過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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たばこ考

 低所得者層の方が喫煙率が高いという話を聞いた。
「なぜだろうね?」
「そりゃあ、低所得者の方が苦労が多いからでしょう。」
と、母が即座に答えた。

 二ヶ月ほど前のある日、父が突然、今日病院へ行ってきた、と言った。
「どこか具合が悪いの?」
と聞くと、病院で薬を貰って禁煙するのだという。そういえば、その少し前に盛んに病院で受ける禁煙プログラムのことを話題にしてたっけ。保険が効く病院と効かない病院がどうのこうのと。禁煙するぞ、という宣言も意気込みもなく、ひとりで黙って病院へ行って始めるとは父らしいと思った。
 50年以上吸い続けてきたタバコをやめる理由は、まず第一に健康の問題。最近血圧が高いことを気にしていた。それからタバコが大幅に値上げするという話があったから。
 一日一箱、吸ってきた。ハイライト。労働者のタバコ。軽いタバコが流行りだして、最近ハイライトを置いてないところがあるんだよな、と父がぼやくのを聞いたのは、もうずいぶん昔のことだ。軽いタバコに変えようとしたこともあったらしい。しかしそうすると吸った気がしない。吸った気がしないなんてタバコをのむ意味がない、かえって本数が増えると、またハイライトに戻した。

 数年前に近所のいきつけのタバコ屋が店を閉めた。それからしばらくして、カードがないと自販機でタバコを買えなくなった。早くカードを作らないと、と勧めても父は、面倒だといって、結局作らなかった。最近、家のすぐそばにコンビニができて、コンビニで買やぁいいんだと言った。初めてコンビニでタバコを買うとき、
「ハイライト」
と言うと、店員が
「何番ですか?」
と聞き返してきたそうだ。父が何のことかわからずしばし考えをめぐらせていると、店員はカウンターの後ろの上の棚を端から目で追い、ハイライトを探し出した。
 父は後日、コンビニで他の客が銘柄を番号で指定してタバコを買うのを目撃した。
「棚に番号がふってあったんだよ。その番号を言って買うらしい。はは。」

 私はタバコの匂いをあまり気にしない。それは幼い頃からタバコを吸う父がそばにいたからかもしれない。タバコの匂いと父の匂いが重なるのだろう。匂いは記憶と結びつく。
 車がまだめずらしい時代、田舎の子どもたちは走る車の後を追って車の排気ガスの匂いをかいだそうだ。排気ガスの匂いは、文明の香り、都会の香りだった。今の時代、タバコの匂いは野蛮な匂いと化している。

 さて、父の禁煙は順調に進んでいる。薬が全然効かない、とぶつぶつ言いながら。タバコをのみたくならない薬のはずなのに。
 最近、風邪を引いた父は、
「タバコを吸ってたときは風邪なんて引かなかったな。タバコもコーヒーもどうやら殺菌の役目をするんじゃないか?」
と言う。
 いや、そんなことないと思うな、お父さん。あなたはタバコを吸ってたときも風邪を引いていたと思いますよ。
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by koharu65 | 2009-12-23 20:51 | 雑感
前回からの続き。

 これまで、『[風迅洞私選]どどいつ万葉集』(徳間書店)という本の中から、私の気にいった“句”を紹介してきました。最後に、私の好きな“作者”の句を紹介したいと思います。
 本ではあいうえお順の作者ごとに句が並べられているのですが、あ、この句いいな、と思って次の句に進むとそれもやっぱりよい、次もまた、と思う作者があって、どこがどう好きなのか自分でもよくわからないのですが。たぶん感覚的なものなのでしょう。


