過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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光と風と黄金色の彼ら

 背高のっぽの雑草が土手に一面、生えていて、すっと伸びた細い茎の先にちょんちょんと穂がついてるその植物が、風に吹かれて一様になびく。そこへ山の端から陽の光が射し込んで、くるくると黄金色の渦を描いた。
 その背高の植物は細く頼りなげで、風が吹くといっせいにざっと動く。訓練された兵士たちのように、命令に従って右へ左へと一糸乱れず体を動かす。どれもおんなじ顔をして、風の形に右左。けれど、彼らは姿態を変えるだけ。どこへも進まない。根はしっかりと大地をつかんで放さない。
 沈まんとする太陽の光を受けて、そのいっとき、緑色の彼らは黄金色に輝いた。そのしなやかな肢体で、風の言うとおり黄金色の渦を描いた。

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  在河堤的斜坡上长着一片细长的杂草,长长的细梢儿像树枝似有几根小小的穗,随风飘动。这时阳光从天际射入,舞蹈着画了黄金色圆。
  那个细高的植物又无依无靠的样子,风一吹就相贴似的唰唰地动。像熟练的兵士们,随着命令向右向左有条不紊地倾身。每一根都表现得同样的脸,向右向左涂写出风的形状。不过它们转来转去得只是其姿态,哪儿都不行进。它们的根结结实实地捉住大地,绝不放下。
  迎着要落下的太阳的光,那一刻,绿色的它们变了黄金色闪耀起来。以那柔软的肢体按风的感觉描写了黄金色的旋涡了。


 年末らしくない文章です。このところ忙しくて、パソコンに触る時間があまりありません。これは少し前に書いたものです。

 とうとう今年最後の日になってしまいました。
 皆様、よいお年を!
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by koharu65 | 2010-12-31 08:37 | 雑感
 前回、中国ドラマ『カタツムリの家』を、見ごたえがある、とずいぶん褒めた。もしかしたら感想を書くのがちょっと早かったかもしれない。
 始めは住宅問題が中心だったのが、だんだん主人公の妹の不倫話が中心になってきた。悪代官に手籠めにされた町娘は、物質的な欲望が満たされる快楽にだんだんと身を任せるようになり、自ら進んで悪代官との情事を楽しむようになってきた。
 こういうのは見ていて、あまり気持ちのいいものではない。愛もお金で買えるということを否定はできない。けれど、それはとても虚しいことのように思う。金で手に入る愛はつまらないと思う。それはたぶん、愛の価値ある部分は、それを手に入れたという結果ではなくその感情を育む過程にあるからだろう。


   上次我写过,电视连续剧“蜗居”有观看的价值。也许我写感想写得太早了。
   开始时以房子问题为主的内容渐渐变了以主人公的妹妹的色情事为主了。狗官强占的民女越来越沉溺于很快能满足物质欲望的快乐,她开始愿意享受跟狗官的那些情事。
   我看这种场面,心里有一种说不出来的滋味。我不能否定爱情也可以拿钱就能买到,这是事实。可是我觉得那种方法很空虚。为什么用钱能买到的爱情是空虚呢?那是可能爱情有价值的部分不是在于得到的结果,而在于养成其感情的过程。

つづく
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by koharu65 | 2010-12-23 22:03 | 中国ドラマ『蝸居』

电视连续剧 -『蜗居』

   最近我一直在看中国的电视连续剧“蜗居”。非常有意思!它2009年一上映就非常受收看者的欢迎,成了2009年最火的电视连续剧了。现在才提起它的话题有点过时。

   内容:主角是住在大城市的大学毕业的白领夫妻。他们为了得到自己的房子暂时住在像蜗居的狭小房间,努力节约。以大城市里的房子的问题为中心,描写情感与社会的问题。
   舞台好象是上海,可剧中使用的是假想的城市名。
   这部电视剧火的原因,说是它很实在的描写现在中国的社会,因而得到了许多收看者的共鸣。它确实接二连三地暴露了当下的现实与真心话。可我觉得这部剧表现的不只是故意暴露现实的。

