過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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 4歳の姪の世話にかかりきりで、この一週間、なかなか思うように事ができなかった。

 女性の方が一般的に言って、結婚、出産、子育てによって、家庭や学校でそれまで受けてきた教育とは違う生き方の変革を準備なしに突然迫られることが多いんじゃないかと、ふと思った。

 先日、テレビのトーク番組で、北陽の虻川が、「この女結婚できないなと感じた時」というテーマで自分のことについて、こんなことを言っていた。
「一緒に居るときテレビ見たいのに話しかけられたりとか、今から家に来いとか、そういうのに合わせられないんですよ。なんで行かなきゃならないんだ、って。自分はそんなこと言っちゃいけないと思ってるんですけど、こう、根っこからそういう人間なので。ご飯作ってあげたいって気持ちもあるんですけど、つくれないし、みたいな。そりゃ作ってあげたほうがいいって百も承知なんですよ。ただもうこっちから込み上げてくるものが、『やれるかい!』と。」
 こういう気持ちはとてもよくわかる。
 男女関係においては、男女平等の教育の成果なのかどうか最近の男性は優しいから互いの“我(が)”の張り合いもある程度譲り合って、折り合いをつけるということができる可能性は大きい。
 ところが子育てとなるとどうだろう。絶えず一方的に奉仕することを要求する赤ん坊に対して、“根っこから込み上げる”自己の主張を子育ての喜びと相殺させること、そういう意識の改革が、簡単に果たせるだろうか。社会的にも学校教育でも、良妻賢母という役割を女性に課す事が当然であった時代は、女性としての覚悟、母親としての覚悟を幼いころから当然のように言われてきて、いざその時になって急激に意識を変えなければならないということは少なかったと思う。しかし、今は、男も女も同じように、個性を尊重すること、自己実現を果たすことが人間としての生き方だと当然のように教えられ、役割として自己を犠牲にして他に奉仕するという行為がともすると耐え難いものと感じるのではないだろうか。
 いや、それとも、“役割”だとか、“自己実現”だとか、“自己犠牲”だとかという概念を持ち出すこと自体、もう流行遅れだろうか。最近の10代、20代前半の歌手や女優のあり方などを見ると、今の(或いはこれからの)女性は、結婚・育児も女性として当然経験すべきものとして折り込み済みの上で、自分の思うような生き方のビジョンを描いているようでもある。
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by koharu65 | 2009-03-30 20:04 | 雑感

小さな女の子

赤ずきんちゃんは言いました。
「おばあさんのお口はどうしてそんなに大きいの?」
「それはね、おまえをひと口に食べてしまうためだよ。」

小さな女の子は言いました。
「このお家の人はどうしてみんなやさしいの?」
「それはね、みんなあなたが大好きだからよ。」

 4歳の姪を一週間預かることになった。
 パパとママが去ったその日の夜から、38度以上の熱が出た。くっついていると電気あんかを抱いてるように熱い。ほっぺを真赤にしてふうふう言っている。この子は普段からあまり泣き言を言わない。「ママに会いたい」、ぽつりと一言だけで、泣き叫ばない。
 38度が丸一日続いて、熱と辛さがピークと思われる頃、「ママに伝えてね。××ちゃんが熱を出してるって。」と言うので、「お電話でママと話す?」と聞くと、かぶりを振る。そのうちとうとうぽろぽろと大粒の涙がこぼれてきて、声をあげて泣き始めた。「ママに会いたい」と大声ではっきりと言った。
 そうしてひとしきり泣いた後、自分でパジャマの袖で涙を拭ってぴたりと泣くのをやめた。それから少しご飯を食べて、買ってもらったディズニーのプリンセスの本で塗り絵をしたり、シールを切り取ったりすることに集中して、抱っこをせがまなくなった。よい方向に向かっているんだろうな、となんとなく思っていたら、次の日の朝にはすっかり熱が下がっていた。
 小さな女の子は、今日は晴れ晴れとした顔をして、大好きな従兄のお姉さんたちの家に遊びに行った。
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by koharu65 | 2009-03-24 14:48 | 雑感

欲望


求めても得られぬものを求める心が七転八倒する
夜毎幻想に溺れ
目覚める度に
空を掴み 砂を噛む

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by koharu65 | 2009-03-21 11:12 |

