過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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2010年4月13日~14日 烏鎮(一泊)

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水路側から見た西柵の町並み


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陽気で愉快な船頭さん


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のんびりと休憩


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酒造りの様子です。本当に甕の中にお酒が入ってるのかな? 展示だけかも。


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特産の藍染です。ここも記念館のような感じ。


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メインストリート。写真は東柵ですが、西柵も同じような感じで、両側の木戸の中に民宿があります。


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菊の花茶


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生活感のある東柵


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夕暮れ、灯りがつきました。


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メインストリートの灯り


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大きな飾り提灯を乗せて、船が橋の下を通ります。


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シルエット・ロマンス


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倒福


つづきはこちら

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by koharu65 | 2010-04-27 21:27 | 中国旅行記
 2010年4月13日~14日 烏鎮(一泊)

 今回の旅行は上海と北京、2大都市以外に、上海近郊の水郷の街“烏鎮”を訪ねました。
 事前のリサーチによると、烏鎮は夜のライトアップが美しいとのこと、しかも水路沿いに建物は古いままで内装をリフォームした宿泊施設があるというので、どうしても泊まってみたいと思いました。
 しかし上海からは日帰りの観光ツアーしかなく、日本からの団体旅行ならバスをチャーターして行くようですが、個人だと自力で交通機関を乗り継いでいくしかありません。
 個人旅行は気ままで自由ですが、観光地をスポットで効率よく廻るにはやはり団体旅行が楽だと思います。自分で切符を買ったり、道を尋ねてうろうろしたり、待ち合わせの時間が無駄になったり。まあ、それもまた旅のおもしろさではありますが。

 行きは上海から高速列車とバスを乗り継ぎ(“嘉興”という町で乗り換え)、帰りは烏鎮から上海までの直通バスで帰ってきました。行きは高速列車を利用するのでその分時間的に早いだろうと思ったのですが、結局乗り継ぎの不便(列車の駅とバスターミナルが離れていた)や待ち合わせの時間を入れると、直通バスの方がずっと便利で時間も短くてすみました。帰りの直通バスは、バス自体は決して豪華ではなく乗り心地のいいバスとは言えませんでしたが、日本の東北自動車道なみに空いている高速道路をすいすいと走り、のどかな風景を車窓に一直線にたどり着きました。ただし一日に4便(烏鎮から上海の場合)しかないので、時間をきちんと確認する必要があります。
 
<参考>上海から烏鎮への交通案内(中国語)

   ↓上海から嘉興へ。高速列車“和諧号”からの風景です。菜の花が満開で、目に鮮やかでした。

  
 さて、“烏鎮”には、東柵地区と西柵地区とふたつの地区があります。それぞれ地区の真ん中に大きな水路が一本流れ、両側に古い町並みが並びます。東柵は古くから観光地として開発され、住民が喫茶店やレストラン、土産物屋などを営んでいます。西柵は3,4年ほど前に地区まるごと地方政府が買い上げ、町並みを修復・保存し、住民はすべて近くに新しく建てられたアパートに引越しました。建物の中は記念館や食堂、喫茶店、土産物屋などになっていて、それから多くが民宿としてリフォームされています。民宿(内装が宿泊施設にリフォームされた民家内の部屋)は、地区内に70ほどあり、各民宿5,6部屋ほどで、管理人が常駐しています。管理人は房東(大家)と呼ばれ、地区外のアパートに自分の住居を持っていますが、民宿にも部屋を持っていて宿泊客がいるときは泊り込みで勤めます。小さな厨房で朝ごはんも作ります。
 西柵はまるでテーマパークのようで味気ないとか、作られた街でおもしろくないとかいう感想をネットで少なからず目にしました。でも、私はこの場所を大変気に入りました。日帰りの観光客は主に東柵を訪れるようで、西柵では、昼間は人も少なく静かでのんびりした空気が流れていました。働いている人たちは多くは政府に雇われているので、商売っ気があまりなく、楽しげです。昔のお祭りを模したようなイベントが時々街のあちこちで行われるのですが、主に中高年の人たちがのんびりと、かつ生き生きとそれぞれの役割を演じていました。胸にガイドの札をぶらさげた若い人たちは烏鎮出身の若者で、案内役として団体の旅行者たちを先導していました。
 私個人の感想ですが、これはとても賢い村おこしの方法だと思います。雇用の場所ができるし、二つの地区の入場料だけでも結構な収益でしょう。
 
