過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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白狐



《白狐》 - 日本語訳
 
私は千年の修行を積んだ狐
千年の修行、千年の孤独
夜更けに人の静まる時
私の泣く声が聞こえるでしょう
灯火の尽きるその場所で
私の舞う姿を見ることができるでしょう

私は千年待ち続けた狐
千年の待望、千年の孤独
滔滔たる俗世の内に
又、誰かが愛の毒虫を身に宿し
茫茫たる人波の中
又、誰かが愛の毒杯を飲み干す

貴方を愛した時
貴方は貧しい書生でした
貴方との別れの時
貴方は出世し妻を娶ったところでした

貴方のために、もう一度舞うことができるでしょうか
私は千百年前、貴方に命を救われた白狐です
どうか見てください、ひらひらと揺れるこの袂を
永遠の愛もすべて虚しく

貴方のために、もう一度舞うことができるでしょうか
別れのあの時ただ一度振り向いた貴方のために
どうか見てください、ひらひらと揺れるこの袂を
とこしえの愛もすべて虚しく


 歌詞がとても気に入って、日本語に訳してみたくなりました。
 元になっている物語があって、狩りの獲物として追われた白狐を、ある貧しい書生が助けます。狐は千年の修行を経て人間になり、書生の生まれ変わりを見つけ、恩を返すため侍女として仕えます。生まれ変わりの書生は出世し美しい妻を娶るのですが、婚礼のその夜、白狐はただ遠くに歌い舞う白い影を男の脳裏に焼き付け、男の前から姿を消します。(物語はもう少し複雑で、男の妻となる女性が実は、千年前の狩りの際、白狐を射て傷を負わせた仇の生まれ変わりだったりします。)
 ちょっと人魚姫みたいですね。千年の修行、千年の孤独に耐えて男を思い続ける、というのがとてもロマンチックです。

  我因为很喜欢这首歌词所以试着翻译成日语了。
  原来有个故事,有条白狐被打猎人追杀时,有个一贫如洗的书生救了她的命。白狐通过千年的修行变成了人身,并且找到了转世后的书生,她为了报恩当了丫鬟服待他多年。书生在金榜题名后娶了一个很漂亮的妻子,洞房花烛的夜晚,白狐将自己踏歌而舞的白影深深地印在男人的脑海里,然后就消失了。(其实故事更复杂点,要嫁给书生的那个新娘原来是千年前射伤白狐的猎人的转世。)
  有点像美人鱼的故事吧。耐着千年的修行、千年的孤独一直想一个人,好浪漫!
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by koharu65 | 2008-10-29 10:53 | 中国・中国語

罪と罰


未来へのベクトルを持たぬ私を
過去が捉える

これは罰なのだろうか
私は罪を犯したのだろうか

いいえ、私は神を信じない
人は物質にすぎない
因果関係は頭の中で作り上げる妄想だ
現実は無造作に放り投げられた偶然の重なり

つまり私は神を信じないので
罪を認めないので
罰を甘受しないので
それで怖いのだ

生きていくことが怖い
病にかかることが怖い
老いていくのが怖い
死んでいくのが怖い

確かなものなど何もない

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by koharu65 | 2008-10-27 22:15 |

『金魚生活』 – 楊逸

 楊逸の『金魚生活』(文学界9月号)を読んだ。芥川賞を取った『時の滲む朝』よりずっと面白かった。受賞以前の作品である『ワンちゃん』や『老処女』と同じく一中国人女性の人生や生活に視点を据えた物語こそ、この作家にとって本領発揮できる舞台であると思う。