愛の形

 週末に4歳の姪がやって来る。
 3歳までの彼女とは唇と唇のキスをしていた。私からチュッとしたり、彼女が私の首に手をまわして、唇をぶちゅーと押し付けてきたり。
 ところが、4歳になった彼女は突然変わってしまった。
 私がチュッとしようとすると、
「唇と唇のキスは結婚してないとだめなんだよ。」
と拒絶する。
 そうよね、私たちは結婚してないし、それより先に同性だしね。
 冗談はさておき、物騒な世の中でもあるので、もちろん女の子にはそういう注意や自覚が必要だ。

 小さくて弱くて柔らかいもの対する愛しさというものは、「食べたいちゃいたいくらい」という表現があるように、つついて、触れて、抱きしめて、ぴったりとそばに置いておきたい、包み込んであげたい、という愛情の形を取る。ペットならばいつまでもそういう愛情の形を取り続けることができるが、小さくて、か弱き子供は、やがて成長する。それにつれて必要な愛情の形も変化する。少し寂しいけれど、愛撫やキスで愛を伝えるのはむしろ簡単なことで、そういう形だけでない様々な形による愛の交歓の楽しみがあるのだということを考えよう。それはきっと唇が感じる心地良さと同じくらい、又はそれ以上に心地良いものであるに違いない。
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by koharu65 | 2009-03-19 21:11 | 雑感
 五木寛之の『人間の覚悟』(新潮新書)を読んだ。

 著者は戦後五十年の経済成長期を“躁の時代”、今の日本を“鬱の時代”と呼ぶ。また上り坂から下り坂に入ったのだともいう。確かに戦後経済が成長し拡大してきた時代と比べて今は経済が縮小する時代にある。著者が次々と並べるように、資本主義の行き詰まり、凶悪犯罪の増加、自殺の多さ、格差社会、目に見えない戦争――テロとの戦いなど、様々な社会問題も存在するだろう。
 けれど私は、“躁”と“鬱”という人間の感情を時代の状況に例えることに違和感を覚えた。また、“上り坂”“下り坂”という表現にもあまりぴんとこない。
 躁鬱や上り坂下り坂といういささか情緒的な表現にはあまり共感できないが、しかし同じことを、ひとつの文化圏における成長期から成熟期への転換と解釈するならば、そういう転換期にあたって人々の意識の改革と社会システムの調整が必要であろうことは、よくわかる。著者は今の時代に必要だと思われる意識の改革を「覚悟」と呼び、そして、その覚悟をすることによって、自分を取り巻く事物に対する取り組み方が今までとは違う形で開けてくるという可能性を語る。
 これからの時代、人は、国や学校や家庭、夫婦、人脈、健康、熱愛、友情などの外部の存在に頼りきるのではなく、自分自身で自分の生を支えていく必要がある。
 頼りにならないものを頼りとすることなく、事実を見極め、いかに生きるかではなく存在そのものに生の根拠を見出し、腹をくくって淡々と生きる。「我在り、ゆえに我思う」、天を支えるのはどこかの誰かではなく自分自身であるという確信を持つべきだと説くのである。
 一冊を読み通す中で、著者自身の年齢的な成熟や人生経験の豊かさから語られる様々な言葉に強く惹かれ、また、芯の通った倫理観や人間の深みを感じた。
 本の中の言葉をひとつだけここに引用しておこう。

  “生まれて、生きて、老いて死んでいく、それをすべてやるということに価値があるのだと思うのです。”
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by koharu65 | 2009-03-14 12:26 | 本・小説・映画
 愛知県でうずらが鳥インフルエンザに感染したという話題を耳にして、数年前に中国のネットで流行ったある歌を思い出した。
 2005年、中国で鳥インフルエンザが発生し大量の家禽が処分され、人への感染も確認された。その年の年末、“K鈴製作”(携帯の着信メロディーなどを製作しているベンチャー企業)がこの大騒ぎとなった鳥インフルエンザを風刺したFlashつき音楽をネット配信した。これがインターネット上で大ヒットしたのだ。バイキン扱いされ大量処分される鶏たちの苦境を、丸くて黄色いひよこがマイク片手に舌足らずの愛らしい声で歌っている姿がなんともかわいらしくユーモラスで、私も一目で魅了されてしまった。
 ちょうど年末に配信され、最後のひよこのセリフが新年の挨拶となっているのも見事な演出である。
 これによって“K鈴製作”は一躍ネット音楽業界のトップとなった。
 ちなみにこれは替え歌で、原曲は、中国の歌手、楊鈺瑩(ヤンユーイン)の『我不想説(言えなくて)』である。

