過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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ダンス


さあ、もう余計なおしゃべりはやめよう

何も言うな
耳をふさげ
目を瞑って
闇に慣れろ

堂々巡りの星たちの声も
冷たく突き刺す月の光も
届かない
深い深い森の奥で

見ざる
聞かざる
言わざるの
三匹の獣たちと
仲良くダンスを踊ろうよ

人の温もりが恋しくなるまで
獣たちと踊ろうよ

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by koharu65 | 2008-08-31 10:07 |

Women In Art

 ブログを移転しようと思って選ぶとき、まず第一の条件は中国語の簡体字を表示できるかどうかだった。それでUTF-8コードで表示されるブログの中からメジャー性や使い勝手などを考慮し、さらに本にできるというサービスがあるということが魅力で、ここエキサイトブログを選んだ。
 たった一つの欠点はYou Tubeが貼れないということ。これでかなり迷ったが、仕方ない、動画はあきらめよう、どこかで妥協しなきゃいけない、とエキサイトブログを開設したのが8月18日。その数日後、お知らせに気付く。
 記事にYoutubeが貼れるようになりました  [2008年8月20日]
 ああ、私ってなんて運がいいんだろう。

 さて、前置きが長くなったが、私のお気に入りの動画を紹介しよう。

[Women In Art]


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by koharu65 | 2008-08-29 11:02 | 動画
今朝の天声人語に、美食家の北大路魯山人の言葉が引用されていた。
<どうしても料理を美味しくつくれない人種がある。その名を無精者という。>
なるほど。私が料理が苦手なわけにようやく合点がいった。
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by koharu65 | 2008-08-27 11:30 | 雑感

オリンピック閉幕

 オリンピックが無事に終わってなによりだった。私は普段スポーツ観戦にはあまり関心がないが、オリンピックでは様々なドラマを垣間見ることができて楽しめた。特に、国境を越えた選手やコーチたちの活躍には惹かれるものがある。

 開会式と同じく派手なパフォーマンスの閉会式には満漢全席を目の前にしているようで少々食傷気味だったが、もうこれから二度とどの国も(中国も含めて)ああいう力技はできないんじゃないかという気がして、存分に味わわなければと最後まで見続けた。
 民族衣装を着た人たちが閉会式でも登場し、アナウンサーが「56の民族衣装を着た役者たちです。」と紹介していた。わざわざ「役者」と断わったのには配慮を感じ思わず笑ってしまった。しかし開会式でも私の記憶では確か「56の少数民族の衣装を着た子供たち」と言っていて、「民族衣装を着た56の少数民族の子供たち」とは言っていないのだから、嘘ではないだろう。
 言われている他の問題にしても、演出の方針は開催国の裁量であると思う。
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by koharu65 | 2008-08-26 09:30 | 中国・中国語

悪夢

 厭な夢を見た。
 合宿かなにかで、私は大勢の仲間と一緒に2階建ての四角い建物に泊まっている。夜、一階にいてふと気が付くと私の他に誰もいない。私は暗闇の中で突然、孤独と恐怖に襲われる。皆がここにいるのはわかってる。けれど私の味方は一人もいない。私はたった一人で見捨てられているという感じがして、怖くて怖くてたまらなかった。
 私は声を絞り出すようにして叫んだ。
「ああああああああ」
まるで自分の存在を確認するかのように。或いは自分の存在を知らしめるかのように。(おそらくこの時私は実際にも寝言で叫んでいたと思う。)
 二階に上がると仲間の一人がいた(それは具体的に名前や顔を知っている友人ではなくて、ただ夢の中で“仲間”と認識されている人物である)。けれど私は彼女に一片の親密さも感じることができず、それはまるで人間の形をしながら人間でない幽霊か亡霊のようで、見ているだけで恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。なんとかして彼女をやっつけなければならないと思った。
 私は無我夢中で彼女に暴力を振るう。殴ったり蹴ったり。彼女が反撃してくる様子はないのに、それでも私はすさまじい恐怖を感じながら、その恐怖を振り払うかのように、横たわる彼女を上から蹴り思い切り踏みつけ続ける。