 主人公は玉玲という五十一歳の中国人女性で、中国の東北地方に住み、レストランで働いている。夫とは8年前に死別、一人娘は日本に留学、就職、そして留学生仲間と結婚して日本で暮らす。玉玲は夫の死後、娘に内緒で、夫の生前から家族ぐるみの付き合いがあった周淋という男性と付き合い始め、既に同棲している。
 物語は玉玲がレストランの水槽に泳ぐ高価な金魚の世話をする場面から始まり、彼女が娘の出産のために初めて日本に渡航するという出来事が中心となる。
 『ワンちゃん』もそうだったのだが、日本人の読者にとっての彼女の小説の面白さというのは、日本人とは異なる価値観や原理によって行動する登場人物によるところが大きい。日本人の価値観に則すればちょっと引っかかるような行動、考え方と思われるところを、楊逸の小説の中の登場人物たちはまるで魚が水の中を泳ぐようにごく自然に披露している。
 例えば、玉玲は娘の出産を手伝うために日本に行くのだが、ビザに期限があるので半年で帰国しなければならないし、娘は早々に仕事に復帰する。そこで孫の面倒を見てもらいたい娘は母に対して、日本人と再婚して日本に住んだらどうかと提案するのだ。母も産まれたばかりの可愛い孫を抱いていると、この子と別れるのは忍びなく、娘の勧めに従ってお見合いを繰り返す。

 文学界9月号の楊逸と高樹のぶ子の対談の中で、高樹のぶ子は、日本の女性と中国の女性の違いについて、こう語っている。

高樹:…わかりやすく言うと、女が男にアプローチするとき、日本の場合は情に訴えるところから始まると思うんだけど、中国の女性はそんなことしないよね。
楊:しないです。
高樹:情が消えて何が立ち上がってくるかというと、生命力と損得(笑)。
楊:アピールの仕方の違いですね。
高樹:損得を主張することが価値観として肯定されているのよね。

 『金魚生活』の中でも、娘が母に再婚を勧め母もその気になるのは損得勘定からであり、身内においてそういう損得勘定を前面に押し出しすことが特に遠慮されることでもなく何でもないこととして語られている。
 日本の読者は登場人物のこういう功利的な考え方、生き方に新鮮さを感じ衝撃を受けるが、物語を読み進めていくと玉玲のお見合いする日本人とて負けず劣らず打算的であることが見えてくる。田舎で寝たきりになっている父の世話をお願いするために見合いの場に現れる娘二人がいる。その二人の提示する月3万円という金額に対して、玉玲の娘が「馬鹿にしている」と憤慨するところがまたユーモラスでおもしろい。
 考えてみると、人が生きていくうえで人との関係の間で損得勘定というものが働くのは当然のことである。
 玉玲は若い頃から美人で、結婚に際しても幾人かの候補の中から、容貌や性格よりも将来性を重視して亡くなった夫を選んだ。彼女の目に狂いはなく夫は社会の変化を察知して機敏に動く生活力があった。そのため彼女の家庭は庶民の中では裕福なほうで、娘にも留学を実現させることができた。それなのに夫は早くに亡くなってしまい、今彼女が同棲しているのは、昔候補の中にいて選ばれなかった男である。彼は夫とは反対に上手く立ち回ることが出来ず経済的に苦しい生活を送り、とうとう妻にも逃げられてしまっていた。玉玲は寂しさから彼を拒むことができず一緒になった。豊かな生活を手に入れるために将来性のある男と結婚すること、独り身の寂しさと不安から身近な男と一緒になること、これはどこにでもあるごく普通の感覚で、私たちは違和感なく共感する。
 外国人が主人公でありかつ日本が舞台である物語を読むということは、文化の違い、価値観の違いの明白さに衝撃を受け新鮮に感じる部分と、文化の違いにかかわりなく人間の根幹にある部分が見えてくるというところがある。
 高樹のぶ子が正確に言っているように、中国人は<損得を主張することが価値観として肯定されている>、それに対し日本人は損得を主張することに対して何かしら後ろめたさがある。けれど、両者とも等しく損得で動く人間であることに変わりはない。