 最近の鳥インフルエンザの話題をきっかけにこの歌を思い出し久しぶりに動画を見てみたが、やっぱり可愛くてユーモラスで風刺が効いていて大好きだ。最後のセリフのところではひよこと一緒に手を合わせて祈りたくなるような気持ちにさせられる。
 深読みするならば、ひよこを、ある立場の人間――差別され迫害され搾取される状況にある人間に置き換えることもできるんじゃないかとも思った。
 思い立って歌詞を日本語に訳してみたので、とっくに流行遅れではあるのだけれど、動画とともに載せておこうと思う。
 


 
『あたしニワトリよ、と言えなくて』

清潔だとは言いがたい
安全だなんて言えないわ
誤解されても仕方がないの
固く閉ざされた小屋の中、生まれたばかりの卵を数え
殺されるのを待つばかり

食べられることに異存はない
卵だってさしあげる
けど、穢れてるってさげすまれるのはごめんだわ
つらい運命に涙がでちゃうけど
人間の気持ちもわからなくはないのよ

いつもの鶏肉、いつもの卵
いつもと同じ私たちなのに、どうして感染源に?
鳥インフルエンザ、ああ、危険と言われ
鳥に生まれたこの身が恨めしい

パパはとっくに処分され
お兄ちゃんは実験台送り
今どき鳥に生まれたら人よりずっと悲劇だわ
今日を耐え、明日をながらえても
明後日にはきっとお終いでしょうね

いつもの鶏肉、いつもの卵
いつもと同じ私たちなのに、一文の値打ちもなし
いつものように肉を食べ、いつものように食事したい
人にとって鶏は、なくてはならない存在なのよ

いつもの鶏肉、いつもの卵
いつもと同じ私たちなのに、この酉年を越せないなんて
いつものように肉を食べ、いつものように食事したい
人にとって鶏は、なくてはならない存在なのよ

「2005年が過ぎ去りました。
 どうか不幸という不幸が一切、過ぎ去っていってしまいますように…。
 そして、この世のすべての鶏のヒナたち、家鴨のヒナたち、子供たちがみんなみんな、健やかに成長しますように…。
 世界が健康と平和に満ちることを心よりお祈り申し上げます。
 人間にとって鶏は、なくてはならない存在なのです。」

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by koharu65 | 2009-03-10 21:07 | 中国・中国語

言葉と感情


大好きと
言う自分の言葉に
縛られる

好きだから好きと言うのか
好きと言うから好きなのか

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by koharu65 | 2009-03-08 12:54 |

横浜へ

 
c0173113_10524884.jpg 玄関を出たとき空がうす曇だったので、今日は富士は見えないな、と思った。けれど新幹線に乗る際、念のため山側の席を選んだ。すると富士川のあたりで、雪を頂いた富士が雲の上にくっきりと頭をのぞかせていて、幸先がいいと思った。
 熱海では桜が咲いていた。
 小田原を過ぎしばらくして、空に、鋭いくちばしを持った戦闘機が見えた。

 横浜で用事を済ませ外に出たら、小雨が降っていた。帰りはシーバスに乗るつもりで楽しみにしていたが、傘を持っていなかったし、コーヒーを飲みながら観覧車を眺め、しばらく迷った。船に屋根があるだろうか。馬鹿な心配だ。屋根はあるに決まってる。
 コートの前を合わせ、小走りで桟橋の待合室まで走る。受付の女性が一人。白い合羽を着た年配の係員が二人、たった今船を見送って入って来た。客は誰もいない。10分ほど待って、船が着く。