 ゆったりとした水の流れを眺めつつ、ゆったりとした時間の流れに浸る、心休まる一日でした。ぜひもう一度訪れたい場所です。
 帰ってきてから知り合いの日本人のツアコンに烏鎮がとてもよかったと話すと、彼は西柵内の“通安客桟”というホテルに2度ほど泊まったことがあるそうですが、「住民がいないっていうのがどうもね、生活の匂いがない。何もないし、つまらなかった、あれだけじゃ客を呼べないと思う。」と厳しい評価でした。
 私自身は、静かで落ち着いた風景を眺めながらボーっとお茶でも飲んでるだけで、幸せでしたが。

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つづきはこちら

<参考>http://www.youtube.com/watch?v=qS3U9A4SXhA烏鎮西柵の様子がわかるビデオです。


<参考>http://blogs.yahoo.co.jp/mochimoma/15758528.html
私が行ったのは2010年4月ですが、上記アドレスは、最近(2012年4月)烏鎮を訪れた北京老学生さんの記事です。

 
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by koharu65 | 2010-04-26 21:01 | 中国旅行記
 中国旅行から帰ってきました。
<旅程>
2010年4月12日 静岡→上海(上海泊)
2010年4月13日 上海→烏鎮(烏鎮泊)
2010年4月14日 烏鎮→上海→北京
        ~   (北京4泊)
2010年4月18日 北京→上海(上海泊)
2010年4月19日 帰国

 もう何十年かぶりの中国なので、上海も北京も私の知っているのと全く別の都市のようでした。その変化に戸惑うと同時に、何を見ても新鮮でおもしろく、8日間存分に楽しんできました。

 まず始めに上海で受けたのは、都市全体が常にぐわんぐわんと音をたてて動いていて、四方八方に触手を伸ばしながら膨張していくのを抑えようとしても抑えきれないといった印象でした。

 空港からホテルまで乗ったタクシーがものすごいスピードで他の車の間を縫って走り抜けていったので怖くてどきどきしました。たまたまそういう運転手に当たったのかもしれませんが、高度経済成長時代の日本のタクシーが“神風タクシー”と呼ばれていたように、なるべく早く客を回転させて、なるべくたくさん儲けたいという意識が強く働いてるのかな、と思いました。
 その後、ホテルでも商店でも道を尋ねても、皆何か“急いでいる”といった風で、立ち止まってゆっくりと人の話を聞く、という余裕がなく、もともとスローペースの私はおろおろとすることが多かったです。
 あるタクシーの運転手は、
「上海はすばらしい。最高。ものすごい発展を遂げてる。西洋の国と同じ、もう全然社会主義じゃないよ。」
と言っていました。私が、
「今と昔とどちらがいい?」
と聞くと、
「もちろん今さ。全然比べ物にならない。」
と、今の上海を誇っていました。一昔前に海外に移住した運転手の妹も、中国がこんなに変わると知っていたら国を離れなかったのに、と今では後悔しているそうです。
「でも、皆すごく急いでいるみたいで、昔のほうがもっとゆったりしてたと思うんだけど。昔には昔のよさがあったと思う。」
と、私が言うと、運転手は、
「そうだね。今は皆、“拼命地赚钱”(死に物狂いでお金を稼ぐ)だからね。」
と言っていました。
 運転手が言うには、よく上海で働いている日本人を乗せるけど、やっぱり皆上海がよくて、日本には帰りたくないと言っているそうです。
 私が思うに、そういう日本人はおそらく大きな企業の駐在員で、日本人ばかりが住んでいる高級アパートで日本にいる時よりもずっと広い部屋に住み、常にお抱えの運転手付きの車かタクシーで移動して、日本にいる時よりおいしくて高い料理を食べ、日本語の通じるバーで飲み、付き合う中国人も富裕層で、といった生活を享受している人たちなんじゃないでしょうか。そうじゃなくて、中国で地方に住んで、中国人の労働者を使って工場で働いてたりしたら、どんなにか疲れてどんなにか大変だろうと思います。これは私の勝手な想像ですが。