富永谷衣
泣けば子とりがすぐ来るなどと 恐い浮世の知り初め
今宵生まれる海月(くらげ)もあろう 朧凪ぎきる春の海
二人きりをと願っていたに なぜか淋しい二人きり

佐々木左右
今宵限りとこめたる靄(もや)が 明けてそのまま初霞
暮れりゃ朧の八百八町 明けりゃ霞の四里四方
ざくりざくりと初蓮根の 刻み心地となる厨
泣きのなみだを傘松へ 雨と濺(そそ)いで帰る雁
崖の高さに我が身を置いて 独り味あふほととぎす
 一句目、靄(もや)と霞(かすみ)の違いは、靄(もや)よりも濃くて見通しが悪いのを、霞(かすみ)というそうです。それから靄(もや)はいつの季節にも使えますが、霞(かすみ)は春の用語です。今夜だけだと思っていた靄(もや)が、翌朝には意外にもより濃くなり、それがそのまま春の初霞(はつがすみ)となって視界をさえぎる。
 二句目、朧(おぼろ)と霞(かすみ)は同じものですが、出る時間で区別されます。夜に出るのが朧(おぼろ)、昼に出るのが霞(かすみ)です。
 人生とは、いつまで経っても晴れることのない霧(きり)のなかをおぼろげな景色を頼りに進むようなものだという気がします。人の世もまた同じ。右を向いても左を向いてもなにもかもが曖昧模糊としています。
 今宵限りの靄(もや)は明けて翌日そのまま霞(かすみ)となり、暮れれば八百八町は朧(おぼろ)に包まれ、明ければ四里四方は霞(かすみ)の中に。

 最後の句は“辞世の句”とのことです。崖の下には朧の中の八百八町、俗世から心を剥がし高いところでただ無心にほととぎすの声を味わう、そういう孤高の心境は静かで落ち着いたものでもあるし、また淋しかろうとも思います。


終わり。
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by koharu65 | 2009-12-21 21:34 | 本・小説・映画
前回からの続き。


[人生・世間]

落ちる真水にあしたのいのち 知らぬしじみが砂を吐く (榊原嵐歩)

故郷(くに)を出る朝駅までおれを 追ってきたのは月ばかり (鈴木虚心)

十人集まりゃ十色の顔が 十の心でものを言う (鈴木忠弥)

みつ豆の好きな妓(こ)でした入院中も たべていましたうまそうに (冬木悪太郎)

 一句目、人も同じ。澄んだ真水に吐く砂が、まるで俗世の汚れを吐くかのよう。
 四句目、難しい言葉も技巧も全然用いていないすごくシンプルな叙述なのに、なぜか胸にぐっときます。「入院中」という言葉と「でした」という過去形から、みつ豆が好きだったあの子は亡くなったのだと想像します。不遇な若い芸妓の、普通の女の子らしい無邪気な素顔が目に浮かびます。


[心意気]

指の出ている地下足袋乍(なが)ら 踏んで迷わぬ人の道 (谷口安閑坊)
 「心意気」とはこういうことを言うのだと思います。


二十五までは親兄弟に あとはあなたにやる命 (平山蘆江)
 人のために生きるなどという殊勝さは毛頭持たず、かといってなにがなんでも貫き通す自己をも持ち合わせていない中途半端な我が身を思いました。親兄弟や夫に「やる命」なのだという生き方を、ただ時代遅れだと切って捨てることができません。それとも「命をやる」というこの句に美学を感じてしまう私自身が時代遅れでしょうか。


[情景]

なめこおろしのなめこが逃げて 箸もしたたか酔っている (加茂如水)

蛍包めば燃えそな紙よ 苺包めば滲む紅 (楠木草人)

下がる風邪熱白湯ひと口が のどに甘くて萩茶わん (佐藤富貴子)

鳶が大きな輪を書きゃ中へ 小さい雲雀が点を打つ (弘田知秋)

土筆ゃ杉菜に娘は嫁に 呼び名変わって春が行く (美野香雲)

 一句目、「なめこが逃げる」「箸が酔う」という擬人化が、主人の酔い加減を見事に表現していると思いました。
 二句目、紙の薄さ、その薄さゆえに包んだものによって変化する自在さ、視覚的な美しさ。触れなば燃えん、触れなば染まらん、といった女性の風情を暗示しているようで。
 三句目、萩茶わんのやさしい厚み、やわらかな色合いがふっと目に浮かびました。


次回で最後です。
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by koharu65 | 2009-12-19 20:56 | 本・小説・映画
前回からの続き。


[男と女のかけひき]

石ころみたいな男の言葉 拾って女は隅へ置く (浅沼登)
 男の些細な言葉を、女は拾って頭の片隅にしまっておく。何の気なしに言った一年前、十年前のあなたの言葉を女はきちんと覚えています。男性諸君、お気をつけて。

