過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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 このたびの政権交代は熱烈な民主党支持というより、自民党への失望と怒りの表れではないだろうか。草食動物だって自分と守るべき仲間の生命に関わるような危機的状況に際して、怒りをもって立ち上がることがあるのだということは、興味深い事実だ。
 すぐに大きな変化が訪れることはないかもしれない。むしろ、もし民主党に代わることが目に見えるほどの劇的な変化を急激にもたらすものだとしたら、多くの人は民主党に投票するのを躊躇していただろう。ほんの少しの変化が、10年、50年、100年先の未来を変えてしまう。今はほんの少し道の角度がずれただけでも、そのまままっすぐ先へ進めば進むほど、元の道との距離はどんどん広がっていく。

 だから、みなさん、長い目で見ましょうね。すぐにすぐ、だめだと批判するのはやめましょう。皆で選んだのだから、皆で新しい政治を育んでいきましょう。

 新政権はアジア重視だそうなので、日中関係もしばらくは友好が保たれるだろうと期待します。
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by koharu65 | 2009-08-31 21:13 | 雑感
 思いついて、童謡『てるてる坊主』の歌詞を中国語に訳してみました。中国語から日本語への訳ならまだしも、日本語から中国語へは自力では無理なので、友人の助けを借りて訳しました。
 

 


てるてる坊主 てる坊主
あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに
晴れたら金の鈴あげよ

てるてる坊主 てる坊主
あした天気にしておくれ
私の願いを聞いたなら
あまいお酒をたんと飲ましょ

てるてる坊主 てる坊主
あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら
そなたの首をチョンと切るぞ

晴天娃娃 晴天娃娃
明天给我个大晴天吧
要是能让我看到那个梦里的晴空
我就给你个金铃铛

晴天娃娃 晴天娃娃
明天给我个大晴天吧
要是能满足我的愿望
我就给你喝甘美的酒

晴天娃娃 晴天娃娃
明天给我个大晴天吧
要是明天还下雨
我就剪掉你的头


 最後の一行「そなたの首をチョンと切るぞ」ですが、このユーモラスな感じを中国語に訳すのは難しいみたいです。中国語だと、ただ「お前の首を切るぞ」としか言えない。
 ひとつに、「チョンと切る」の「チョン」という音に軽妙さとかわいらしさが表されていて、生々しさが削がれています。それからもうひとつおもしろいのは、「そなた」という二人称の使い方です。「お前」だとなんだかやっぱり生々しいし、居丈高な感じがします。いかにも上から目線という感じで。でも「そなた」と呼びかけることによっていったん相手を持ち上げておいて、「首を切るぞ」と脅す。このギャップがユーモラスな感じを引き出しているのではないかと思います。
 そう考えると、一番二番の歌詞ともよく呼応します。金の鈴をあげるからね、おいしいお酒も飲ませてあげるからね、と言ったり、「そなた」と呼びかけたり、猫なで声でご機嫌を取りつつ、最後に「首をちょん切るぞ」と脅す。実社会でしばしば使われていそうなテクニックです。
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by koharu65 | 2009-08-28 14:37 | 中国・中国語

山寺の和尚さん

 親戚の子どもたちが集まって大賑わいだった夏休みも、もうすぐ終わろうとしています。いつもの静けさが戻ってきました。ほっとするような、さびしいような…。
 以前子どもたちに童謡を歌ってあげたりしても反応が鈍かったので、今時の子どもたちには童謡はテンポもメロディーもゆったりしすぎていて退屈なのかと思っていました。ところが、この夏、ふと思いついて、子どもたちの前で『山寺の和尚さん』を歌ってみました。そしたらこれがどの子にも大ウケ。すぐに覚えて、みんなで大合唱しました。(一番の歌詞だけですが。)
 ちなみに、私はこの歌詞が大好きです。和尚さんがマリがないからと猫をかん袋に入れて蹴る、なんと滑稽でシュールな光景でしょう!

