過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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 北京では、天安門も故宮も万里の長城も十数年前ときっと変わりはないだろうと思い切って割愛し、胡同と呼ばれる昔ながらの下町を散策したり、手作り餃子を食べたり、美容院へ行ったり、お土産を買ったりと、ぶらぶらとしているうちに4日間があっという間に過ぎてしまいました。その合間に、高速列車(新幹線)に乗って天津に日帰りで行ってきました。「狗不理包子」という包子で有名な老舗でお昼を食べ、それから租界時代の古い洋館のある町並みを馬車で巡りました。
 「狗不理包子」の包子は値段ほどではなかったような。でも、中国滞在中一番おいしいと思った包子がセブンイレブンの肉まんだったので、単に私の舌がたいしたもんじゃないということなのかもしれない。
 「狗不理包子」は少し前までサービス面での評判が地に落ちていましたが、最近同仁堂という漢方薬の会社に買収されてだいぶん持ち直したそうです。

 天津という街についておもしろい話を聞きました。
 中国沿岸部の大都市はすでに資本主義にどっぷり浸かっているというのに、天津は未だ社会主義に留まっている街だそうです。仕事が終わればまっすぐ家に帰って自宅でご飯を食べ自宅で飲む。だから夜が早い。ランチタイムを過ぎると、夕飯時まで閉まってしまう食堂が多い。改革開放以降、どこでも商業主義が蔓延している昨今、しかも首都北京から新幹線でたった30分の距離なのに、天津に入ると社会主義的な空気がどっしりと居座っています。上海のタクシー運転手が自慢げに口にしていた“もう全然社会主義じゃない上海”という言葉を思い浮かべました。
 新幹線が出来る前の天津市長の期待は、北京の人がたくさん天津に観光や食事にやってくることでした。しかし実際に蓋を開けてみると、天津は海産物が安いので北京から食事に来る人たちもたくさんいるにはいるのですが、それ以上に、天津から北京へと人が流れていきます。特に若者が買物や遊びで北京に流出し、天津市長の思惑は大きくはずれてしまいましたとな。
 どうして天津ってこんな感じなのと訊ねたならば、港湾都市で昔から荷役という体を資本にして生計を立てている人が多かったから商人的な気質とは違うんだろう、という答えが返ってきました。都市もいろいろですね。

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 北京から天津までの新幹線の普通席です。大きなテーブルがついていました。めずらしい。上海から嘉興まで乗った新幹線の普通席にはありませんでした。

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天津駅。立派!広い!

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天津駅前の時計。二本の腕の先は太陽と月。なかなか見事なデザインです。

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 馬車で廻った数々の洋館。道中ずっと、若いお姉さんが、マイク片手に立て板に水の解説をし続けてくださいましたが…、ごめんなさい、ほとんど聞き取れませんでした。それぞれ由緒あるお屋敷のようです。

 下の写真は“新イタリア街”と呼ばれる区域です。ヨーロピアンな町並みにおしゃれな喫茶店とかレストランとかが入っているのですが、店に出入りしてるお客さんはほとんどいない。その代わり区域まるごとブライダル写真のスタジオと化して賑わっていました。
 幸せいっぱいのカップルに微笑ましさを感じるよりも、一生に一度の装いに掛ける女性の意気込みに圧倒されます。男性は言うがまま? こ~れ~が愛♪ あれ~も愛♪ みんな愛♪ きっと愛♪

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一番下の写真は、普通に人が住んでるアパートです。赤い車との対比が美しかったので。
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by koharu65 | 2010-05-29 15:16 | 中国旅行記
 上海では新城飯店というホテルに泊まりました。

 新城飯店 Metropole Hotel
 住所:200002上海市黄浦区江西中路180号(福州路口)
 TEL:+86-21-63213030
 FAX:+86-21-63213030