五分と五分とで仕掛けた上は ひくにひかれぬ身の事情
 現代どどいつですが、よみびとしらずです。編者の聞き覚えによるものとして載せられていました。
 どちらが仕掛けたとはっきりしていれば、相手を責めつつ身を引くこともできるでしょうに。五分五分ならば、ひくにひかれなくなるのも道理。

嘘も上手に綴ったレター ペロリ切手をなめる舌 (村田紫蘭)
 ペロリと舌を出しながら、にやりと笑う女のしたり顔が見えてくるような気がします。

[罪]

ゆうべしたこときれいな雪の どこにかくせば消せるやら (河口さざなみ)
 いろんなものを隠して一面真っ白に飾る雪も、心の中のうしろめたさまでもは覆い隠せない。逆に雪の白さがよけいにまぶしくて。

高い敷居をまたいでそっと 罪をはがして着る寝巻 (笹川迷風)
 「高い敷居」と「罪をはがして着る」がぴりりと効いて、印象的な句です。外の女と内の女と、二つの世界を行き来する男の罪。そんな簡単に着替えられるつもりというのは男の都合のいい言い訳かもしれません。

[夫婦]

朝寝朝酒朝湯に入れて あとはタンスにある保険 (高井平万坊)
 夫を殺すに毒を盛る必要はないそうで。毎日カロリーたっぷり、贅沢三昧の食事を食べさせればよいと聞いたことがあります。

 もうひとつ、夫にとって怖い句を。

浮気してても愚痴こぼさずに いる女房もすねに傷 (若林いろは)
 韓流ドラマにはまっている妻を持つ夫は安心していていいそうですよ。そういう妻は絶対に浮気をしていないから。
 この句は、7775のそれぞれの頭の字を合わせた4文字が、ひとつの単語になっています。この場合、わきして…ちこぼさず…る女房…ねに…、で「うぐいす」。これは“折りこみどどいつ”といって、お題として出された四文字の単語を折りこんで作ったものです。昔、『笑点』でもやってたような。あれは57577の和歌だったかな?

たまに逢うからいい人なのよ よけりゃあげますうちの人 (長屋やす)
 妻たるもの、このようにどんと鷹揚に構えているのがよろしいでしょう。
 この句も折りこみどどいつです。まに…い人…けりゃ…ちの…、で「たいよう」。

となりの奥さん素敵でしょうと うちのかみさんぬかすこと (長谷川夜舟)
 これは女のトリックです。男は決して同意してはなりません。

この世の雑踏ゆくかみさんに 俺と子どもでぶら下がる (吉住義之助)
 うーん。これはなんとも。ぶら下がられたかみさんはたまったもんじゃありません。「この世の雑踏ゆくかみさん」はかっこいいけれど。


次回に続く。
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by koharu65 | 2009-12-18 20:36 | 本・小説・映画
前回からの続き。
現代どどいつです。

 古典どどいつは詠み人知らずで歌い継がれてきたものなので、より多くの人々の興味を引いた句が数多くの詩の中から自然と残されてきていると思います。それゆえに人の普遍的な感情が表現されていて多くの人の共感を呼びます。しかし一方で、作り手の顔が見えず、平板で型通りという面がないでもありません。
 その点現代どどいつは、読み手の個性が非常に強く出ているような気がします。異なる読み手の異なる性質や暮らしぶりが垣間見え、どの句にもそれぞれの味わいがあります。選ぶのに苦労しました。

 まずは「恋」の句から。(*分類は私の独断によるものです。)


恋の地下水流れは通う 胸と胸との二つ井戸 (有光牛声)
 「井戸」というのは偶然にも心理学用語である「イド」という言葉と音が似ています。(「イド」とは「純粋に快楽を求める本能的性欲動の源泉」で「エス」ともいう。)
 一人一人の胸の中の深い井戸が、地下水脈によって通じ合う、それが「恋」だと定義してもいいかもしれない。
 村上春樹に『ねじまき鳥クロニクル』という小説があります。その中にも「井戸」と「水の流れ」がモチーフとして出てきます。その時、私は、「井戸」は人の心の奥底、「水の流れ」は感情の流れを暗示しているのだと思いました。


すれ違う人の袖さえさわれば恋に どうやらなりそなおぼろ月 (須田栄)
 袖触れあうも他生の縁と言うけれど。おぼろ月、というのがミソですね。恋の始まりは、ぼわっとして、もやっとして、輪郭のはっきりしない月の光のようなもの?