 You tubeで探したら、作曲家の服部良一さんがこれをジャズ風にアレンジしたものがありました。私が覚えたのも、わらべ歌の方からではなく、この服部さんの手になる曲の方だったのかもしれません。ジャズ風のこのリズムが強く印象に残っていて、自分で勝手に合いの手を入れたりしてましたから。

 歌は31秒後から始まります。
 歌詞はこちら


  
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by koharu65 | 2009-08-23 15:35 | 雑感

人形の表情


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 人形の新作です。今までで一番表情がいきいきと、しっかりとしていて、とても気に入っています。以前同じ型紙で作った人形と並べてみました。
 母が
「前のは、初めて作って自信がないから、表情もやっぱりどこか自信なさげで弱々しいね。」
と言うので、私も
「うん、そうそう。そのとおり。」
と同感しました。
 すると、傍でそれを聞いていた父は、女子供が何を言ってるんだ、とばかりに、にやにや笑います。作り手である人間の気持ちが人形の表情に映し出されるなんて、ばかばかしいことだと思っているようです。

 母は、クララとハイジみたいだね、とも言いました。
 さて、どちらがクララで、どちらがハイジでしょう?
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by koharu65 | 2009-08-19 14:22 | 人形作り

古本屋

 家から自転車で十分ほど行ったところに、全長五百メートルほどの商店街がある。かつては神社の門前町として栄えた通りだが、ご多分に洩れず衰退の一途をたどっている。
 そこに、等間隔に、古本屋が3軒もある。最近流行の“本のリサイクル店”ではなく、昔からある純粋な古本屋だ。間口が狭くて奥に細長い。一軒は漫画専門で店内の雰囲気も少し明るめだが、他の二軒は日に焼けて赤茶けた本が天井までうずたかく積まれ、薄暗くかび臭い匂いがする。そして、かび臭い本の山に埋もれて、時代から取り残されたような古ぼけた店主が店番をしていた。

 私は本を読むのは好きだけれども、古本屋に足繁く通う趣味はなかった。もっぱら新しい本を買う。
 2ヶ月ほど前、欲しい本が廃版になって手に入らないのでネットで検索してみたら、ネット販売もしている古本屋の在庫リストに書名が載っているのを見つけた。住所を見てみると、なんと近所の商店街だ。しかしよく読むと、トップページに「店主腰痛のため、しばらくお休みします。」という断わり書きがあり、がっかりした。
 店主の腰痛がよくなるのを待ちわびながら、ホームページをたびたび開いてみるが、いつまでも再開しない。とうとう直接足を運ぶことにした。玄関のガラス戸は内側にカーテンが引かれ閉まっている。ガラスには小さな張り紙があって、遠慮がちなあまり上手くない字で「しばらくお休みします」と書かれていた。

 その後、何度か様子を見に行き、三度目にとうとうガラス戸が開いていた。店頭で年配の男性が汗だくになって本を整理している。話を聞くと、店主は腰痛の手術をし、今はもう退院してよくなったが気力がなくなったので店を閉めることにした、と言う。私が欲しい本のことを伝えると、うーん、まだ倉庫に何トンと預けてあるからどこにあるのかわからないなあ、と言う。来週からセールをやるから、その時にもしかしたら店頭に並ぶかもしれない、と。

 セールに行った。店の中のすべての本が正札の半額になっている。店の奥には化粧っ気のない年配の女性が座っていた。店主の娘だろうか。慣れない店番、という感じではない。昔から店の一部であったかのように馴染んでいた。
 夏真っ盛りの昼下がり、間口が狭い店内には風も入らない。卓上の扇風機は店番の彼女だけに風を送っている。人ひとりがやっとの通路に立ち、棚を眺めながら、暑いな、と思ったら、私のその思考に感応したかのように店番の彼女が、「あつい…」と、つぶやいた。

 本の背表紙を眺めていたら、新本を売る書店よりずっと興味をそそられる魅力的な本がたくさんあることに気付く。結局欲しい本はなかったが、おもしろそうな本を何冊か購入する。
 帰りがけに、
「セールは、いつまでやってますか?」
と聞いてみた。店番の彼女は少し考えながら、こう言った。
「うーん、まだしばらくは、やってます。」
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by koharu65 | 2009-08-17 13:59 | 雑感