 しかし、かといって人は果たして損得だけで動くものだろうか。
 玉玲が最後に見合いした相手は、話も通じず心も通わないそれまでの相手と違って、かたことながら中国語もしゃべれるし、漢詩にも造詣が深い教養のある紳士であった。
 <牀前明月光 疑是地上霜 挙頭望明月 低頭思故郷>
 李白の詩で二人の会話に花が咲いた。彼女はこの紳士と結婚した後の暮らしを思い浮かべる。しかし同じ詩を吟じ、同じ月を探しても、窓の外の海に月は見えない。
 <花間一壷酒 独酌無相親>
 紳士は独り身の寂しさをかこち、彼女もその寂しさに共感を覚える。しかしその時、彼女の脳裏に浮かんだのは中国で待つ周淋の姿であった。知音と出会ったように喜ぶ紳士の心をよそに、玉玲は<月下独酌>の続きをつぶやきながら周淋のことを思って溢れる涙を止めることができない。
 玉玲はレストランの水槽で死にそうになった金魚を自宅に持ち帰って大宝(大きな宝)と名づけ大切に育てていた。中国を発つとき元気がなかったその金魚は、周淋の手厚い世話によってすっかり元気になったという。
 玉玲の働くレストランの水槽に泳ぐ金魚たちはその周りの人間たちにとってある共通の意味を持っていた。金魚を商品として卸す金魚屋の親父、金魚を幸運の象徴とみなしその生き死にと店の盛衰を重ねる主人、死なせたら給料に響くため必死に金魚の世話をする玉玲、店の大きな水槽できらびやかに泳ぐ金魚たちの生き死には周囲の人間それぞれの経済的な思惑に関係していた。しかし玉玲が家に持って帰った大宝は違う。大宝は玉玲の寂しさを紛らわしてくれた。辛いときの話し相手になった。彼女と生活を共にしてきた。そうした大宝を死なせたくないという玉玲の意図を汲んで彼女のために必死に大宝の世話をしたのは周淋である。
 日本のアパートの四畳半に閉じこもっているとき、玉玲はまるで自分が狭い水槽に閉じ込められた大宝のようだと思う。彼女に限らず、人は皆結局は水槽という一定の環境の中で泳ぐ金魚なのかもしれない。大宝と同じように玉玲自身が活き活きと生きられる場所、彼女を元気に泳がせてくれる場所、それが果たしてどこであるのか、彼女は気づいたのだった。

 玉玲と、彼女の娘と同じアパートに住むスギノさん、それから近くのペットショップの主人との間には人の心をほっとさせるようなほのぼのとした交流がある。それは彼らが損得抜きでお天気や金魚など目の前にあって共有できる題材によって繋がっているからだ。日常のなんでもない会話を交わすこと、食事を共にすること、酒を酌み交わすこと、寂しさを共に埋めること、そういった日常生活の繰り返しが情を生み、人は情で繋がる。損得で動くのと同じく、情に動くのもまた人の変わらぬ営みであろう。

 『金魚生活』が損得を主張する中国人が情に帰る物語だとすると、この物語は過分に功利に走る昨今の中国人社会に対する抵抗と受けとめることもできるかもしれない。
 読後感のよい面白い小説であった。
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by koharu65 | 2008-10-25 13:18 | 本・小説・映画

ぎゅうぎゅうづめ


僕の意思に反して
次から次へと運ばれる
甘いお菓子

叫べ!
僕はお腹がいっぱいなんだ!

伝えろ!
僕は甘いものが大嫌いなんだ!

でも僕は主張できない

甘味で
頭がくらくらしている

喉まで
お菓子で
ぎゅうぎゅうづめ

それで僕は
叫ぶ代わりに
ケーキに添えられた
ナイフを
ぎゅっと握りしめる

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by koharu65 | 2008-10-20 12:48 |

冷凍いんげん

 今月発生した中国産の冷凍いんげんから高濃度の農薬が検出された事件の報道と、一月の中国製冷凍餃子への農薬混入事件の報道とを比較すると、そのトーンに違いがあるように思う。前回の時は初めから製造工場の責任或いは中国での混入と決め付けて、ヒステリックな報道がなされていたが、今回は2度目ということもあって、報道の調子が比較的抑えられている、冷静であるという印象を受けた。ワイドショーでは、製品の流通経路を細かく紹介し、その過程のどこで混入されたか、可能性を検証していたが、画面のテロップにはわざわざ「中国?日本?」と両国の名称を併記しクエスチョンマークをつけるという心配りであった。
 レポーターは「前回検出された農薬の成分は日本では使われていない成分だったので中国での混入という可能性が高かったわけですが、今回は日本でも使われている成分であるということで・・・」と解説していたが、成分の違いというだけでこれほど報道姿勢が変わってくるものだろうか?
 もし前回の事件から学んだ経済的・社会的な影響に対する配慮或いは外交的な配慮に基づいて今回報道機関がコントロールされているのだとしたら、こういう節度のある統制ができる日本もなかなかやるじゃないかと思った。
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by koharu65 | 2008-10-17 00:00 | 中国・中国語