わたしの心が溶けてくように 紅茶に沈んだ角砂糖 (馳崎あき子)
 この句だけがなんだかちょっと毛色が違うような、和菓子が並んだショーケースの中にひとつだけショートケーキが混じっているような、そんな感じがして心引かれました。ちょっと「サラダ記念日」っぽい感じです。


今日も逢ってるきのうも逢った 去年が恋しい日記帳 (船井小阿弥)
 燃え上がる熱い恋の想いを詠うのかなと思ったら、後半、オチがありました。ぐっと盛り上がるかとの期待をすっとはずして、さらになるほどと思わせるその展開がお見事。


まだまだあります。ちょっと疲れてきました。最後までがんばれるかな?
次回に続く。
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by koharu65 | 2009-12-17 21:46 | 本・小説・映画
前回からの続き。

 日本の詩歌に欠かせないのが花鳥風月です。どどいつにももちろん四季折々の情景に細やかな心情を重ね合わせた句が数多くあります。いえ、数多くどころか、『どどいつ万葉集』によれば、「古典都々逸に一番多いのはやはり四季有情」だそうです。
 春夏秋冬それぞれの季節から2句ずつ選んでみました。

[春]

君は吉野の千本ざくら 色香よけれどきが多い

春はうぐいす何着て寝やる 花を枕に葉をかけて

[夏]

土手の蛙のなくのも道理 みずにあわずにいるからは

分かりゃ二た根の朝顔なれど 一つにからんで花が咲く


[秋]

泣いていたのかうつむく萩を 起こしゃこぼれる露の玉

父よ父よとなくみの虫は こずえ力に秋の風

[冬]

じみな恋仲まことと誠 雪の白鷺ゃ目に立たぬ

不二の雪さえとけるというに 心ひとつがとけぬとは



 美しい情景が目に浮かぶような句が好きです。
 花を枕に葉を掛け布団にして寝るうぐいす、なんてかわいらしいんでしょう。
 うつむく萩をぽんとはじいたら涙のような露がぷるるんとこぼれる、可憐ですね。
 色鮮やかに燃えあがる人目につくような派手な恋とは違う、雪の白鷺が冷たく澄み切った空気の中に凛と佇むような地味な恋、けれど誠の恋、素敵です。

 蓑虫が「父よ、父よ」と鳴くというのがかわいいと思ったのですが、どうもその言い回しはどこかで聞いたことがあるような気がしてなりません。それで調べてみたら、枕草子でした。

蓑虫、いとあはれなり。 鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親の怪しき衣(きぬ)引き着せて 「今、秋風吹かむ折ぞ、来むとする。待てよ。」と言い置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、 「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
 枕草子以降、日本では、親に捨てられた鬼の子の蓑虫は秋になると「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くのです。


次回は現代どどいつです。
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by koharu65 | 2009-12-15 20:31 | 本・小説・映画
前回からの続きです。


可愛いお方に謎かけられて 解かざなるまい繻子の帯
 「解かざなるまい」という心意気どころか、謎をかけられたことすら気づかない朴念仁もいそうです。朴訥な人もむろんそれはそれで素敵だけれども。


こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった
  さて、いったいどうしてどうなったのでしょう?


どこで借りたと心も蛇の目 傘の出どこをきいてみる
  一首目、「謎を解く」と「帯を解く」とが掛詞となっていましたが、この句も「蛇の目(じゃのめ)傘」と「蛇の目(へびのめ)のような疑いの目」が掛詞になっています。短歌でもそうですが、掛詞によってイメージが重層的に膨らんで、たった26文字の短い語句に深い味わいをもたらしていると思います。


帯もできたし箪笥もできて そろそろ旦那と別れよか
  現代の愛人なら着物やタンスの代わりに、車やマンションでしょうか。それとももっと今風に軽く言うなら、「焼き肉食べてヴィトンも買った そろそろアドレス変えようか」なんて、どうでしょう?