評判のよいお医者さん

先週の土曜日に胃カメラで胃の検査をしました。
胃はとてもきれいでした。
すると、ときどき訪れるあの胃の痛みは何なのでしょう?
ストレスで胃が痛くなるのはわかりますが、てっきり、そもそも身体的、物理的に悪いところがあって、その上にストレスが重なり胃が痛くなるのだと思っていました。肉体的には全く瑕疵がないのに精神的な事由だけで痛みが発生する、ということを身を以って知った次第です。
 
検査を受けた病院の医師の話を以前書きましたが、その病院には大先生(おおせんせい)もいらっしゃいました。私が診ていただいた先生のお父様です。
受付で、お年寄りが「大先生をお願いします。」と言っていたので、ああ、大先生がいるのか、と思っていたのですが、検査を待つ間ちょうど大先生の診察室のカーテンのすぐ前で待たされていたので、中の会話がよく聞こえました。
前回初めて診察を受けたとき、診てくれた若先生の物言いにまるでガマの油売りのようだと思ったのですが、大先生は熟練した八卦見でした。
年を取ればどこかしらガタが来るものです。大先生は患者の話を時間をかけてじっくり聞いていました。そして常に励ますような力強い口調で患者を安心させていました。
急に歩けなくなったという90代のおばあさんに
「痛い時は動かないで休んでな。だけど、あんまり動かないのもよくないだで。動かんと動けなくなるからな。動かんと。…。痛い時は動かんでな。」
と、白とも黒ともつかないような物言いはまさに、大ベテランの八卦見のようで。
この日も患者はひっきりなし。人気のある病院です。
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by koharu65 | 2009-08-12 21:13 | 雑感

地震

今朝5時7分、地震発生。
突然のゆれで飛び起きた。
とりあえず部屋のドアを開け、廊下に飛び出る。
階下に降りるほうが危ないような気がして、廊下で立ち止まったままゆれのおさまるのを待つ。
このままおさまりますように、家が倒れませんように、と祈りつつ。
こんな大きな揺れは生まれて初めて。
幸いに、棚のものが落ちたり、壁の漆喰が少々はがれ落ちた程度で済んだ。
ここはもう40年以上前から大地震の発生の可能性が言われている地域なので、地震への心構えは他の地域に住む人々より出来ていたつもりで、ゆれのおさまった後も自分では動揺しているつもりはなかった。けれど、もう一眠りしようと布団に戻って横になったら、余震が二度、三度。すごく怖い。一回目の大きなゆれよりずっと恐ろしく感じた。いつもの震度1、2度に対する、あ、ゆれてるかな、という程度の感覚と全く違う反応を心が示すことに驚く。怖くて横になっていられない。一度目の大きなゆれより、この余震の小さなゆれのほうがよっぽど“恐怖”を感じた。
それで、ひょっと思った。よく聞くPTSD(心的外傷後ストレス障害)という症状は、こういう心理的作用がもっと強烈に作用したものなのかもしれないと。
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by koharu65 | 2009-08-11 23:21 | 雑感

大ダコ襲来(夢の話)

 久しぶりに夢の話。印象に残った場面だけを。

 洪水で家の中に水が入り込み部屋がまるまるプールのようになっている。そこへ人間の4,5倍もあるような大きさのタコが入って来た。タコと私たちは鉄格子によって隔てられている。
 タコは格子の間から、吸盤の付いた触手をにゅるにゅると伸ばしてくる。八本どころか、大きいのやら小さいのやらいろいろ、何十本いう触手が鉄の棒の隙間から伸びてくる。タコの吸盤が半透明で美しい。
 私は鉄格子を挟んでタコのすぐ間近にいて、部屋の真ん中に集まっている人たちに向かって、
「早く、ハサミを!」
 と叫ぶ。
 確か家にはすごくよく切れるハサミが一丁、あったはずだ。それを早く寄こせば、タコの足が気持ちよいほどザクザク切れるに違いない、と思う。
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by koharu65 | 2009-08-04 21:16 | 夢の話

ようこそ 夏よ


 ようやく梅雨が明けた
 一夜にして空気が入れ変わった

 夏の空
 夏の雲
 夏の匂い
 夏の風

 ようこそ 夏よ

 
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by koharu65 | 2009-08-03 23:04 | 雑感

