き物の感触を楽しみながら、持って帰れるだろうか、けれど持って帰ったとして何になるだろう、などと考えていたら、鮎はするっと手の中を抜け、あっという間に姿が見えなくなった。おそらく最終的には放しただろうが、考えた末に、さあ、放してあげるよ、と仏教で言う“放生”の気分でも味わおうかという思惑がはずれ、少し残念に思った。
 腰を上げると、遠くの方で、大きな白い鷺が細長い足を交互にゆっくりと上げ下げしながら、そ知らぬ顔で歩いていた。
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by koharu65 | 2008-07-17 00:00 | 雑感

僕が僕になるために


人の命を大切に、
なんてセリフは
もう聞き飽きた

僕が欲しいのは
ほかの誰でもない、
きみの命だから大事なんだ、
その言葉

僕が僕であるために
僕が僕になるために

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by koharu65 | 2008-07-14 00:00 |

子供が生まれた夢

 妙な夢を見た。
 私は学校の寮に入っている。コンクリート造りの古びた灰色の暗い建物で、天井が高い。クラス全員20人あまりが間口が狭くて奥行きのある一つの部屋に住んでいる。クラスの誰かが出産するという。産婆さんを呼んでこなくては、と思っていたら、もう生まれてしまって、部屋の奥から生まれたばかりのまだ白く汚れた赤ちゃんを誰かが抱いて見せに来た。よい産婆さんを呼びたかったのだが、間に合わないということで、やむなく私は、学校付属の看護士を別棟に呼びに行った。学校の看護士たちでは不満だったが、仕方がない。
ピンクの服を着た2人の看護士とともに寮に戻ろうとするが、あちこちに大きな水溜りができている。私はそこをどう越えようかと逡巡するが、看護士たちは、その水溜りにじゃぶじゃぶ入っていく。腰までもある泥水の中を、彼女たちは泳ぐようにして渡っていく。

 悪くない夢だと思った。とにかく子供は無事生まれたのだ。
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by koharu65 | 2008-07-13 00:00 | 夢の話

必要なもの

 自分はつまらない人間である、という意識がどうしても拭えない。何か社会に貢献しているとか、社会にとってなくてはならない人間だとか、または誰かにとっていなくてはならない存在だとか、不可欠な人間であるとか、そういう強い信念を得ることができない。一方で、自分はひとかどの人間であるはずだという傲慢で肥大化したプライドが存在する。
 つまらない人間である、という認識と、ひとかどの人間であるべきだ、という野心と(或いはそれらは同一の意識の表と裏なのかもしれないが)、そのせめぎ合いから解脱するために必要なのは、神か仏か、俗世の力か、それとも愛だろうか。
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by koharu65 | 2008-07-08 00:00 | 雑感

梅(2)

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 2週間前に塩漬けした梅から、梅酢があがってきた。
 琥珀がかった透明な液体の美しさ。甕に並べたときは固くまんまるだった実が、塩と重石の力で滲み出たエキスの中に柔らかく沈んでる。甘酸っぱい香りがふわっと。幸せな気分に。
 ああ、そんな梅のような私になりたい。
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by koharu65 | 2008-07-05 00:00 | 雑感

ホームレス

 私の母は、ホームレスの話題になると、若いときにきちんと働いて老後に備えなかったからだとか、年金を納めてこなかったからだ、とか、自由に生きたいから望んでああいう生活をしているのだろう、などと言う。けれど私はどうしてもそういうふうには思えない。つい想像してしまうのだ。もしかしたら、私も将来ホームレスの生活を余儀なくされるような情況に陥るかもしれないと。散歩の途中、橋の下のホームレスの青いシートを見るたびに、自分が、集めた空き缶をかしゃんかしゃんとつぶすところ、河原の石で竈を作り煮焚きするところ、真冬に薄いシートの下で寒さに震えるところ、夏の夜に集まる虫や蚊に悩まされるところ、などを思い浮かべる。自分がそうなる可能性が100%ないなどとどうして言えるだろう。
 そのような想像は杞憂だろうか。豊かな想像力が毎日の生活に潤いを与えるならよいが、膨らむ妄想力が余計な不安を醸しだすのは精神的によくないかもしれない。
 けれど、やっぱり、夕刻に、たまたまホームレスのおじさんがシートの家の前に座ってたりすると、無性に話しかけたくなる。生活のノウハウを知っておきたいと思う。
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by koharu65 | 2008-07-04 00:02 | 雑感

吊り橋と書類(夢の話)

 一晩にたくさんの夢を見た。そういう時は、濃密な別の世界に生きて、そこから戻ってきたようで、心が鎮まる。内容は多くを忘れてしまったので、覚えてる断片的な場面だけを記しておく。

 私は、山道を走る市民大会に参加するために、列に並んでいる。人がやっとすれ違えるような細い山道なので、一人一人、時間を置いて出発していて、早くに参加した人たちはもう道を折り返して戻ってきている。スタート地点からすぐに、吊り橋がかかっていた。戻ってくる子供たちが集団で、こちらに向かってつり橋を渡ってくる。吊り橋には片側だけにしか手すりの縄がない。手すりのないほうに寄って歩いている子供が危ないな、と思う間もなく、一人の子がよろけて落ちた。深い谷へ子供が大の字になって落ちていって、谷底の大きな岩にぶつかったのがはっきりと見えた。あの子はもうだめだ、助からない、と思った。

 私は、大勢の人と一緒に、何かの書類を公共の機関に提出しなければならない。書類の上には、一枚一枚が大判の収入印紙か切手のようなものがたくさん貼られている。8割がた完成した書類だが、あと2割ほどの部分の書式がよくわからない。完成してる部分は出来合いのものなので問題ない。ところが、後の部分は指示がなく、指示がないということは自由形式でいいのだろうと思って、自分なりに適当に記入した。ところが、隣にいた妹に聞くと、ちゃんと決まった書き方があるのだと言う。妹はその通りに書類を作成していた。私はずいぶん間違った書き方をしていて、それでは受け付けてもらえないだろうと言われる。どこにも指示がなかったのだから仕方がないじゃないか、と思いつつも、もう収入印紙はびっしりと貼られているし、無駄にすることもできず、私は途方にくれる。

 詩も、夢の話も、正確に、これこれこういう現実の情況が心的に作用してこういう表れになっている、と説明することは難しい。けれど、詩や夢の話を書いて、それを読み返してみると、ああ、今、自分はこういう気持ちでいるのだな、ということが大雑把にかつ抽象的にわかる時がある。
 以前、子供が湖に沈んだ夢を見たことがある。それを高台から眺めていた私は、子供が必ず浮いてくると信じていた。そしてその通りに子供は浮かびあがった。いつの間にか岸辺に降りた私は、湖からずぶぬれで上がってきたその子を、タオルで拭いてあげた、そういう夢だった。ところが昨晩の夢はそうではない。子供は私の眼の前で谷底に落ち、岩にたたきつけられ、私はその様子からもう助からないと確信したのである。
 以前の夢と昨晩の夢との間には、その夢を見させた心情に明らかな違いがあるのだと思う。
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by koharu65 | 2008-07-01 00:00 | 夢の話