過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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嘆歌


寒風 吹キ荒ブ街頭
貧シサニ 暖ヲ取ル術モナク
孤独ニ 寄リ添フ人モナシ
世ヲ憎ム可キカ
我ガ身ヲ責ム可キカ
今ハ只 一椀ノすうぷヲ請フノミ


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一年をしめくくるのに、こんな暗い詩はどうかとも思ったのですが、思いついてしまったので。
皆様、よいお年を!
Happy New Year!
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by koharu65 | 2008-12-29 16:55 |
 以下、『司馬遼太郎対話選集1~この国のはじまりについて~』(文芸春秋)、司馬遼太郎と丸谷才一の対談「日本文化史の謎~なぜ天皇が恋の歌を詠まなくなったか~」より引用。

司馬  …いや、ぼくは前に書いたことなんですけれども、明治国家の変質を典型的にいいあらわしたエピソードがあるんです。
 柳原二位局というのは、大正天皇の母親にあたる人です。明治天皇までは一夫多妻で、大正柳原二位局は二流の公家から出た人ですが、頭のいい人だったらしい。
 あるとき、ご亭主の明治天皇が軍服を着て白い馬に乗っているのをみて、あんなことをしていれば天皇家の宮廷も滅びると、まわりの女官たちにいったそうですね。天皇とか公家とかいうのは、ああいう武人の格好をしなかったからここまで持ってきたんだと。
丸谷  恋歌をやめて、馬に乗ったわけですな(笑)。
司馬  維新の志士はみなナポレオンとワシントンの崇拝者だったから、どうしても天皇を白馬に乗せたがる。柳原さんは、それに血なまぐささを感じたんでしょうね。天皇が権力者になったら、もうおしまいだということでしょう。しかし、恋歌の時代にもどるとなると、承久の乱以前にもどらなきゃ仕様がないわけだな(笑)。
 大正天皇と昭和天皇との問題はそこから出てきて、結局、太平洋戦争の大敗戦を柳原二位局がよく予言していたと思いますね。
(引用おわり)


 もともと天皇とは世俗の権力を握る存在ではなかった。天皇とは政治家ではなく、五穀豊穣を祈る呪術家である。――これは司馬氏の対談を読んだ私の理解であって、私の理解力、読解力が正しいかどうかは知らない。ただ、こう理解すると、天皇の存在の意味だとか、日本の国の成り立ちだとか、国家の性格がなんとなく見えてくるような気がする。
 日本人は仏教徒だとか或いは無信仰だとか言ったりするけれど、日本人の精神の根にあるのは八百万の神の国だという意識ではなかろうかと思った。私たちが、日本人であるということの根拠や誇り、特殊性を求めた場合、そこに行き着くのではないか。近代の市民社会が自由な個人の集団であるのに対して、こういう考え方は民族主義的ということになるのかもしれない。しかし、同じ民族の集団という感覚には、まるで長旅から自分の巣に帰ったかのような安心感、甘美な安らぎがあるのではないかと思う。例えそれが作り上げられた幻想だとしても。
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by koharu65 | 2008-12-28 18:12 | 本・小説・映画

時折思うこと

 世の中のすべての人間が自分より偉く見えて、自分ほどちっぽけな人間はいないと思う。時々、そんなふうに思う。
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by koharu65 | 2008-12-26 19:59 | 雑感

海外ドラマ

 海外ドラマが好きで、よく見る。アリー・マイラブやフレンズ、ER救急救命室、CSI科学捜査班、クリミナルマインド、特にお気に入りは名探偵モンク…、と挙げてみて気がついた。これらは皆、アメリカのドラマだ。すると正確には、海外ドラマが好き、ではなく、アメリカのドラマが好き、と言わなければいけない。もっとも日本で放映されている海外のドラマにそもそもアメリカのものが圧倒的に多いので、おのずとそうなるのかもしれないが。
 数ヶ月前、新しい海外ドラマが始まり期待しつつ見始めたら、なんだか奇妙な感じのドラマだった。引っ掛かりを感じる。すっと共感できない。展開に理解不能な部分が多々ある。しかし決してつまらなくはない。次も見たくなる。見始めの奇妙な感覚は最後まで続いた。最終回を見終わっても、いや、見終わって余計に、わけがわからなくなった。無論筋はわかるし、きちんと結末はついたのだが、気分的にもやもやっとしたものが残ったままであった。ドラマの題名は『ステート・オブ・プレイ』、イギリスのドラマだ。
次に始まったのが同じくイギリスのドラマで『ホテル・バビロン』。またまた奇妙な感じ。いつも一人で見ているのだが、ある日たまたま妹がやってきて一緒に見た。終わって、妹が一言。
 「これ…、おもしろい?」
 「うーん、おもしろいというか…、なんというか…。」
と、返答に困っていると、
 「だってさ、あの人、悪い人かと思って見てたんだけど、そうじゃないの?結局、悪い人じゃないってこと?なんだかわからない…。」
 妹よ、その通り!『ステート・オブ・プレイ』もそうだった。「いいもの」と「わるもの」がはっきりしないのだ。人物の行動基準がいまひとつはっきりつかめないままストーリーがどんどん進んでいき、最終的にある人物がどうも「わるもの」らしいというところまでたどり着くのだが、その「わるもの」にしても完璧な「わるもの」、わかりやすい「わるもの」という感じではない。かと思ったら、うっかりと悪いことに加担したが、どう見ても根は善良だと思われる端役が「(どちらかというと)いいもの」グループの勘違いのせいで簡単に死んでしまったあと、何のフォローもされない。つまり、カタルシスがない。
 それと逆なのがアメリカのドラマだ。人物の行動基準のものさしがはっきりしている。感情移入しやすい。共感を呼ぶ。カタルシスがある。アメリカ文化が世界を席巻する強さはこういうところにあるのではないだろうかと思った。
 ただし、『ステート・オブ・プレイ』や『ホテル・バビロン』には「おもしろい」と一口では言えない不思議な魅力を感じるのだけれど。
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by koharu65 | 2008-12-23 15:14 | 本・小説・映画

