過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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元気で長生きのコツ

 きんさんぎんさんの生前を追ったテレビ番組を見た。元気で長生きのコツは、好奇心を失わないこと、コミュニケーションを絶やさず外界から刺激を受け反応を返していくことらしい。
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by koharu65 | 2008-09-30 10:48 | 雑感
 少し前に、怠け者ゆえに料理が苦手だと書いた。その後、やはりそれは人間として(女としてではなく)ちょっとどうかと思ったので、まずは自分が食べたいものを、と先週の祝日にミルクレープを作ってみた。それから、週末にたまたま下処理(素焼きと陰干し)した鮎を貰ったので、丸一日かけて甘露煮にした。
 両方ともとても美味しくできて満足したのだけれども、結局それは自分が心身ともに調子がよく時間もたっぷりあるときだからこそ楽しく作れるのであって、毎日の食事となると、また別の問題だと思った。
 ある人がこう言った。疲れているときこそ、自分の好きなものを自分で作って美味しく食べたいと。私は思う。疲れているのだから、料理なんてしたくない。コンビニのおにぎりとインスタント味噌汁でいい。

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by koharu65 | 2008-09-28 20:31 | 雑感

変わらぬ世界


もしも
雷鳴を操ることができたなら
祇園精舎の鐘の音を切り裂こう

もしも
炎を操ることができたなら
沙羅双樹の葉を焼き尽くそう

さすれば
世界は開かれ
新しい音楽が奏でられるかもしれぬ
天から光が射しこむかもしれぬ

しかしあいにく私は
雷鳴も炎も持たぬので

鐘の音は
いつまでも
思考を妨げ

世界は
変わらず
生い繁る葉の下に

 
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by koharu65 | 2008-09-25 09:54 |

とのさまがえる

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 庭の池を眺めやると、時折、春から庭に住んでいるトノサマガエルに出会う。春には植木鉢の中で二匹そろって置物のようにじっとしていたのが、最近は一匹しか見当たらない。猫にでもやられたのだろうか。
 庭のトノサマガエルは連れを失くして秋を過ごし、冬にはたった一匹で土の中に眠る。
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by koharu65 | 2008-09-21 13:04 | 鳥、蛙、魚、犬、猫

釣り

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 海へ釣りに出かけたが、素人集団だったので、一匹も釣れずに帰ってきた。
 その晩、こんな夢を見た。遠浅の浜辺で竿を投げると、沖から大きな魚がたくさん押し寄せて来る。魚たちは海面から黒々とした体を半分ほど出し、次々とこちらにやってくる。竿を振りおろすたびに魚が釣れる。最後にはまぐろを釣り上げて、子供を抱くようにして両手で抱えあげながら、さあ、どうやって持って帰ろうと思案する、という夢だった。
 夢とはなんとおもしろいものだろう。
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by koharu65 | 2008-09-18 11:28 | 鳥、蛙、魚、犬、猫

胃痛


胃の中に小鬼が一匹
時折、ひょっと暴れだす
手に小さな針をもって胃の壁を
内側からちくちくとつつくのだ

何が気に入らないのか
なにしろ鬼のことだから
人間のわたしには
わかりゃしない

或いは
奴はただ
こう言いたいだけなのかもしれない

やあ やあ
我こそはここに在り
ここに在り!
やあ やあ やあ

 
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by koharu65 | 2008-09-15 15:18 |