 1988年に一度上海を訪れたことがあります。今回の上海訪問はその時以来です。以前泊まったホテルにとてもよい思い出があるので、その思い出のホテルに今回ぜひ泊まりたいと思いました。それが新城飯店です。
 22年前の旅もまた、一人旅でした。予約なしにホテルを訪れ、フロントで、今夜泊まりたいのだけれども、と切り出しました。当時中国のホテルの部屋はたいていツインで、シングルが一部屋もないホテルが多く、新城飯店もそうでした。しかし部屋代は一部屋いくらの料金なので、予算の限られていた私は「包房(バオファン)=部屋を一人で占有すること」をしないから部屋代を半額にしてくれないかと言ってみました。するとフロントの女性は、「そうね、もし日本人の一人旅の女性が来たら相部屋にしてあげるから、まだ時間も早いことだし、荷物を置いて後でまた来てみて。」と言うのです。それで私はフロントに荷物を預け街に出ました。夕方戻ってきてみると、フロントの女性は私の顔を見るなりにっこりして、「来たわよ。日本人の女性でひとりの人が。」と自分のことのように喜んでくれました。
 一階のレストランでは地元の人の結婚披露宴でにぎわっていました。エレベーターのドアはフランス映画に出てくるような格子戸で手で開け閉めします。部屋に入ると、床は年季の入った板張りで、天井がものすごく高く、こんなに贅沢で広々とした部屋に泊まったのは初めてです。大きくてがっしりとした書斎机、テーブルも椅子も、それから猫足のバスタブも、ひとつひとつの調度品がクラシカルで重々しく、空間の使い方にゆとりがあって、まるでヨーロッパのホテルのよう。
 当時で既に開業から60年近く経つ歴史のあるホテルで、過不足のない心のこもったサービスが感じられました。予備知識もなく値段と場所だけで選んだホテルが思いの外すばらしかったのです。

 …或いは歳月が記憶の中に幻のホテルを建築したのか、そう思わせるほど、現実の(今の)新城飯店に昔の面影はなく、ごく普通の中国のホテルとなっていました。
 トリップアドバイザーというサイトの新城飯店に関する口コミ情報をまとめると、“昔は格調高いホテルだったが、今はクラシカルな建物の外観だけを残して部屋の設備やサービス内容ともに中級のビジネスホテルである。”ということです。(建物自身は古くて重厚なので、日本のビジネスホテルのような無機質な感じではありませんが。)ちなみに星は三ツ星です。

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 この2枚は部屋の窓から撮った交差点の向かいのビル(福州大楼)の写真ですが、新城飯店はこのビルと双子のビルで、二つの建物はほとんど同じ形をしています。ホテル外観の写真を撮るのを忘れたので参考までに。

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 私が泊まった部屋です。
 実は、最初キーを渡された部屋は、福州路の交差点側でない北側のシングルでした。
 フロントでキーを渡され、荷物を運んでもらえるのかとちょっとボーっとしていたら、エレベーターはあっち、と指差され、あ、そうか、自分で運ぶんだと、ころころ荷物を転がして10階の部屋に着きました。部屋に入った途端、これは違うと。狭くて暗くて、ベッドだけでいっぱいいっぱいの部屋、窓の外は隣の建物の薄汚れた灰色の壁が目の前に迫っていました。思い出のホテルとは変わっているだろうことは、旅行前から覚悟していましたが、せめて部屋の広さだけは確保したかった。そこで荷物を手から離すことすらせずに、くるりと踵を返し、またころころ荷物を引きながら一階のフロントへと戻りました。
 次に見せてもらった部屋も同じ北側のツインだったので、たいして変わりはありません。3番目に案内されたのが写真の部屋です。
 部屋のチェンジをお願いしたとき、追加料金を払っても構わないからと告げたのですが、結局この日の一泊分は追加を取られませんでした。一週間後北京から再び上海に戻り同じ部屋にもう一泊したときは、前より少し高い金額を支払いました。

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 これは部屋のドアの内側に張ってあった10階の見取り図です。そもそも建物の形が真四角ではないので、部屋の形も大きさもばらばらです。北側に狭い部屋がいくつかあります。シングルだとその部屋になると言われましたが、宿泊費は一部屋いくらなので、シングルでもツインでも部屋代はそう変わりありません。どの部屋に泊まるかで、ホテルに対する印象が大きく異なってしまいます。