 次は、男女の営みを詠んだ句、2首。淫らで卑猥なことを「ばれ」と言い、そういう句を「ばれ句、バレ歌」と呼ぶそうです。


二人手をとり静かに乗りな 行くも行かぬも棹次第
 そうなんですか…。棹次第なんですね…。いえ、私にはよくわかりませんが…。


山のあけびは何見てひらく 下の松茸見てひらく
 これは私にとって大変懐かしい句です。高校生の頃、名香智子さんという私の大好きな少女漫画家の描いた漫画を読んでいたとき、この文句が出てきました。あけびと松茸の絵入りで。その時この言葉は高校生の私の頭にしっかりと刻まれたのでした。どどいつだったんですね。この度初めて知りました。


さらに次回に続く。
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by koharu65 | 2009-12-14 20:18 | 本・小説・映画
 図書館で本の背表紙を眺めていたら、たまたま目についたのが『どどいつ万葉集』という本(編者:中道風迅洞)です。なんとなく興味が惹かれて借りてみました。

 どどいつ(都都逸)とは、7・7・7・5で構成される26文字の詩で、頭にさらに5文字を乗せた31文字のものもあります。もともとは三味線とともに寄席や座敷で節をつけて歌われた俗謡だそうです。

 
↓こんな感じです。どどいつは1分25秒あたりから始まります。


弱虫がたった一言小さな声で 捨てちゃいやよと言えた晩

 詩の内容そのものが色っぽいのですが、芸者さんが三味線で歌うと余計に艶っぽくなまめかしいですね。芸者だけじゃなく、太鼓持ちや芸人も歌います。


 さて、『どどいつ万葉集』には、俗謡として歌い継がれてきたよみ人知らずの古典どどいつと、明治以降文学的な詩作という意味合いをもって作られた現代どどいつと、合わせて840余りの句が載っています。
 その中から、私が気に入った句をいくつか、感想とともに紹介したいと思います。

 まずは古典どどいつから。

星の数ほど男はあれど 月と見るのはぬしばかり
 振られた人をなぐさめる時よく「男なんて星の数ほどいるわよ」「女なんて星の数ほどいるさ」などと言うけれど、そうじゃないんですよね。世の中に男(女)は星の数ほどいるけれど、「あの人」は私にとってたったひとつの月なのです。


あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す
 「どこが悪い?」というのはもちろん「あの人のどこが悪いっていうの?」と問い返しているのだけれども、他人にどこがいいのと尋ねられるような人を好きになってどこが悪いの?、そんな人を好きになったっていいじゃないの、という気持ちが滲み出ているようにも思えます。とやかく言わないでよ、好きになっちまったもんは仕方ないじゃないの。


ぬしによう似たやや子を産んで 川という字に寝てみたい
川という字はそりゃ後のこと せめてりの字に寝てみたい
 前の句はごく普通というか、型通りの古風な女性像の口から出る言葉という感じですが、後の句がいい。並べてみると余計におもしろい。男性は、貴方の子どもを産みたいわ、なんて言われたらちょっと引いてしまいますよね?(そんなことないかな?)でも、「貴方とりの字に寝てみたい」なんて言われたら、どきっとするんじゃないでしょうか?
 後の句は男性が詠んだと見てもおもしろいかと思います。将来の幸せな絵図を思い浮かべる女に対して、まずはそれより目の前のこと、と持ちかけるのは男の性(さが)。