『わたしのきもち』


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 姪に10歳と9歳の姉妹がいる。背丈は同じくらいだけれど、姿形と性格はずいぶん違う。姉は私の両手ですっぽり包み込めるほど顔がきゅっと小さい。髪の毛がこわくて、ショートにしている。見た目も性格もボーイッシュだ。妹は顔も手足も赤ん坊のようにぽっちゃりとしている。バレエを習っているので、長く柔らかな黒髪をときどきお団子型にまとめて頭のてっぺんに乗せている。いかにもお嬢さんといった感じだ。
 先日、姉妹の母親が風邪気味で頭痛に悩まされていたので、二人を預かるために迎えに行った。妹は自分で準備万端整え出発するばかりの状態。母親に「××、持った?」と聞かれると、「あっ、忘れた。」と一言、自分でささっと取りに行く。姉はあれがない、これがない、と走り回っている。母親に怒られると、すぐさま文句を返す。いらだつ母親と真正面から対決する。親子してギャーギャー大騒ぎだ。妹は触らぬ神にたたりなし、とばかりに知らん顔を決め込む。
 では姉が人の気持ちを慮れない性質かというと、そんなことはなくて、感受性が鋭くすぐに感情移入するので同情心も人一倍強い。他人のことで心から喜んだり悲しんだりする。妹は大人のようによく気を使うし周囲への気配りを怠らない。でもいつも“いい子ちゃん”かというとそうでもなくて、口が立つので、姉が失敗したりわがままを言ったりするとすかさずそこを突いてくる。小姑のようにうるさい。姉はそれほど口が達者でないので言い返せず、思わず手が出てしまう。
 世間一般で言えば、社会的適応力が優れていると評価されるのは、妹の方かもしれない。けれどそのことと人の気持ちを理解しているかどうかということはまた別のことで、姉の方だっておそらく、人の気持ちをきちんと理解できる。でもそれ以上に彼女は自分の気持ちを大事に思っているのだ。妹の方は時々、見ていてあまりにも気を配りすぎるので、大丈夫かな?と思うときもあるけれど、聞くところによると意外と頑固で自分でこうと思ったことは絶対に譲らないという。
 そんなふうに二者二様で、それぞれの個性が強く出ているところを見ているととても愛らしく思う。
 
 ところで、NHK教育テレビの幼児向け番組に『わたしのきもち』という番組がある。「人とコミュニケートするときのコツ= “適切なやり方”を子どもたちに伝え、そのコミュニケーション力を高めることをねらいとする番組」だそうだ。
 偶然この番組を見たとき、なんだか変だと思った。遊び仲間の子が事情があって落ち込んでいるにもかかわらず、「遊ぼうよ、遊ぼうよ」と無神経にしつこく誘う男の子がいて、そういうやり方はだめだよ、という寸劇であった。先日再び見た時には、「人の表情をよく見てまねしよう。そしたら人の気持ちがわかるようになるよ。」と言っていた。
 言ってることに間違いはないので、どこがどう変なのだと聞かれるとなかなか上手く説明できない。
 大人のマナー教室ならそれは“技術”や“コツ”でいいと思う。社会ルールに則ってマニュアル的に学ぶ必要があるかもしれない。でも幼児が学ぶ人間としての基礎的なコミュニケーション力は“技術”なのだろうか?マニュアル的に“コツ”を学ぶことができるのだろうか?こういう場面ではこう反応するなんて決まった“やり方”があるものだろうか?という疑問がひとつ。
 もうひとつは、『わたしのきもち』と題しながら、内容が「他人のきもち」を中心として構成されているんじゃないか、ということ。先に「私のきもち」があってそれが「他人のきもち」とぶつかるときどう折り合いをつけるかではなく、トラブルを回避するために先まわりして「他人のきもち」を読み取って、「私のきもち」を「他人のきもち」に沿わせようとする、この番組はそんな術を教えようとしている。番組の題名を『わたしのきもち』ではなく、『ひとのきもち』としたほうがふさわしいんじゃないだろうか。人間と社会に対する根本的な認識について、私の嗜好と相容れないものを感じる。


我々は誰しも、一人の例外もなく、最初は自分の心の孤独の中で生きることから始め、それから与えられた材料と他者との交流を活用して、自分の必要に似合った外界を作る。
(サマセット・モーム『サミング・アップ』岩波文庫より)

  
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by koharu65 | 2009-08-02 17:21 | 雑感