ほどほどが一番

 先日道を歩いていたら、後ろから高校生が私を自転車で追い抜いていった。何気なくその背中を見やると、白いTシャツの真ん中に縦書きで『ほどほどが一番』と描かれていた。すぐに、ひと昔(ふた昔?)前大きく太く真っ黒な筆文字で力強く『一番』と書かれたTシャツが流行ったことを思い出した。同じ一番でも目の前を走り去る一番の文字はグレー色をしていて、『ほどほど』という平仮名が優しく柔らかくそれを修飾し、字数が多い分、各々の字は必然的に小さくなっている。その謙虚さと穏やかさに思わず笑みがこぼれた。
 そういえば最近、『悲愴感』という歌を聞いたが、なんとも謙虚、かつ、分不相応なものは求めないけれど自分なりに精一杯ぎりぎりのところでがんばってる、という歌だ。昔は芸能人と言えば、特別な才能がある人や抜きん出て容姿端麗な人だったのだろうが、彼らの歌或いはキャラクターはおそらく何の取り得もなく埋没する「その他大勢」の代表として共感を得ている。(本当は彼らとて何の才能も努力もなしに今の仕事に就けたとは思えないが。)
 もともと『悲愴感』は、島田伸介のプロデュースした『羞恥心』の二番煎じで、『羞恥心』もまあ悪くはないと思うのだけれども、アラジンの『陽は、また昇る』に至っては違和感を禁じえなかった。一過性の流行曲が大衆に受け入れられるために如何に時代の空気を読むかがポイントとなるならば、『悲愴感』の方が『陽は、また昇る』よりも共感を得る度合いがずっと大きく、時代性をよりよく汲み取っていると思う。

 『悲愴感』 http://jp.youtube.com/watch?v=0ex-Ai-qRFU
 『陽は、また昇る』 http://jp.youtube.com/watch?v=QD0TVVWiqlE
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by koharu65 | 2008-09-12 10:52 | 雑感

樫の木の下で


ある日 カナリヤが告げた
森の樫の木の下に
本当のことが埋まっているよ、と

そこで私はシャベルを担いで
意気揚々と
本当のことを掘り起こしにでかけた

落ち葉の積もる柔らかな土を
さくさく掘ると
死体が埋まっていた

合点した私は
それに再び土をかぶせ
しっかりと隠す

死体は暖かな土の布団にくるまれて
刻々と朽ちていく
それはやがて
土となり、
幹をつたい、
葉となり、
枝となるだろう

森の樫の木の下で
私が朽ちていく

 

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梶井基次郎は、桜の樹の下に死体が埋まっていると言ったけれど。
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by koharu65 | 2008-09-11 11:37 |

コンテナの家(夢の話)

 体調が悪いせいか、最近重苦しい夢ばかり見る。
 私は擬似的家族(本当の家族ではないが、家族的な関係である父と弟妹たち)と一緒に、蕎麦屋の店先のダンボールハウスに住んでいる。いつまでもそこに居座ってると蕎麦屋に迷惑がかかるので、ちゃんとした家に移らないといけないと思う。けれど私たちに家はない。擬似的父は、工具やら機械の部品のようなものが入っている大きな箱を取り出してきて、蕎麦屋の主人と、これを売る商売を始めたらどうだろうと思案している。私は今の時代にこんなものを売ってもだめだろうと思う。
蕎麦屋の裏手に回ると持ち主が不明の広い空き地がある。その空き地がもしかしたら私たちのものではないかと、一度登記簿謄本を調べてみようと、淡い期待を抱く。
 結局、幼い弟妹たちは蕎麦屋に間借りすることになり、私と父は、低所得者のために市が貸し出しているコンテナハウスを借りることになった。父はコンテナハウスの上に乗って中を覗き込んでいる。私は下で市の職員と一緒に父を見上げている。職員が、男性用と女性用がありますが、と言い、トイレの形状が違うと言う。父は、男性用で、と答えた。しかし、職員が続けて、今、男性用は不都合があって水が出ないと言うのを聞いて、私はそれはとても困る、水が出なければ絶対に暮らせないとひどく焦る。更に、コンテナから子供の手のひらほどもある大きさの黒々としたダンゴムシがぽとりと落ちてきた。ああ、こんなところには絶対に住めない。早急に仕事を見つけて、一人で部屋を借りねばならない。けれど私の経歴が悪いので仕事は簡単には見つからないだろう。にっちもさっちもいかない状況に私は大きな石でも飲み込んだかのような重苦しさを感じた。
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by koharu65 | 2008-09-09 21:59 | 夢の話

正さと孤独と


くやしくって くやしくて しかたがないんだ
僕は僕が正しいって知っているのに

さびしくって さびしくて しかたがないんだ
僕は僕がひとりぼっちだって知っているから

ぽろぽろと 涙がこぼれる
本当は泣きたくなんてないけれど

僕は正しくて
僕はひとりぼっちで

ぽろぽろと 涙がこぼれる

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by koharu65 | 2008-09-09 09:48 |