初雪


無数の白い蝶が舞い降りる
音もなく 軽やかに
そして 大地にひれ伏し
温もりに消える



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実はここは、ほとんど雪が降らない地方。講釈師、見てきたような…。
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by koharu65 | 2008-12-19 22:22 |

恋は遠い日の花火?

 
 父が、酔ってつぶやいた。
 「恋がしたい」と。
 真面目で浮気ひとつしたことがない父の言葉に驚いたが、気持ちはよくわかる。
 よくわかるが、それを母の前で言ってしまうところに、父の単純な迂闊さがよく現れていて、つくづく不器用な人だと思った。


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by koharu65 | 2008-12-18 10:48 | 雑感
 私は歴史が苦手だ。なにしろ人の名前や年号が覚えられない。けれど、山本淳子氏の『源氏物語の時代~一条天皇と后たちのものがたり~』(朝日新聞社)を読むと、まるで私自身が宮廷の女房(侍女)の一人として王朝のきらびやかな世界に紛れ込み、天皇と后たちの愛情のドラマをこの目で見、この耳で聞いたかのような気持ちになった。

 本書の題名「源氏物語の時代」とは、実在の帝、一条天皇の時代をさしています。…
 …彼は天皇として課せられた使命に実に誠実に取り組む人間でした。道長など貴族たちとの強調にも努め、信頼を得ていました。私生活では漢詩を好んで自らも作り、また横笛の名手でした。お酒も多少嗜んだといいます。そして当時の天皇としては珍しいことに、ただ一人の女性を一途に愛しました。彼らの愛情関係やその子どもたちを含めた家族関係は、平安時代の感覚を逸脱し、むしろ私たち近代以降の人間の持つ、「純愛」や「家族愛」という感覚に近いものと評されています。
 本書は、この一条天皇と、彼をめぐる二人の后、定子と彰子の物語を、現存する歴史資料と文学作品によって再構成したものです。
(「はじめに」より)

 この本を、小説を読むように夢中になって読んで「ああ、平安時代とは、かくもロマンチックで知的で美しい世界だったのか」と感動していたら、そのすぐ後に、司馬遼太郎が丸谷才一との対談でこんなことを言っているのを、読んだ。

 われわれが政治家を思うときは、たとえば源頼朝を考えたり、アメリカの大統領を思ったりしますね。非常に近代主義の目でみて、人民の苦しみ、世の中の不合理とどう対決するか。それを思うんですね。ところが、平安朝の天皇――白河院を例にあげれば、この人ほど自分の権力、王の王たる自分を誇った人はいないわけでしょう。いままでは摂関政治に頼っていた連中ばかりだ、番頭まかせの政治だ、と。しかし、それだけの権力を誇りながら、それをいっさい政治に使わない。せいぜい、ちょっとした宮廷人事に使うぐらいのものですね。そして、主としてそのエネルギーを女遊びに使う。白河院が一生のあいだにどれだけの女と関係があったかを考えると、気が遠くなる思いがする。
(『司馬遼太郎対話選集1~この国のはじまりについて~』より)