 まだまだあります。
 続きは次回。
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by koharu65 | 2009-12-13 18:26 | 本・小説・映画
 夢の話。
 歩道橋の上で女に会った。女は生身の女ではなく、幻想の女のようだった。私はその女が恐ろしくてたまらない。生身の人間でないのなら殺してもかまわないだろうと、恐ろしさに震えながらナイフを持って女に体当たりした。女は胸から血を流しながら倒れもせず、冷たい顔のままじっと立っている。私はますます恐ろしくなって、どうしてもこの女を葬り去らねばなるまいと思う。それで、もう一度体当たりして、歩道橋の手すりに追い詰め、足を持ってひっくり返した。女は橋の下へ落ちた。
 一刻も早く立ち去らなければならない。私は足早に歩道橋を降りて駅へと急ぐ。真夜中だというのに、すれ違う人が少なくない。私はマフラーで顔を半分隠し、視線を避けながら小走りに走る。もうすぐ駅というそのとき、すれ違った女性に声を掛けられた。「××さん」と私の名を呼ぶ。知り合いだ。私は人違いを装って彼女の声を無視した。しかし彼女はあきらめず、私の名前を呼びながら追ってくる。
 それで私は、このまま駅のホームから線路に飛び込んで自殺を装うことを思いつく。本当に飛び込むのではなく、私が強く想像すれば、彼女にはそういうシーンが見えるはずだ。私の想像によって、彼女にそういうシーンを見させるのだ。実際それは成功した。ちょうど電車が来た瞬間、私は階段を駆け上がったその勢いのまま線路に飛び込んだ。そういう場面を強く頭に思い描いた。すると彼女はその場面を目の当たりにして叫び声をあげ、泣き崩れた。
 私は電車に乗り込んだ。
 座席は満員で、立っている人がぽつりぽつりといる。ひとつふたつ車両を移動してからドアの近くに立った。ふと横を見ると古い知り合いの顔が目に入った。懐かしくて、思わず話しかけた。ふたことみこと言葉を交わした後、その昔なじみの彼の傍に女性が立っていることに気づく。あ、そうか、この女性が今の彼のパートナーなのだ、あんまり親しげにして彼女を誤解させたら悪いな、と思って、私は彼と話すのをやめた。
 話をやめると、自分の降りる駅のことが気にかかってきた。もしかして乗り過ごしてしまったんじゃなかろうか。私の降りる駅はまだ先だろうか。
 電車はまるでバスのように、民家の軒先に止まった。最近流行の民家を改造したレストランらしい。これから私がこの街に移り住むなら、このレストランにも寄ってみたいなと思う。
 私の降りる駅はきっとまだこの先のはず。花の町駅で降りるはずなのだから。

(*「花の町駅」という名前は就寝する直前に見たアニメに出てきた名前。残念ながらオリジナルではない。)

 この夢を見る少し前、就寝した直後に金縛りに遭っている。寝ている自分の傍に何か恐ろしいものが迫っているのに体が動かない。私にはそれが夢だと幻想だとわかっている。目を覚ましさえすればいい。だから目を覚ませ、覚ますんだ、と自分に言い聞かせる。体を動かそうとがんばる。でもなかなか目は覚めない。恐ろしいものがすぐ傍にいる。怖くて怖くてたまらない。きっと飲み込まれてしまう。早く目を覚ませ、目を覚ますんだ。

 そして必ず目は覚める。
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by koharu65 | 2009-12-10 13:23 | 夢の話
 早朝、車で移動中、窓から外を眺めていた父が突然、笑った。
「看板に大きく“ひまつぶし”とあるから何かと思ったら、“ひつまぶし”だった。はは。」

 同じ日の午後、居間でくつろいでいると、5歳の姪っ子が
「ひつまぶし、ひまつぶし、ひつまぶし、ひまつぶし、…」
と、繰り返しつぶやいている。
 そして、おもむろに顔を上げ、私に向かって
「“ひまつぶし”って、どういう意味?」
と尋ねた。
 今朝の車での会話を今ごろ反芻しているのかと、彼女のタイムラグをおもしろく思う。しかし、どう説明したらいいのか。
「うーん、 “ひま”はわかる?」
「うん、わかる。」
「えっとねえ。“ひま”を“つぶす”ってことなんだけどね。“つぶす”ってわかるかなあ。」
「公園に遊びに行くってこと?」
「あ、そんな感じ。」
「公園にひまつぶしに行く?」
「うんうん。そうそう。ひまつぶしに公園に行く、かな。」
 彼女は納得したようだった。

 私の説明になっていない説明をこんなに簡単に飲み込むとは。後から考えてみると、おそらく以前にもう “ひまつぶし”という言葉は聞いたことがあってなんとなく使い方はわかっていた上で、今回ちょっと確認してみたということなのかもしれない。

 この子のような飽くなき好奇心と飲み込みの良さとスポンジのような吸収力が、私にもあれば、私の中国語もするすると上達するだろうに。
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by koharu65 | 2009-12-07 17:06 | 雑感