 私は、大勢の人が集まりまた去っていく “駅”が大好きです。今回、空港、列車の駅、長距離バスの駅、と3種の駅に立ち寄る機会がありました。それぞれの交通機関を利用する層が異なることに気づきます。
 上海・北京間の平日午後6時発の国内線飛行機に乗った時は、私の隣の席その隣と、二人ともが30代くらいの女性で、飛行機が水平飛行に入るのを待ちかねるように二人とも急いでパソコンを開き、仕事を始めていました。他の乗客もビジネスマン風のスーツ姿が多く、ブランド物のバッグや見るからに上等そうな服装が目立ちました。外見からは東京・大阪間の機内と見分けがつかないんじゃないかと思うくらいです。満員の座席で、それがきっちり1時間に1本、飛んでいます。キャビンアテンダントもその美人度、サービス態度とも静岡・上海間の国際便よりよほど精鋭ぞろいといった感じでした。
 次は短距離の高速列車です。日本の新幹線とほとんど同じような作りで、1等のグリーン車と2等の普通車に分かれています。乗客の身なりは総じてこざっぱりはしていますが、飛行機内の人たちよりも層が少しばらけて様々な職業、年齢の人が混じり、ざっくばらんな雰囲気が伝わってきます。上海や北京の駅では高速列車の乗客の専用待合室があったのですが、天津ではそれがなく、広い駅の待合室は大きな荷物を抱えた列車に乗る人たちでいっぱいで、雑然とした雰囲気に包まれていました。
 そして長距離バスターミナルです。嘉興という田舎町のバスターミナルの様子は、私の知っている何十年前の中国とちっとも変わらない光景でした。ターミナルの待合室は四角いコンクリートの箱のような建物で、特産品の土産物やちょっとしたおもちゃ、軽食を売っているカウンターがあります。利用する人たちはごく普通の田舎の人たちで、身なりも上海や北京の大都会の人たちのおしゃれな様子とはずいぶん違います。でもなんとなくのんびりとした雰囲気で、都会とは違った時間が流れているように感じました。

 大都市の駅前にはいろんな人がいて犯罪に巻き込まれることもあるので気をつけるようにと旅行前に何人かの知り合いから警告を受けていました。夜8時すぎに切符を買う都合で上海駅を訪れたのですが、老若男女、地方から来たたくさんの人たちが駅前に集まり行ったり来たり、大きな荷物を傍らに置いて座りこんでいたり。
 大きな荷物を担いだ夫婦連れが警官と大声でケンカをしていました。よく聞き取れませんでしたが、身分証がどうとかこうとか。どちらもなかなか引こうとしません。
 上海の地下鉄改札口でも警官と老婆が怒鳴りあう姿を目にしました。警官の威圧的な口調とよく通る太い声は恐ろしいもので、私などそばで耳にするだけで身が縮む思いがするというのに、その警官に向かって小さな老婆がどうしてああも負けずに正面切って文句を言えるものか、たいしたものだと感心します。

 上海南駅の地下で、構内の地図をじっと見ていたら、30後半から40代くらいの男性に声を掛けられました。身なりは上等ではないけれど清潔そうで、口調も物腰も穏やか、人に警戒心を起こさせるようなところはありません。ところが、その彼が、子どもに食べさせるものがないので10元(日本円で140円)恵んでもらえないか、と整然とかつ熱心に言うのです。彼の指す通路の向こうには赤ん坊を抱いた女の人が立っていました。私は突然のことにびっくりして、一瞬どうしたことかと迷いました。でも10元差し出すことには抵抗がないとしても、他人の前で鞄から財布を出すことに直感的に大きな抵抗を感じました。それで、わざとたどたどしい中国語で、私は外国人なのであなたの言ってることがよくわからない、と言ってみました。相手は私の言うことには全然構わず、熱心に同じ説明を繰り返します。私は手を振って急いでその場を逃げるように立ち去りました。
 もし本当に困っているならやっぱり10元くらいあげるべきだったのだろうか、と後から考えました。それで知り合いに聞いて見ると、それはプロなのだそうです。そういう手口でお金を得ることを生業にしているのだそうで、渡さないで正解だったらしい。