   主角的夫妻住的是小巷里的有共用厨房、共用洗手间的租房。其实主角的夫妻在这里跟其它的住民性质不同。两个人都是大学毕业的白领,其它的住民大多数是连初中都没正式毕业的低层社会的人们。丈夫跟只管节约的妻子说道;“我们住在这种地方,你也变成像他们小市民了”。
   其它住民脑子里根本不存在要买更好的房子,从前到今,他们一直住在这儿,能过日子已经觉得不错。他们拥有如果偶然地有机会能得到比现在更好的条件就绝对不放弃那机会的单纯的坚强意志。怕失去的只有自己的生命。他们的人生观跟那些大学毕业的知识分子根本不同。
   那丈夫的台词就表现着啦,那夫妻两个人都有自尊心、有梦想、有理想。妻子妹妹的男朋友批评说;“你姐姐太虚荣了,因为他的虚荣你也没必要卷进这事情”。可是很爱姐姐的妹妹怎么看也觉得姐姐不像爱虚荣的人。她不认为姐姐为了虚荣、为了面子拼命要买房子。
   夫妻的苦恼代表着穷人与富裕人之间越来越增加的中产阶级的人们的苦恼。有名的大学毕业了前途宽广,就有了相当不错的职业,有学问与见识,能想象广阔的世界,能谈艺术、政治、世界趋势。拥有这种有能力的他们心里描绘的理想美貌家庭的速写,又自己应该能得到的样子怎么这么努力都得不到的,他们的心里总有这种焦躁。
   最重要的是;这部电视剧表现的是可以称为中产阶级的夫妻为什么这样有经济方面的压力,因此连家族之间的羁绊与爱情都被破坏,这个根本的原因在社会与制度的矛盾。这就是很强烈的对社会批评。

   一方有因房价不断的提高而苦恼的老百姓,一方有暗中操纵房价从而得到利益的商人与官僚。在剧里描写商人与官僚怎么谋私利的具体方法。
   其中一个官僚跟政府的开发土地的业务有关,跟商人勾结谋私利。狗官强占民女。他爱上主角的妹妹。欺负弱者只关心沾便宜,一点都不感觉到道德方面的罪恶感可他爱上纯洁的年轻女孩,从金钱方面去救出来这女孩。阴谋诡计时的他的冷酷的眼神与那又可爱又明亮的女孩面前表现的像可靠的绅士模样为善的笑容是又可怕又可笑的。

   这部电视剧里社会中各种各样的层级的人都出来啦,并且每个人物描写的都很具体。因此这部剧有深度与宽度,它确有观看的价值。
   另外,出演的演员都演得很棒。剧里常常有很长的台词,每个演员都(连80岁左右的老太太也是!)演得很自然并像真实的。

   全电视剧35集,目前我只看了三分之一多。好像以后的情节里有婚外情或情人等的话题出来。我觉得,那种话题也不只是因为煽动情感的话题让人受欢迎。非道德的欲望真的是很多的人的真心里吗?我倒是想,社会里很多人需求的是家族之间的温暖的爱情和道德,这部电视剧表现的本质是对不是自私自利的话活不下去的社会的气愤。

   里面有很多台词,让我感叹。我想把一些好的台词试翻成日语。
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by koharu65 | 2010-12-19 20:56 | 中国ドラマ『蝸居』
 最近、中国の連続テレビドラマ『蝸居(カタツムリの家)』にはまっている。すごくおもしろい!2009年末に中国で放映されて大ヒットになったドラマなので、今ごろ話題にするのは少々流行遅れなのだが。

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 大都市に住む大卒出のサラリーマン夫婦が、自分たちの家を手に入れるために、カタツムリの殻のような狭い部屋に住んで節約生活を送る中、理想と現実の狭間で様々な問題にぶつかるというお話である。
舞台はおそらく上海と思われるが、ドラマの中では架空の都市名が用いられている。
 このドラマがヒットしたのは、今の中国の現実をリアルに描いて視聴者の共感を得たからだと言われている。確かに身も蓋もないような現実と本音が次から次へと露になる。しかしこれはただの露悪的なドラマではない。