金木犀の香り

 窓のすぐ外に金木犀の大きな木があるので、毎年この時期になると一日中甘い香りに包まれる。その香りに誘われて、去年の同じ時期の自分を思い出す。金木犀の香りは毎年変わらないのに、その香りに包まれる私の心境は、去年同じ金木犀の香りに包まれていた時とはずいぶん様変わりしている。すると今度は、変わらないはずの香りがなんとなく去年と同じ香りとは思われなくなってくる。
 こんなことを考えていたら、ある和歌が思い浮かんだ。これは少し違って、自分の心は変わらないのに、という歌だけれども。

      月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ
           わが身ひとつは もとの身にして  

                       在原業平『伊勢物語』

 
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by koharu65 | 2008-10-10 21:24 | 雑感

振り返れば

 振り返れば恥の多い人生だと思う。それはおそらく誠実に生きてこなかったからだ。
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by koharu65 | 2008-10-05 14:08 | 雑感

赤い風船


うっかり手をはなして
空にとんでいってしまった
赤い風船を
取りもどしてよ、と
泣きじゃくる

しまった、と思ったときには
もう遅くて
背伸びして飛び上がっても
届かなかった

赤い風船は
どんどん どんどん 遠のいて
青い空に溶けていく

私の風船
飛んでいってしまった風船

さっきまで目に鮮やかに映りこんでいた
赤い大きなかたまり
この手でしっかりと握っていたはずなのに
ちょっとした油断ですり抜けて
たちまち小さくなった

口惜しくて 口惜しくて
声をあげる

私の風船 取り戻してよ!

泣き叫んで
じだんだ踏んで
駄々をこねて

なだめられて
なぐさめられて
しゃくりあげながら
とぼとぼと歩いた
遠い昔

大人になった今、私は
飛んでいった風船に
ただ諦観を以って
溜め息をつく

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by koharu65 | 2008-10-03 13:21 |

相撲部屋で働く夢

 珍しい夢を見た。
 私は相撲部屋で雑用係をしている。部屋にいると、今日はカラオケ大会だったと、あわてて出かけることになった。私も浴衣を着て数人の力士とともに駅へと来ると、ホームは他の部屋からも集まってきた力士たちでいっぱいだった。やがて新幹線が滑り込んできたが、私たちの目の前には止まらず、ずっと先の方に停車した。私たちがあれあれ、と思って追いかけるうちに、いったん開いたドアは他の大勢の力士を乗せて再び閉まり、新幹線はゆるゆると走り始めた。朝青龍が追いついて、後ろの運転席の窓をどんどんとたたき窓越しに車掌に身分証明書のようなものを見せた。すると走り出していた列車は止まりドアが開いた。私はさすが朝青龍だと感心した。
 一行は山の中の旅館に着いた。平屋建ての広く立派な和風旅館で、ここで数泊してカラオケ大会が行われるのだ。山の中の一軒家なので団体の宿泊にはぴったりなのだなと思う。修学旅行などにもよく使われるのだろう。部屋はすべて和室の大部屋で、女性は他の部屋に所属する女性との相部屋になる。見知らぬ人と同室になるのも気詰まりだと思って、ふらりと外に出ると、なんだかつまらなくなったので、宿泊せずにそのまま帰ることにした。
 相撲部屋に戻ると、白いTシャツを着た力士たちが数人、台所や居間でくつろいでいた。どうやら彼らはカラオケ大会のことをすっかり忘れていたようだ。全部屋の相撲取りたちが集まるのだから行かなければまずいだろうと、彼らもあわてて支度を始める。監督者のいない部屋で男ばかりの力士たちが食べたり寝転んだりしてのんびりとしていたので、あちこち散らかっている。そこで私はまず台所のシンクにたまった食器類を洗い始めた。

 特に相撲ファンというわけでもないのに、こんなに大勢の相撲取りが出てくる夢なんておそらく生まれて初めてだ。
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by koharu65 | 2008-10-01 13:44 | 夢の話