 北京に滞在中、夫に
「新城飯店はどうだった?」
と聞かれ、
「うーん、サービスの質はひとえに対応した従業員の人柄に寄る。たまたま愛想がよくて親切な人に当たればいいけど、いいかげんな人に当たるとやる気があるんだかないんだか。たぶん従業員の教育の問題だと思う。」
「やっぱりね。僕も人に聞いてみたんだけど、評判がよくなかった。新城飯店は、錦江飯店や和平飯店と同じ錦江グループが経営してて、錦江も和平も老舗中の老舗、歴史のある高級有名ホテルで、同じグループなのに変だよな。でもまあ国営だから、そういうところがあるのかも。」
という話でした。私も後から調べてみると、錦江グループは株式会社なので国営ではないと思うのですが、もと国営ということでいわゆる“お役所的”な気質が残っているのかもしれません。

 <宿泊費>
 2010年4月12日 一泊 6,056円 日本のサイトから予約、支払い
 2010年4月18日 一泊 500人民元(7,000円) 現地払い

 ツインがこの料金なら悪くないと思います。ただしこれは万博前かつゴールデンウィーク前のオフシーズン料金で、前出のトリップアドバイザーというサイトによると平均で一万円くらいらしいです。一万円以上になると、値段の割にはちょっと…、と不満を感じる確率が高くなるかもしれません。たまたま機嫌の悪い従業員に出くわしたりしたら特に。

 すべてのお客様に平等にいつでも同質のサービスを提供できるようにするということは、実はちゃんとした組織的な努力があってのことなのだということに思い至りました。全世界でスマイルをゼロ円で売ってるマクドナルドは偉大だ。
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by koharu65 | 2010-05-21 21:35 | 中国旅行記
 上海では一人だったので、ホテルのチェックインやら切符の手配やら地下鉄やバスでの移動やら道に迷うやらで時間を取られ、またあいにくのお天気で傘を指しながら歩き回るのにも疲れ、ちゃんと観光したのは最後の日に訪れた豫園くらいでした。

 豫園2010年4月18日

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 実を言うと、私が行ったのは豫園商城で豫園には入場していません。豫園は庭園ですが、その庭園の周辺に多くの商店が軒を並べており、その商店街を豫園商城と言います。着いたときには庭園の閉園時間(5時半)が迫っていたので、庭園に入るのは止めました。
 日曜日とあって、小雨降るあいにくのお天気にも関わらず、豫園商城は観光客でごった返していました。商店はほとんどがいわゆる土産物屋です。浅草の仲見世をもっと大規模にもっと複雑にしたような感じ。

 豫園について、詳しくはこちらを御覧下さい。→エクスプロア上海


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 両側から屋根が迫る豫園商城の狭い通りを人ごみを掻き分けるようにして抜けると、ふっと空が開けて、目の前に池が現れます。その池の真ん中に湖心亭という東屋が建っています。喫茶店です。
 湖心亭で一休みしました。龍井茶のお茶セット(お茶と茶菓子)が138元、日本円にして1900円くらい。すごく高い!でも私がいた30分ほどの間、店内は常に満席でした。龍井茶以外にもいろんな種類のお茶を選択できます。龍井茶は甘くてまろやかで本当においしかった。新茶だと言っていましたが…。
 写真は湖心亭の二階の窓からの風景です。池の上に架かるジグザグの橋を九曲橋と言います。


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 龍井茶のお茶セット。お茶菓子の味付き鶉の卵が美味でした。奥の赤い袋にはお土産用のお菓子が入っています。ポットがテーブルに置かれ、自分でお湯を足しながら何杯でも飲めます。


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 すっかり日が暮れて、建物がライトアップされました。そういえば烏鎮でも夜のライトアップが目玉となっていました。北京では普通のビルや高架橋までが色とりどりにライトアップされていて、美しいことは美しいのですが、エコからは程遠いような…。特に道路の色鮮やかなライトは運転の妨げになるのでは?この中華的な過剰なまでの装飾は、シンプルで控えめな日本の美的感覚とは対極にあるものだという気がします。それとも経済成長期の一時的な流行でしょうか…?