 主人公の夫婦が住んでいるのはキッチン、トイレ共有の路地裏の集合住宅だが、実は、ここに住む住人の中で彼らは異質な存在である。夫婦は二人とも大卒出のホワイトカラーで、他の住民の多くは中学もまともに出ていないようなブルーカラー。節約することしか頭にない妻に向かって、夫が、「こういうところにいるから、君も他の住人のような小市民になってしまう」というセリフがあった。
 他の住民は、今いる場所を離れて別の広い家を持つことなど、はなから考えていない。昔からずっとその狭い場所に腰を落ち着けてそれなりに暮らしてきた。それで更にそれ以上のものが手に入るチャンスが転がり込むのなら、それに越したことはない、石にかじりついてでもそのチャンスは逃がさない、というシンプルな逞しさを持っている。失って惜しいものは自分の命だけ。大卒出の二人とは根本的に生き方が異なる。
 さきほどの夫のセリフからもわかるように、大卒出の二人にはプライドがあり、夢があり、理想がある。妻の妹のボーイフレンドは「君の姉さんは見栄っ張りなだけじゃないか。分不相応の家のために君まで巻き込まれる必要はない。」と批判する。しかし、妹は姉さんが見栄や面子のために家を欲しがっているのだとはどうしても思えない。
 夫婦の苦悩は、貧しい者たちと裕福な者たちの間で、次第に増えていく中産階級の人々の悩みを代弁している。いい大学を出て、前途洋洋の希望に溢れていた。それなりの給料を貰う仕事に就いた。学問も見識もある。広い世界を思い描くことができ、芸術や政治、世界情勢を語る。そうした能力のある自分たちが脳裏に思い描く手に入れることのできるはずの幸せな家族の肖像を、現実には手にすることができないという焦燥感。
 そして、最も肝心なのは、このドラマが、中産階級であるはずの夫婦がなぜ経済的な問題でこんなにもストレスを抱え、それによって家族の絆や愛情まで破壊されてしまうのか、ということの根本的な原因を、社会や制度の矛盾として描いているという点にある。これは強烈な社会批判だ。

 不動産の値上げに苦しむ庶民の影で、それを操り懐を潤すブローカーや政府の官僚がいて、その巧妙な手口が具体的に描かれる。
 その一人として、政府の土地開発事業に関わり、業者と癒着して甘い汁を吸う政府の官僚が登場する。越後屋と悪巧みする悪代官といった役どころだ。悪代官は明るくて可憐な町娘を手籠めにする。弱者を踏みにじり私腹を肥やすことに一筋の道徳的罪悪感も感じることのない悪代官が、純粋無垢な若い娘に惚れ、金銭的なトラブルに悩む娘を魔法のごとく救う。悪巧みの際の冷たく鋭い目つきと、娘の前で頼れる紳士として振舞う偽善的な優しい笑顔が、なんとも恐ろしい。

 このドラマには社会の様々な層の人々が登場し、それぞれが具体的にリアルに描かれている。そのため、奥行きが深く、視野が広く、見ごたえのあるドラマとなっている。
 それになんといっても役者が上手い。橋田壽賀子顔負けの長ゼリフがしばしば出てくるのに、どの役者も(80前後の老婆役の人ですら!)ごく自然にかつリアルに演技をこなしている。

 全35話のうち、まだ3分の1弱しか見ていない。そのうちに、浮気や愛人の話が出てくるらしい。そういう話にしても、ただセンセーショナルな話題だから人気を呼ぶというわけではないように、私は思う。非道徳的な欲望は、果たして本当に多くの人の本音なのだろうか?むしろ求められているのは、本来の家族間の愛情や道徳であって、ドラマの底流には、利己的でなければ生きていけない社会への憤りが感じられるように思った。

 含蓄あるセリフがたくさん出てきて、感嘆することが多い。次回、ドラマから気に入ったセリフを拾って日本語に訳してみたい。

 Youtubeでこのドラマを見ることができます(中国語)。こちらから。

つづく
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by koharu65 | 2010-12-19 20:55 | 中国ドラマ『蝸居』