 日本で中国の経済発展の様子や中国人観光客の太っ腹な金遣いの様子がしばしば報道されるので、私の両親なども中国はもうすぐ日本を追い越してしまうだろうなどと言います。そうすると、夫は、まだまだ、今の中国は日本より30年遅れてる、と言うのですが、両親は、まさか、とその言葉を信じません。私も、30年はオーバーだろう、と思っていました。でも、実際見てみると、ああ、やっぱり30年だ、と思います。
 都市の住民と農村の住民の生活水準の差異、生活の便利さの差異、職業による収入の差異、持てる者と持たざる者との差異。先進国と発展途上国との決定的な差は、国民のひとりひとりが法と均一の環境(設備)の下に、ある一定の水準以上の生活を公平に平等に保証され得るかどうかだと思います。中国は発展途上国です。にもかかわらず、最近世界各国が中国を大国として扱おうとするのは、大国としての責任を中国に負わせようとしているからで、そういう各国からの圧力に対して、中国は国際的な力を強めるために大国らしく振舞わざるを得ない一方、発展途上国としての優遇も受けなければまだまだやっていけないという矛盾に苦慮していると聞きました。
 鄧小平は「先に富める者から富む」と言って経済開放政策を進めました。そのおかげで、中国は大きな経済発展を遂げ、市場にはさまざまな物が溢れ、高速幹線道路、大都市の交通機関など昔とは比べ物にならないくらい便利に豊かになっています。しかし、もうそろそろ富める者の富は足りつつあって、国民全体の生活水準の底上げと福祉に力を注ぐときなのではないかと思いました。
 今日急激な変化を遂げた中国がこれから更にどんなふうに変わっていくか、ますます楽しみです。

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夜の上海駅

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by koharu65 | 2010-04-21 20:54 | 中国旅行記

旅に出る

 明日、12日から8日間、上海、北京の旅に出かけます。
 帰ってきたら、また何か書きます。
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by koharu65 | 2010-04-11 15:23 | 中国旅行記
 先日、弟がやってきて、「これ、読む?」と4冊の文庫本を差し出した。
 『獣の奏者』上原菜穂子著(講談社 / 青い鳥文庫)。

「NHKでアニメになってて、その原作。おもしろいよ。小学生向けだけど。」
「へえ、外国の?」
「いや、日本の。他にもいろいろ書いてる。『精霊の守り人』とか。」
「え~!『精霊の守り人』ならアニメを見てた。大好き。その原作者なんだ。じゃあ、これも絶対好きだと思う。読んでみる。」

 おもしろかった。全4巻を5日で読み終えた。
 主人公は母親と二人暮らしの少女・エリン。母は戦いの道具として飼われている「闘蛇」という獣の世話をする獣の医術師であった。しかし、エリンが10歳のときに、母は「闘蛇」を死なせてしまった罪により、捕らえられ死んでしまう。
 母を失い、「闘蛇衆」の里を離れたエリンは、蜂飼いのジョウンに助けられ、森や山で暮らしながら生き物の生態に強い興味を抱くようになる。さらにそこで野生の「王獣」に出会ったことによって、エリンは王獣の医術師になることを決意し、王獣保護場の付属学校に入学する。このとき、エリン14歳。
 「闘蛇」が国を守る戦いの道具であるのに対して、「王獣」は神々が王に王権を授ける印として天界から使わしたという聖なる獣。王の聖性の象徴として飼われ育てられる。
 そして、傷ついた幼獣を育てるうちに「王獣」を操る術を身につけてしまったエリンは、王国の命運を決する政治的争いに巻き込まれていく。