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 豫園商城の中にある南翔饅頭店という有名な小籠包のお店で、小籠包を買いました。写真はテイクアウト用の窓口。テイクアウト用は夕方5時までは鮮肉小籠だけ、5時を過ぎると蟹黄小籠だけの販売になります。鮮肉小籠が12元、日本円で168円(16個入一箱の値段)。蟹黄小籠は20元(一箱)、日本円で280円。
 一時間以上並びました。しかしそれだけ並ぶ価値のある味だったかどうか…。並ぶのは人気があるからというよりも、一度に蒸すセイロの数が少ないからです。店員は一度炉の上に17籠セットすると奥へ引っ込み、蒸しあがるまで15分、15分後に戻ってきて販売します。なので、行列は15分間一歩も進みません。うーん、これは、わざと少しずつしか蒸さずに行列を作らせてるようにしか思えない。それで行列が待てない人は店内の二階席へと行きます。或いは知っている人は始めからさっさと二階へと上がるようです。その代わり値段は何倍もに跳ね上がります。ただもしかしたらテイクアウト用と店内のテーブル席では商品自体の味や質が違うのかもしれません。席があるかないかだけの違いでなく、物自体が違うんじゃないかと。次回、訪れるときは、店内に上がってその辺を確かめてみたいと思います。

 でも、並んだ一時間が無駄だったかというと、決してそんなことはなく、行列の前後の人たちのおしゃべりを聞いていたり、通り過ぎる人たちの服装を眺めたり、時折日本語が耳に飛び込んできて、あ、日本人がいる、と思ったり、地球の歩き方を開いてたから日本人かなと思ったら台湾人らしかったり、この人たちはどうしてこんな長い間辛抱強く待っているんだろうと自分のことを棚に上げて考えてみたり、どうせホテルに帰ってもやることないしね、と自分を慰めてみたりと、それなりに楽しみました。まあもう二度とは並びませんが。
 大陸のおそらく地方から来た若者が列の前の中年の台湾人男性に話しかけ、大声で無邪気に根掘り葉掘りいろんなことを聞いていました。台湾人は美人の恋人連れで、始めあまり会話に気乗りしない様子でぶっきらぼうでしたが、それでもぽつりぽつりと答えるし、そのうち次第に打ち解けていったりして、大陸の人のオープンな気質と、台湾人のちょっとすましたような感じと、それでもやっぱり同じ中華民族の気軽さなんだなと、勝手な考察をめぐらすのもおもしろかったのでした。
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by koharu65 | 2010-05-18 20:24 | 中国旅行記

石を磨く

 さて、旅行記は一休みして、ゴールデンウィークの話を。
 例のごとく、子どもたちが遊びに来て大賑わい。
 その内の一人と、犬一匹と、河原に散歩に出かけた。犬は放たれた途端川の中に一直線、子どももそれを追って、「この靴ならいいや」とじゃぶじゃぶと浅瀬に入る。私は一人と一匹の様子をときどき気にしながらぶらぶらと歩く。大小の様々な石がごろごろと転がる足元に、ふと緑色の小さな石が目に入った。そういえば昔子供の頃、親戚のおじさんに教わってこんなような石を磨いたっけ。深緑に黒の点々模様、ところどころきらっと光るかけらが入っている。この石を拾い上げ、川べりにかがみこんで水で濡らしながら、大きな石の上でごしごしとこする。こすったところが削れて平らになる。そうして、丸い石を形よく整えながら削っていって、カッティングされたダイヤモンドやエメラルドのように美しく加工していくのだ。
 子どもに声を掛けた。
「ほら、見てごらん。この石をこうやって削っていって、ダイヤモンドみたいな形にするの。」
子どもの目がきらきら輝く。
「僕もやる!」
「こういう緑っぽい石。他の石より柔らかいからこすると削れるんだよ。」
いくつか石を見つけて渡す。彼は夢中になって大きな石の上で小さな石をこすり始めた。