夕暮れの風景


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《夕映え》

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《流れる飛行機雲》

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《雨上がりの文様》


いいカメラが欲しいな。今、持っているのは携帯についてるのだけだから。年末ジャンボを買わなくっちゃ。
我想买好的照相机。现在我只有手机上的相机。快点买年底大型彩票去!
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by koharu65 | 2010-12-18 15:09 | 雑感
 もう一度読んでじっくりと考えようと思ったけれど、いつになるかわからないので、とりあえずざっくりとした感想をまとめておく。(以下、結末に触れる部分があるので、これから読もうと思っている方はご注意を。)

 『1Q84』の中で繰り返し且つ重層的に語られる主旋律は、理不尽な暴力による支配に苦しむ人たちの姿である。物語の中には、柔らかな心や肉体を蹂躙され傷つけられる子どもや女性が多く登場する。主人公の二人からして、子どもの頃、自らの意志に反して親から強制された行動に従ってきた経歴を持っている。それはつまり、心と体が引き裂かれるような体験ではなかろうかと思う。
 多くの人は多かれ少なかれ、思い通りの人生を歩むことができない。しかし、もしそれが自ら選び取った人生であると感じることができるのなら、それはそれで前向きに現実に立ち向かっていくこともできよう。しかし、もし目の前の現実が暴力的に押し付けられるものであったとしたら、自分自身の力で変えようがないという無力感や絶望に囚われて抜け出せないようなものであったなら、心はひたすら現実から目を背け、壊れやすい内面を守ることだけで精一杯となるだろう。
 結論を先に言ってしまえば、『1Q84』とは、引き裂かれた心と体をひとつにすることによって、自分自身の人生は自分のものだという実感を抱かせ、現実に立ち向かうための力の源泉を取り戻そうという試みではないかと思う。

 主人公のふたりは、ふたりがひとつになって、ふたつの月が存在する相対性の世界から抜け出すために、ひたすら互いを求め続け、出口を探る。この世界に実際にふたつの月が存在するのか、それとも、彼らの目にだけふたつの月が映っていて他の人々の目には月はひとつにしか見えないのか、それとも月がひとつであるのは自明なので人々は夜空など見上げることがないのだろうか。

 牛河という人物が印象的だ。主人公のふたりより印象に残るほど。牛河の死はあっけなくかつ衝撃的だった。そしてもっと衝撃的なのは、死体となった牛河の口からリトルピープルが生まれる場面である。牛河は強いコンプレックスを抱えながらも、一方で実務的にはきわめて優秀な人物として描かれている。時折、彼の脳裏に浮かぶ幸せな家族像は実際に一度は彼の手の中にあった現実であるにもかかわらず、現実感をともなわない空想の楽園のようだ。彼はかつてあった幸福な家族像をよすがとして、現実の自分はただ生きるためだけに生きている。自分の行動の意味など考えない。考えることを封じている。しかしその底には常に現実の社会に対する強い恨みを抱えている。そうした牛河からリトルピープルが生まれるというのは、とても興味深い。押さえ込まれたルサンチマンがリトルピープルに姿を変えるのではないか。

 思いつくままに書いてみたけれど、やはり読み返してみないとよくわからないところが多い。例えば、「ふかえり」の存在とか、「空気さなぎ」の意味とか。
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by koharu65 | 2010-12-12 21:17 | 本・小説・映画

私が中国を好きな理由

 前々から時々考える。私が中国を好きな理由は何だろうと。
 きっかけはたぶん、さだまさしが作ったドキュメンタリー映画、『長江』を見たことだろう。長江の源流を探るというテーマで、さだまさしが長江沿いをずっと旅する映画だった。映画の中でみた中国の壮大な景色に魅せられた。
 それから、中学3年生のとき、杭州へツアーで旅行に行った。まだ皆、人民服を着ていた時代で、色のない時代。早朝、西湖沿いを散歩すると、朝もやで霞む湖畔に薄墨色の人影が三々五々浮かび上がる。ジョギングする人も、急ぎ足に出勤する人もいない。なにをするでもないただゆっくりと歩く人々。車の音ひとつしない。喧騒のない、しんとした空気。まるで掛け軸の中の水墨画に紛れ込んでしまったかのよう。本で読んだ胡蝶の夢そのものだった。