 白河院は一条天皇の何代か後の天皇だが、『源氏物語の時代』によると、一条天皇のすぐ前の天皇、花山天皇も常軌を逸した色好みであったという。だから、一条天皇は「当時の天皇としては珍しいことに…」「彼らの愛情関係や…家族関係は、平安時代の感覚を逸脱し、…」という例外中の例外ということらしい。「はじめに」にもちゃんとそう書いてあったのに、ついうっかりとそれが平安時代の一般的なあり方であったと思い込んでしまった。
 『源氏物語の時代』は、一条天皇という当時としては個性的な人物の人生を再現したドラマで、歴史が苦手で小説が好きな私が夢中になって楽に読めるというのも、そう考えると合点がいく。更に、そのドラマの骨格に近代の価値観に通じるものがあるので、私たちにとって感情移入が容易で深く共感を呼ぶのだと思った。
 著者の専門は日本文学で、夫は高等学校の日本史の教員だそうだ。あとがきに、「高校生が引き込まれる副読本、物語に読みふけって泣いたり笑ったりしているうちに、自然に歴史や古典の基礎知識が身につくサブテキストを求めていた」夫のアドバイスが、執筆中の支えになったとあった。
 源氏物語の世界になんとなく魅力を感じるという人に、お薦めの一冊である。
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by koharu65 | 2008-12-15 13:39 | 本・小説・映画

法と知恵

 先日たまたま、『今夜は最高』という古いテレビ番組を見ていたら、岡林信康というフォーク歌手がしゃべっていた。一時期、4年間ほど、戸数15軒の山奥の村で暮らしていたそうだ。
 ある時、村の寄り合いがあって、川に架かる橋が古くなってぼろぼろなのでなんとかしたいが、橋の架け替えを村から陳情するとその費用をいくらか負担しなければならない、台風などの災害によって自然に落ちたとなると、市が全額出して架けてくれる、それでどうしようと。
 村のマンジロウさんの言うには、大水が出たとき橋げたをのこぎりで切ったらどうだろう?すると、チョウさんが、いやいや、前にそれを隣村がやったらばれてお縄になったぞ、雪かきの雪を橋の上に集めて重みで落としたらどうだ?すると、今度はツナちゃんが、まてまて、俺の家は川向こうだ、雪を積み上げたら通れないじゃないかと。
 本気の議論なのか、半分冗談なのか。おもしろい話だと思った。
 「上に政策あれば、下に対策あり」とは中国の言葉だが、どこの国でも庶民の知恵と強さというのはこういうところにあるのかもしれない。
 しかし、そういう庶民の生活レベルから生み出される小さな共同体の知恵が日本では時とともに失われていっているような気がする。かつて村社会が担ってきた役割、個人の利益が地域の利益と一体となることが可能な範囲の小さな共同体、そういう地域のルールや利益は時折、上のほうの組織のそれと相反するかもしれない。法とは必ずしも我々を守るものではない。そういう時、如何に地域の要求を通し個々の生活上の便利を守るか、そこから庶民の知恵と工夫と力が生まれるのだと思う。
 ところが、今の日本は、国全体がまるで一つの大きな村のようになって国民全体を丸抱えに面倒みようとしているように見える。

 今私たちが生きている社会は昔と比べて価値観が多様化していると、私は当然のように思っていた。けれど、日本という国全体がまるで一つの大きな村のようだと感じるのはどうしてだろうと自問自答してみると、価値観の多様化とは逆に日本全体が均質化しているという感覚から来ているのだと気がついた。日本全国どこに住んでも、人々は同じ法のもとで同じ教育を受け、同じ電波を受け、同じものを着て、同じものを食べる。便利で豊かな近代的生活とはつまりは合理的、物質的な生活のことで、それを経済的に裏打ちするのは規格化と大量生産だ。
 文明の力によって世界はいやおうなく均質化される。とすると、均質化された社会に育つ人々の価値観も自然と均質化し、異質なものに対する対応力や許容力は減少していくのではなかろうか。

 思考が本題から外れてしまった…。
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by koharu65 | 2008-12-12 10:13 | 雑感

夢の中のキャラクター

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 夢の中に現れたキャラクターをペイントで描いてみた。身長は140cmくらい。こんな奇妙な架空のキャラクターが夢に出てくるなんて、初めてだ。そういえば、その前日、甥っ子につきあって、全国のご当地キャラクターが登場する「ゆるキャラ王選手権」なるテレビ番組を見たっけ。どうもその影響らしい。
 ろうそくのように、頭に赤い炎がちろちろ燃えて、ちょっと困ったような目をしていた。
 
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by koharu65 | 2008-12-10 10:23 | 夢の話

犬とわたしの距離と
わたしとあなたの距離と
どちらが近い?
わたしとあなたとが近いって
当然だって思っていたら
あらまあ、見て、見て
二人の間にクレバスが!
まえからあったの?
覗いてみたけど その暗闇の
どこに底があるのやら
飛び越す力も勇気もないからと
とりあえず犬に声をかける
さあさあ、散歩の時間だよ

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by koharu65 | 2008-12-06 14:24 |