 遅くに出たのでもうすぐ夕飯の時間だ。帰らなきゃと促す。
「持って帰って家で削ろう。」
「わかった。」
と、案外素直に立ち上がるのでほっとした。すると彼は石を削る台の方になっていた大きな石をよいしょっと持ち上げて持って帰ろうとするではないか。
「え?その大きいのも持ってくの?」
「うん。」
「重たいからそれはやめれば?」
「大丈夫。」
 わざわざ重い石を持って行くことないのにと思った。しかし後からわかるのだが、結果的にこの大きな石がおおいに役立った。削る台にするのにちょうどいい石というのが家の周りでは見つからなかったし、コンクリートの上では上手く削れなかった。台になるほうの石も迷わず持ち帰った彼の先見の明を讃えたい。
 さて、この石磨きは、家にいた他の3人の子どもたちの目も輝かせた。袋から石を取り出すと、我先にと争って石を取り上げ、さっそく磨き始めた。
 ところが、しばらくは夢中になっていたが、時間が経つにつれてなかなか思い通りにいかないことがわかってくる。台の石がひとつしかないので、他の子はコンクリートの上で磨いている。そのせいなのかどうか、石の面がなかなか平らにならない。それとも力が足りないのか。そのうち夕飯の時間になり、石磨きは忘れられた。

 次の日、子どもたちは両親たちとそろって外に遊びに出かけた。私は留守番の間暇だったので、一番磨きにくそうだったごつごつした石を少し磨いておいてあげようと思い立った。ガレージの横にしゃがみこんでごしごしと磨く。長雨から抜け出した太陽が背中に暖かい。削っていると粘土色の水が台の大きな石と緑の小さな石に溜まるので時々水をかけて洗い、磨き具合を確かめる。元の石の形を生かしてどう削ろう、ここをもうちょっと斜めにしたらどうかな、名前を付けたいな、天使の涙?それともヴィーナスの横顔?月の雫?…など、たわいもないことを考えながらひたすら磨く。
 時間の感覚がなくなる。どれくらい経っただろう。我に返って腰を伸ばす。真昼の日射しがさんさんと照りつける。絶好の行楽日和。
 突然虚しさが襲ってきた。こんなことをして何になるんだろう。河原の石ころをただ磨くだけに時間を費やす私って…。価値のないものを拾い上げて磨いたからといって価値のあるものを作り出しているわけでもない。ああ、なんて虚しい。人生とはもしかしたらこの石磨きのようなものなのかもしれない。結局のところ何ごとも達成することなく、徒労のうちに生を終えるのだ。
 子どもの頃は虚しさなどつゆとも覚えず、とにかく完成させることに力を注いだ。その時それは確かに私にとって何か価値のある行為だったに違いない。
 昔、指環の上のエメラルドのように美しく削られたその石を、ペンダントにすればいいとおじさんが錐で穴を開けてくれた。しかし石が小さすぎて、穴のところから割れてしまった。その後私はもう一度挑戦してみようとは思わなかった。

 帰ってきた子供たちが私の磨いた石を見て、
「すご~い!きれい!!私のもやって。」
と大騒ぎになった。
「うーん、ごめん、もう疲れた。」

 ゴールデンウィークを一日残し、子ども達はそれぞれの家へと帰っていった。石をしっかり忘れずに持っていった子と、すでに興味を無くして庭に転がしたまま帰った子と。
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by koharu65 | 2010-05-09 22:46 | 雑感
2010年4月13日~14日 烏鎮(一泊)

