過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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 久々に漫画本を購入。山岸涼子の『舞姫(テレプシコーラ)』(メディアファクトリー)。古本屋にて全10巻のところ5巻目だけ手に入らず。その巻だけ新品を買う。やっぱり新品はページをめくる感触が違う。全巻新品を買うべきだったかと少々後悔。一気読みする。
 最終巻、ぽろぽろと涙が止まらない。さすが大御所。どうしてこんなに繊細な心理描写ができるのか。今、若い少女漫画家でこういう話を描ける人がいるだろうか。
 バレエを習う10代の女の子の物語。第2部が雑誌『ダ・ヴィンチ』にて連載中。
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by koharu65 | 2009-09-28 21:56 | 本・小説・映画

またまた文化人形

 生地屋でかわいい布を見つけたので。伝統的な文化人形とはちょっと趣が違うものができました。


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by koharu65 | 2009-09-27 20:47 | 人形作り

ニュースの軽重

 先週、花王のエコナシリーズ全商品が、発がん性物質を含む可能性がある*ため、出荷停止された。
 そのニュースを耳にしたとき、「へえっ」とびっくりした。大きなニュースだと思った。だってエコナと言えば、体にいい油とかで、CMでずっと大々的に宣伝してきたし、なにしろ国が“特保”というお墨付きを与えている。
 “特保”とは“特定保健用食品”のことで、体に生理的にいい影響を及ぼす成分が含まれていることが科学的に証明された食品である。
 体にいいんですよ、と声高に宣伝してきた商品が一転して体に悪かったとなれば、メーカー側で意図した結果でないにせよ、宣伝文句を信じて使ってきた消費者からすれば、これは大きな詐欺なんじゃないかと、まずはそれで「へえっ」と思った。これは大問題なんじゃないかと思った。発がん性物質が含まれる疑いは3年ほど前からちらほらと言われてきたようだ。全然知らなかった。
 しかし、私の感じているそのニュースの重大性に比べて、報道の扱いが小さいような気がしてならない。どこも、メーカーの自主的な出荷停止という事実に、安全性には問題ないというメーカー側の主張を付け加えた型通りの記事を淡々と伝えるだけで、それ以上は触れようとしない。
 それに比べて、酒井法子を追いかけるマスコミのパワフルなことといったら!叩いても面倒がない相手となればマスコミは容赦なく群がる。
 別に酒井法子をかばうわけじゃないけれど、そもそも起訴になるかどうかすら微妙なところだった。若者の間に蔓延するクスリを社会的問題として世間に知らしめるための見せしめ的意義はあっても、それほど躍起になって彼女個人を追いかけるほどのものじゃないと思う。この件でのマスコミの大騒ぎは、滑稽なほどだ。

 話題ついでにちょっと余談。
 拘置所から出てきた彼女はとても美しかった。一ヶ月半も不自由な場所にいたのに、髪はつやつやさらさらで、顔も去年の夏の映像よりふっくらとして色艶がよく、感嘆した。あらためて、とても魅力的な人だと思った。


*訂正: (誤)発がん性物質を含む可能性がある→(正)発がん性物質を生成する可能性のある成分を含む
 
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by koharu65 | 2009-09-25 22:22 | 雑感

文化人形の原型

 文化人形は頭と胴がつながっている。一枚の布を袋状に縫ってパッキンを詰め、詰めながら真ん中あたりを紐でぎゅっと縛る。上のふくらみが頭で、下のふくらみが胴、縛ってくびれたところが首になる。
 紐をぎゅっと絞っていて気がついた。
 「あ、これは・・・、てるてる坊主だ」
文化人形の原型はもしかして、てるてる坊主なのか!?

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by koharu65 | 2009-09-22 14:09 | 人形作り

まとめ(9/15-9/17)

 心とはどうしても一所に留まりがちである。心が一所に留まると、それは思いつめて氷のように凝り固まって自由でなくなる。全身に心が行き渡らなくなる。そこで、氷を溶かして水にし手足や頭を洗うように、心を全身に延びるように用いる。そうすれば心は十全に働き、身体は軽々と用を果たすことができる・・・そうだ。
 一枚の葉に気をとられず、水のような自在な心で一本の木に向かい合えば、一枚の葉のみならず、すべての葉が残らず目に見えるようになる…らしい。

(「これはしかし非常に鍛錬を要する事である。」鈴木大拙・前出)
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by koharu65 | 2009-09-18 21:23 | 雑感
 
 本心と申すは、一所に留らず、全身全体に延びひろごりたる心にて候。妄心とは何ぞ。思ひつめて、一所に固まり候心にて、本心が一所に固り集りて、妄心と申すものに成り申し候。本心の失せ候はば、所々の用が欠ける程に、失わぬ様にするが専一なり。たとえば、本心は水の如く一所に留まらず、妄心は氷の如くにて、手も頭も洗はれ申さず候。氷を解かして水となし、何処へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし。心一所に固り一事に留り候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候。心を溶かして総身へ水の延びるやうに用い、其所に遣りたきままに遣りて使ひ候。是を本心と申し候。
(沢庵著『不動智神妙録』)