 目が覚めたのは明け方の4時だった。トイレに行きたくなってそのまま2階から1階に降りたのだが、その間も体が強張って恐怖が抜けない。ドアの影から何者かが現れるような気がして、びくびくしていた。夜中のトイレが怖いなんて、子供のとき以来だな、と思った。
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by koharu65 | 2008-08-22 22:11 | 夢の話

駅にて(夢の話)

 こんな夢を見た。
 私は田舎の見知らぬ駅の前に立っている。時間もあることだし、乗ったことのない鉄道路線で少し先まで出かけてみようかと、路線上の適当な駅を選び、そこまでの切符を買う。160円也。
 駅の構内へは入らずに、外のベンチに座って列車の来るのを待つ。しばらくすると駅員がやって来て、もう列車は来ていて待たせているからと告げる。私は少しあわてるが、待ってくれているのだと安心してホームへと急ぐ。ところが私の目の前で列車はゆるりと発車してしまった。振り返って見ると、先ほど告げに来た駅員が気の毒そうな顔をしていた。
 仕方がないので、駅の窓口に戻り、切符をキャンセルして返金してもらおうと思う。駅の窓口は宝くじ売り場の小さなボックスのようで、ホームの手前にぽつんと立っていて、中には3人の駅員がいた。一つしかない窓口には私服の女性が座り、その後ろに制服の男性が二人。返金をお願いしようと並んだが、ああ、そうだ、返金ではなくて、もう時間もないことだしこのまま逆の方向の列車に乗って帰ればいいと思いなおし、逆方向の列車がいつ来るのかと聞く。するとそれは1時間半後だと言う。ここで1時間半も待たなければならないのかと、私は途方に暮れる。いつの間にか7、8人の客が順番など気にしないふうで玉になって窓口に集まり横から駅員に話しかけようとしていた。私の後ろに並んでいるつもりでいるおじいさんがいたので、私があんまり戸惑っていると順番を奪われて申し訳ないと、私はとりあえずそこを立ち去ることにした。
 見上げると、さっきまで晴れていた空は俄かに曇り、雨が降りそうで、時間もあるしお天気もいいしちょっと列車に乗って出かけてみようか、とういうゆったりした気分はいつの間にかどこかへ吹き飛んでしまっていた。
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by koharu65 | 2008-08-21 20:42 | 夢の話

移転にあたって

 2007年5月から、日々思ったことや感じたことを、こことは別のサイトのブログに書き留めていましたが、この度ここexcite.ブログに移転することにしました。

 旧ブログの内容は少しずつこちらにコピーするつもりです。しばらくは未来よりも過去にさかのぼって投稿する件数のほうが多くなることと思います。

 なお、一部昔の文章に中国語が併記してあるのは、始めの頃中国語の勉強を兼ねようと思ったからです。そのうち、しんどくなってやめました。

                                          2008年8月19日
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by koharu65 | 2008-08-19 00:00 | はじめに

望外の喜び

 望みは少ないほうがいい。
 望外の喜びが増えるから。
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by koharu65 | 2008-08-16 00:00 | 雑感

『時が滲む朝』- 楊逸

 芥川賞を受賞した楊逸の『時が滲む朝』を読んだ。前回、賞を逃した『ワンちゃん』の方がずっとよかった。『ワンちゃん』では内容のおもしろさや勢いにひきつけられて日本語のぎこちなさも気にならなかったが、『時が滲む朝』は退屈さからちょっとした日本語の不自然さが目立ってしまって読みづらかった。
 選評を読むと、この作品に対してプラスの評価をしている選考委員は9人中5人で、過半数と言えば過半数であるが、そのほとんどが作品そのものの完成度を評価しているわけではない。