 長い物語のどんなところに惹かれるかは、それぞれの読者のそれぞれの嗜好によって違ってくるだろう。物語の主眼は、エリンという少女のまっすぐで飽くなき好奇心や精一杯に生きようとする姿勢なのだろうと思うが、私はそれ以外に、王国の形態の設定が興味深かった。一方に「闘蛇」を抱える国防専門の大公(アルハン)の領地があり、一方で武力を持たぬ聖性によって地を治める真王(ヨジュ)の存在がある。大公(アルハン)の民は血を以って国を守り続けているにもかかわらずその存在を軽んじられていることに不満と憎しみを募らせ、真王(ヨジュ)とその領民は自分たちの平和を守るためにどこかで誰かが血を流しているのだという現実を直視しようとしない。どこかの国と精神構造的に似ているところがあるような…。

 それはさておき、物語のテーマを理解するのに、以下の原作者の言葉が参考になると思うので、紹介しておきます。

 エリンの力で、世界は平和をとりもどしたのです――というような、きれいな解決と結末を期待しておられた方も、おられたかもしれませんね。
 でも、私は、「ひとりの人間の行為によって、世界が平和になる」というようなことがあるとは思えないのです。

 「いまより少しマシな社会の形」――それは、この世に生まれ、死んでいく、すべての人々の気が遠くなるほど地道な試行錯誤の繰り返しの中で、生じては否定され、生じては修正されることでしか、生まれ得ないものだと思っています。

 人の一生は短くて、ひとりの力は小さすぎて、さしたることも為せずに消えていく泡のようなものですが、それでも、いま、わたしたちが暮らしている社会は、そういうちっぽけな人間ひとりひとりが「生き、為した」ことによって生まれてきたものです。

 エリンは、迷い、悩み、考えながら歩いてきた道の上で、多くの他者(獣や人々)と出会い、様々な「音」を奏でてきました。


 小学上級からの本なので、全部の漢字にふりがながふってあるし、難しい言葉が出てくると文章の途中でかっこ内に説明がされています。句読点が多くて文の区切りもわかりやすく、普段あまり本に親しみのないような子でも、とても読みやすくなっています。
 大人も子どもも楽しめる質のよいお薦めの長編ファンタジーです。

追記:
 調べてみると、青い鳥文庫の4冊はジュニア向けの文庫で、もともとは『獣の奏者(1)闘蛇編』『獣の奏者(2)王獣編』という2冊の単行本で刊行されています。大人はこちらの方が読みやすいかもしれません。そして、続編として『獣の奏者(3)探求編』『獣の奏者(4)完結編』も書かれています。青い鳥文庫4巻の最後の舞台から11年後、母となるエリンの物語らしいです。こちらを参考に。
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by koharu65 | 2010-04-09 21:26 | 本・小説・映画

犬への対し方

 犬に対しては犬に対するようにしなければならないと、彼が言った。それは確かにひとつの見解である。けれどなかなかそうはできない。生まれ持った性分か、生まれ育った環境か、犬にさえ、つい愛想を振りまきがちになる。
 犬とは絶対にわかりあえないと、彼は言う。道理を説いても無駄だ。犬には犬への対し方というものがある、と言う。けれど、私には犬に対する対し方というものが身に付いていない。しかたがないので、偶然犬に出くわしたなら、なるべく早めに回り道して避けるのだ。
 しかし、昨今では犬と人間の区別もつきにくい。犬も洋服を着るし、家の中に住むし、車にも乗る。犬が犬らしくふるまうならば、災いも避けやすいのだが。

 犬と人間をいっしょくたにしがちな私のメンタリティーと、犬と人間をきっちり分ける彼のメンタリティーの違いは、もしかしたら、沙羅双樹の大樹の下で情によって衆生が結ばれているお国柄と、上下関係によって私とあなたをきっちりと分け隔てる孔子のお国柄との差異かもしれないと思った。
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by koharu65 | 2010-04-03 13:24 | 雑感