c0173113_10525984.jpg 船に乗るのはどのくらいぶりだろう。ゆらゆらと揺れる床が揺りかごのように心地よい。たったひとりのために船は出発する。贅沢な気分。雨だから室内にしかいられないかと思ったら、低い屋根に守られてデッキにはほとんど雨が吹き込まなかった。それで外に立った。船尾で船のプロペラが立てる泡を見るのが好きだ。エンジンがぐわぐわと力強く働いて推進しているのが実感できる。そういえばどの客船も船尾にはたいてい日の丸を掲げている。
 ベイ・ブリッジが灰色の線になってぼんやりと見える。いくらも走らないうちに、河口に入り、橋をふたつ、みっつ、くぐった。狭い場所で水が岸壁に押しやられてぐぐっと盛り上がる。
 もうすぐ船つき場というところで、カモメが水面に浮かんでいた。一週間前に見た夢の中のカモメだろうか。空に電線はないしカモメの数もそれほど多くないから、ここなら床を蹴ったら高く飛べるだろうか。いや、落ちて海の藻屑となるのが関の山か。それもまた一興かな。

 水曜日、横浜に行ったときのこと。
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by koharu65 | 2009-03-07 11:06 | 国内旅行
 子供の頃から、死ぬことが怖くて怖くて仕方がなかった。だからなるべく死について考えないようにしてきた。だが、最近になって、死というものは実はそれほどおおげさなものではないのではないか、と思うようになった。
 死はこちらの部屋から隣の部屋に移るようなもので、その境は一本の線にしか過ぎない。それは壁のすぐ向こうに常に存在しているし、いつか必ずドアを開ける日が訪れる。
  “死ぬ準備”或いは“死ぬ覚悟”をし始めなければならないと思う。いつかいやおうなしに訪れるその日のために。自らの意思で穏やかな気持ちで、ドアのノブに手を掛けたい。
 「生の真っ只中で死を念頭に置くのは今ある生を満足のいくよう生ききるためだ」と言ってしまえればかっこいいのだけれど、そういうのともちょっと違う。満足のいくように何かを追い求めて生きるよりも、穏やかな終末を迎えるためにいろんなものをそぎ落としていかなければならない。(でなければ、生の限界をどう乗り越えよというのだろう。)
 金銭や名誉や物に対する執着はもちろん、愛もまた憎しみや苦しみを生み出す。誰かを愛したり、この世を愛したりすることが、執着や喪失の苦しみに繋がるのだとしたら、愛そのものを断ち切るという選択があってもよいのではないか。(むろん愛の種類ということを考慮しなければならないが。)
 煩悩や欲を振り払い、心頭滅却し、明鏡止水の境地に至ることができればどんなによいだろうと思う。

 と、そんなようなことを考えていたら、五木寛之の『人間の覚悟』という本が話題になっているということを知った。もしかして何か参考になるだろうか、と思い、とりあえず購入。字が大きくて読みやすい文章なのに、なかなか読み進めず。ちょっとずつちょっとずつ読む。全部読み終わってから、また感想を。
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by koharu65 | 2009-03-05 23:19 | 雑感

教訓

 時々私はとんでもない思い込みや考え違いをし、その思い込みに基づいた発言や行動によって顔から火の出るような思いをすることがある。自分が恥をかくだけならまだしも、その結果人に迷惑をかけることもある。

 数年前のこと、初めて訪れた街で老夫婦に道を尋ねられた。私はてっきりその場所を知ってると思い込んだ(初めての場所なのに!)。そこでにこやかに笑みを浮かべ、「同じ方向ですから」と、先に立って道案内を始めた。ところがしばらく歩いても思ったような場所にたどり着かない。仕方なく人に道を聞くと、それは正反対の方向にあった。今来た道をそのまま戻らなければならない。
 夫婦はもうわかったからと丁寧に頭をさげ、二人で歩いていった。夫の方は足が弱く杖をつきながらであった。

 つい先日も、ちょっとした思い込みと勘違いによる発言で恥をかいた。
 よくよく考えてみると、つまりは確かでもないことを「知ったかぶり」をすることがいけないのだ。(ああ、しかし、その時は自分では確かなつもりなのだ。)それに、人を教え導きたいという不遜な欲求がいけない。

 教訓をふたつ。
 「知ったかぶりの親切より、冷静な判断力が人を助く」
 「謙虚さ一番、プライド二番。(三時のおやつは文明堂♪)」
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by koharu65 | 2009-03-03 17:54 | 雑感