 「何より書きたいことを持っている。書きたいことがあれば、それを実現するために文章もさらに磨かれるだろう。…」(高樹のぶ子)
 「巧拙を問うならば、これは最も完成度の高い作品ではなかったかもしれない。欠点はいくつかある。…しかし、ここには書きたいという意欲がある。…」(池澤夏樹)
 「見知らぬ人たちなのに、この小説に出てくる人たちを、どんどん好きになってしまった。…」(川上弘美)
 「…荒削りではあっても、そこには書きたいこと、書かれねばならぬものが充満しているのを感じる…」(黒井千次)
 「平成の日本文学では書き表すことが困難なさまざまな風景が、楊さんの中には蓄えられているに違いない。」(小川洋子)

 これらの委員たちは「書きたいという意欲」が作品から強く伝わってくる、と言う。けれど、私にはそれは伝わってこなかった。全体として印象が散漫で型通りな退屈さを感じた。

 以下、他の選考委員の選評を挙げる。

 「中国における自由化合理化希求の学生運動に参加し、天安門で挫折を強いられる学生たちの群像を描いているが、彼らの人生を左右する政治の不条理さ無慈悲さという根源的な主題についての書き込みが乏しく、単なる通俗小説の域を出ていない。文章はこなれて来てはいても、書き手がただ中国人だということだけでは文学的評価には繋がるまい。」(石原慎太郎)
 「『時が滲む朝』の受賞にわたしは賛成しなかった。前作『ワンちゃん』のほうが、小説として優れていたと思った。小説は広義の「情報」である。『ワンちゃん』には日本の地方社会の惨状が外部の視点から見事に描かれていたが、『時が滲む朝』には、わたしにとって価値のある情報を見出せなかった。主要登場人物の学生時代などに代表される「純粋さ」を評価するという意見もあった。だがわたしは、純粋さではなく、単なる無知に映った。」(村上龍)
 「受賞作となった楊逸氏の『時が滲む朝』が前作の『ワンちゃん』よりも優れているとは思えない。小説の造りという点においても、あまりにも陳腐で大時代的な表現においても、前作とさして差はないと思った。…天安門事件当時に大学生だった主人公たちが、数年を経て日本で生活するようになってからが、この小説で深く掘り込まれなければならないだろうに、後半になればなるほど陰影は薄くなり、類型的な風俗小説と化していく。…表現言語への感覚というものが個人的なものなのか民族的なものなのかについて考えさせられたが、楊逸氏が現代の日本人と比して、書くべき多くの素材を内包していることは確かである。」(宮本輝)
 「前作同様、この作者は応援したくなる人間を描くのが上手い人だ。しかし、女の子の瞳に<泉にたゆたう大粒の葡萄>などという大時代的な比喩を使われては困る。この、ページをめくらずにはいられないリーダブルな価値は、どちらかと言えば、直木賞向きかと思う。」(山田詠美)

 石原慎太郎はこの作品の主題を、「天安門で挫折を強いられる学生たちの」「人生を左右する政治の不条理さと無慈悲さ」と捉え、そういう「根源的な主題についての書き込みが乏しい」と批判している。けれど、作者は果たしてそれを描きたかったのだろうか?その部分の書き込みが足りないのは、それが作者にとって掘り下げるべき主題ではなかったから、と考えられないだろうか。
 ストーリーとしては確かに政治に人生を翻弄されている人物たちが主人公となっているが、初めから最後まで「政治の不条理と無慈悲さ」いう次元には深く入ることなく、ただ事実とともに時だけがさらさらと流れていく。登場人物たちはまるである結末にたどりつくための操り人形であるかのようだ。
 「ふるさとはね、自分の生まれる、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟たちのいる、暖かい家ですよ。」
 物語の最後で語られるこの浩遠の言葉は、浩遠がその人生において紆余曲折の結果手に入れた想いとして私の心に響くものではなく、この物語を操る作者の手によって予め用意された答えであるという気がしてならなかった。
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by koharu65 | 2008-08-15 00:00 | 本・小説・映画

感謝


天に感謝
地に感謝

父に感謝
母に感謝

両手一杯の感謝の砂粒が
指の隙間からこぼれ落ちていくのに
迂闊な私は気づかない

砂がすべてこぼれ落ちたとき
私はからっぽになる

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by koharu65 | 2008-08-14 00:00 |