 烏鎮西柵内の民宿は「古い民家の内装をリフォームしてホテル並みの設備を整えた宿泊施設」です。私の泊まった部屋はちょっと狭かったけれど、古い建物や窓からの景色の情緒、レトロな内装などが部屋の狭さを補ってあまりありました。
 窓から水の流れが見える水路沿いの部屋とそうでない部屋では料金が少し異なります。私は水路沿いの部屋を選びました。民宿は70棟くらいあって番号が振ってあり、西柵地区の入り口に近い方から順番に奥に行くに従って番号が大きくなります。番号が大きいと奥までかなり長い距離を歩かなければなりませんが、大きな荷物は別途船で運んでもらえるので、散策がてら歩けば苦にはなりません。
 房東(日本語に訳すと“大家さん”)と呼ばれる管理人が常駐していて、宿泊客の世話をします。西柵全体が地方政府の経営する会社の持ち物となっており、管理人は政府(の会社)に雇われています。宿泊費に含まれている朝食は、民宿の1階の小さな食堂でいただきました。大家さんが作ります。頼めば昼食も夕食も作ってもらえますが、値段設定はちょっと高めです。それと大家さんの料理の腕に当たり外れがあるかもしれません。

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天井が木で組んであって、日本の古民家にも似て、懐かしい感じがしました。


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部屋の窓からの眺めです。


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 電話がただレトロなデザインってだけかと思っていたら、使ってみるとすごく使い心地がいいのでびっくり。受話器の持ちやすさ、耳に当てたときの心地良さ、フィット感、ほわっとした声の届き具合、最近の電話では味わったことのないすばらしい感触でした。欠点は受話器が重いこと。長電話ができないかも。


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 バスタブは付いていません。シャワーのみです。フロントで、「温熱器が家庭用のもので容量が大きくないので、一度お湯をたっぷり使うと再度お湯が使えるようになるまで15分くらいかかるので気をつけてください。」と言われました。部屋のバスルームにもそのように注意書きがあります。

 宿泊料は一泊442元、日本円で6,200円くらいです。

 朝食のとき、大家さんに聞いてみました。
 「ここの地方政府はとても賢いですよね。静かで落ち着いていてとてもいいと思う。東柵よりこっちの西柵の方が私は好きだな。」
 「そうね、あっちは人が住んでるから。」
 「引っ越すとき、反対の人はいなかった?」
 「うーん、いるにはいたけど、最終的には皆納得したし。」
すると、隣のテーブルにいた40代前後の宿泊客(北京の女性)がこう口を挟みました。
 「反対するのも、結局はお金の問題でしょ。ごねればそれだけ多く貰えると思うから。」
大家さんも、まあね、と彼女の意見にうなづいていました。
 それが本当かどうかは、私にはわかりません。引っ越すのが造作ないひともいれば、お金のためにごねる人もいるでしょうし、心情的に離れたくないと思う人もいたかもしれません。
 北京オリンピックのとき、古い下町が壊されて住民が立ち退きを余儀なくされたと、日本でも話題になりました。日本の報道は、立ち退きを拒む住民に対して強権的に追い出すような中国政府のやり方を批判するニュアンスでしたが、私は必ずしもそういう面ばかりではないような気がしています。
 古くて不便な住宅よりも、設備の整った近代的なアパートの方が住みやすくていいと、そう思う人もたくさんいるんじゃないかと思うのです。
 今まだ北京にも胡同と呼ばれる下町の路地が一部に残っています。北京でその路地を歩いていたとき、一緒にいた人に
 「まだこういうところが結構残っているんだね。オリンピックのときに取り壊されたところも多かったみたいだけど。」
と言うと、彼女は
 「そうそう。今ここに残ってる人は、失敗した、って思ってる人が多いみたいよ。もう今となっては、市内のいい場所に安く引っ越すことができないから。結局あの時が最後のチャンスだったってこと。」
と、胡同の住民の気持ちを想像するにしても、残ってよかったというふうに想像することは全くないようでした。
 情緒や風情のある古いものと新しくて便利なものと、“生活”という観点から見ると、どちらがよいのかはなかなか一概には言えないのではないでしょうか。

おわり

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by koharu65 | 2010-05-02 21:42 | 中国旅行記