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by koharu65 | 2009-09-17 21:46 | 抜粋

 心が一度、どこか身体の一部分に捕えられていると新たに働くときは、その特定の場処から取出して、いま要するところに持ってこなければならぬ、この転換はじつに容易ならぬ仕事である。心は一般に「止」まらせられたところに、停滞することを欲する。転換が楽になされるときですら、時間はかかる。自分のところになつかせたいと思って猫をつないでおくように、心を、その場処場処に括りつけておいてはならぬ。
(鈴木大拙『禅と日本文化』)

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by koharu65 | 2009-09-16 21:09 | 抜粋
 
 一本の木に向うて、其中の赤き葉一つを見て居れば、残りの葉は見えぬなり。葉一つに眼をかけずして、一本の木に何心もなく打ち向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候。
(沢庵著『不動智神妙録』)

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by koharu65 | 2009-09-15 22:21 | 抜粋
 『青春の北京』西園寺一晃著(中公文庫・1973年)を読んだ。古本屋で偶然手にした本だ。
 
<著者紹介>
昭和17年(1942)東京に生まれる。
日中間の国交未回復の多難なおり、“民間大使”として活躍しつづけていた父西園寺公一氏の長男として、昭和33年赤坂中学在学中に家族とともに中国に渡り、10年間を北京で過ごす。
その間、中ソ論争、文化大革命を体験する。昭和41年北京大学卒業。
(表紙裏著者紹介より)

 中学3年生で著者は父親の都合で家族とともにまだ国交のない中国に渡る。15,6の多感な時期に不安を抱えながらも着いてすぐに言葉のわからない現地の学校に通いどんどん溶け込んでいく。若さゆえの順応性ってなんてすばらしいと思う。一方で、柔らかで真っ白な心は染められやすく、情熱に駆り立てられやすいということも思った。
 日本の60年代、安保闘争で学生たちが自らの信念に基づいて行動を起こしたように、同時代の中国の文化革命もまた、その渦の中心は学生たちであった。著者の西園寺一晃は外国人でありながら中国人の同年代の若者と同じようにその渦の中心にいて、いるだけではなく行動をも共にした。
 本書は、文化大革命を歴史のひとコマとして客観的に眺めるのではなく、当事者としての目線で、しかも革命的思想に燃えた情熱の炎がまだ収まらぬ時期に書かれた。後世の私は 、文化大革命に対して、偏った思想に盲目的に追随した若者たちの暴走という漠然としたイメージしか抱いていなかった。しかし、本書を読むとそれだけでないことが見えてくる。特定の思想を盲目的に信じる大衆と、思想とは別の次元で政治的闘争を繰り広げ、闘争の道具として大衆を巧みに操作しようとする権力者たち。権力を持つ者と、持たざる者たちとでは、物事の見え方、捉え方が全く異なってくるようだ。

 著者は権力を持たない者として激動の最中にいて、いったい何が起きているのか全体像を正確に見据える立場になかった。それにもかかわらず、また盲目的に当時の熱に浮かされた若者の一人であったにもかかわらず、不思議なことに彼の筆によって描き出された情景は著者には見えていないものを読者の現前に浮かび上がらせている。
 例えば、学内で方針がころころ変わる。学生への締め付けと支持・鼓舞が波のように繰り返し押し寄せる。一連の論文に対する評価が二転三転する。現代の読者だったら、これらは上層部で起こっている激しい権力闘争の現れだと理解する。しかし、当時の著者は、これらは人民の幸福のために高邁な理想を追求しようとする社会主義の思想と、一部の資本家に支配され労働者が搾取される資本主義との闘争だと考える。思想と思想の闘争であるので、外部にある具体的な個人や組織だけでなく、自己の思想的弱点や意志の弱さも敵だとみなされ、厳しい自己批判が要求される。それが学生たちにとっての文化大革命であった。

 この違いは、人間を個々の人間として捉えるか、それとも思想を絶対として人間を理想の思想に型にはめるように当てはめていくか、という違いでもあると思う。
 今では、後者は既に時代遅れとなったようだ。
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by koharu65 | 2009-09-13 15:58 | 本・小説・映画

見えない汚れ

 最近、「見えない汚れを落とす」という洗剤のコマーシャルをよく見かける。今に、「臭わない匂いを取る消臭剤」とか、「聞こえない音を遮断する防音壁」なんていうのも出てきたりするかもしれない。
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by koharu65 | 2009-09-10 20:58 | 雑感