 今は中国もすっかり様変わりした。水墨画の静けさから、色彩溢れる喧騒へと。私が初めて出会った頃の中国を懐かしくは思うが、今の中国もまた魅力的だ。

 近頃思うのは、改革開放以来の中国は拝金主義と評されたりもするが、それすらもまた時代の一時期の潮流に過ぎず、中国の民衆の根底に昔から今まで綿綿と受け継がれ続けているものとは儒教の伝統ではないかということ。マルクスも毛沢東も結局、孔子には勝てない。梃子でも動かない濃密な民衆の文化がそこにある。

 あれこれと考えていると、結局これは評価の問題ではなく、嗜好の問題なのだということに思い至る。じゃがいもが好きな理由や玉ねぎが嫌いな理由を説明するのは難しい。私は中国に惹かれる。ネズミがお米を好きなように。


『ねずみは米がすき』(『老鼠愛大米』日本語版)



   《我喜欢中国的理由》
   从前有时候我思考,我为什么喜欢中国呢?
   我喜欢上中国的最开始可能是看了佐田雅志做的电影记录片“长江”。因为它是探索长江的源流为主题,佐田雅志他本人沿着长江走到峨眉山的旅行记片。我迷上了电影里的中国的壮丽的风景。
   后来我初中3年级时,参加了去杭州的团体旅游。那时大家都还在穿中山服,是没有颜色的时代。清晨在西湖岸边散步,从白色的薄雾中淡墨色的三三五五的人影出现。没有人跑步,没有人匆匆忙忙要上班。人们不是在做什么的,只是慢慢地走路。汽车的声音都没有。没有嘈杂,空气很清澈。像进去了水墨画里,像从前书里看过的蝴蝶梦似的。

   现在,中国变得很多。从水墨画的宁静变成色彩丰富的嘈杂。虽然我怀念第一次体验的那时候的中国,可是对我来说现在的中国也很有魅力。

   最近我想,改革开放以来的中国往往被叫拜金主义的社会,但连这个也是一个时期的潮流而已,从古到今中国老百姓的骨子里绵绵继承的是不是儒教的传统?马克思或毛泽东都赢不过孔子。中国拥有一动也不动浓厚而细腻的文化。

   这么想来想去,我想到了总之这不是评价的问题而是嗜好的问题。不容易说明喜欢土豆或不喜欢洋葱的理由。我就是喜欢中国,像老鼠爱大米。
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by koharu65 | 2010-12-10 22:15 | 雑感

阿牛は草食系?

 ある中国人の日本語ブログに北京の満月の写真が載っていたので、コメント欄で阿牛の『北京的月亮』を紹介してみた。「北京の満月にぴったりの歌ですよ」というコメントを添えて。すると、返事が、「いい歌だけれども、北京風ではないね。」ということだった。北京風ってどんなんだろう?と思い、尋ねてみると、阿牛のその歌は「草食系っぽい」とのこと。北京風というのは“崔健”や“劉歓”のような感じだそうだ。“崔健”は中国のロックの草分け的存在で超有名な歌手なので、私も耳にしたことがある。“劉歓”は知らなかったのでyoutubeで探して聞いてみた。なんだか古い歌手みたいだ。崔健のロックはハードなものではないけれど、それでもロックなので叫ぶように歌う。劉歓は重々しく伝統的正統派歌手といった感じだ。どちらも確かに力強い。
 そうか。そういう質実剛健の力強さが北京風ということなのか…。それで阿牛のようにちょっとセンチメンタルな哀愁のある歌は北方人から見ると軟弱に感じるのかもしれない。日本の歌全般もどちらかというと南方系に属するんじゃなかろうか。

 そういえば、最近ネットの投稿サイトで、ある2人組の民工(地方から大都市に出稼ぎに来ている労働者のこと)が歌う動画が大人気らしい。


 うーん、三島由紀夫みたい(わかりにくい例えだ…)。力強い歌も好きだけれど、こういうマッチョなのはビジュアル的にちょっと苦手。


   我看见了有个中国人的日语博客上登载的北京的满月的照片,我在他的留言板上介绍了阿牛的“北京的月亮”。并且留了“这首歌跟北京的月亮真合适的”这种话。博客主人回复说;“好的歌,不过不像北京风格”。北京风格是什么样呢?我问了他。他说;阿牛的那首歌有点像草食动物风味”(最近日本有个流行单词“草食系男孩”,简单地说它指软弱、淡泊的男孩),北京风格的歌是像崔健或刘欢他们唱的歌。
   崔健是中国摇滚乐的先驱者,因为他是非常有名的歌手,我很早就听过他的歌。刘欢,我就不知道啦。在youtube上找试听。好像他是很老的歌手。崔健的摇滚乐虽然不是很硬的但还是摇滚像喊叫地唱。刘欢,我看比较正经,是传统、正统歌手吧。两个都确实让人感到有力。
   看来这种质朴而刚毅、有力量的就叫北京风格啊。所以像阿牛那种多情善感的、引起哀愁的歌,对北方人来看有点感到软弱吧。如按这个理论一般的日本歌也会不会属于南方系列的范围哪?

   听说最近在网上视频有两个民工唱的歌非常受欢迎。
   我看他们的外貌就想起了“三岛由纪夫”。我也喜欢有力的歌,不过这种太强调肉体的方法,我不太喜欢。
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by koharu65 | 2010-12-07 21:43 | 音楽


 『そこの彼女、こっち向いて』-阿牛 (日本語訳:小春日和)

そこの彼女、こっち向いて
こっち、こっち
僕といると きっと面白いよ
知らん顔しないでさ

そこの彼女、こっち向いて
こっち、こっち
驚かないでよ
僕だってよく見りゃかわいいでしょ

寂しい男の子の愚痴なんて
誰も聞いちゃくれないんだ
お願いだから僕に微笑みかけて
一緒に冗談言って笑いあおうよ

(確かに僕はブサイクさ、でも優しいんだけどな)

左見ても右見ても 上見ても下見ても
女の子ってみんな複雑
どんなに考えても想像しても
女の子って摩訶不思議

暇にまかせて蝿、はたく
左、はたいて、右、はたき
なんで彼女ができないんだろ
誰も振り向いてくれない… あ~あ (>_<)

そこの彼女、こっち向いて
こっち、こっち
寂しい男の子が愛を求めてる
ちょっとでいいから僕に愛を!愛を!愛を!

左見ても右見ても 上見ても下見ても
女の子ってみんな複雑
どんなに考えても想像しても
女の子って摩訶不思議

左見ても右見ても 上見ても下見ても
女の子ってみんな複雑
どんなに考えても想像しても
女の子って摩訶不思議
愛ってホント、摩訶不思議

 1998年に台湾の人気歌手“リッチー・レン(任賢斉)”が歌って有名になった阿牛の曲です。もてない男の子の嘆き節なので、リッチー・レンみたいなもてないはずのないかっこいい人が斜に構えて歌うより、阿牛のように、おちゃらけて明るく真正面から歌った方が愉快でかわいくて、私は好きだ。
 直訳すると日本語として不自然になる部分が多く、だいぶん意訳しました。

 リッチー・レン(任賢斉)の『對面的女孩子看過來』はこちら

这是1998年台湾有名的歌手“任贤齐”翻唱后在台湾非常流行的歌曲,原唱是阿牛。歌词内容是很想要女朋友可是没有女孩爱的可怜地男孩的悲叹。我觉得阿牛又开朗又嘲弄地唱的样子比像任贤齐不可能没人爱的帅男孩子唱的更好。
直译的话日语有点不自然,我就很多部分意译了。
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by koharu65 | 2010-12-06 20:52 | 音楽
 繋がれた捨て猫の話の続き。

 妹の、そのうち誰かが紐をほどくんじゃない?という予想は大当たりだった。
 3日ばかり前、いつもの場所に猫の姿が見えなかったので近寄ってみると、空のネコ缶の隣に一枚のメモが置いてあった。メモにはこう書かれてあった。

ネコをしばらないで。キケンです。
犬が来たら逃げられません。
あなたに何かあったらエサはどうするの?
強いネコにしてください。
 メモを読み終えて帰ろうとすると、少し離れた茂みに例の猫が大人しく座っているのに気づいた。紐には繋がれていない。エサも寝床もあるし、もうここが住みかだと心得て遠くへは行かないのだろう。

 さて、その次の日の夕方、いつものように散歩に出かけ土手の階段を降りようとすると、青いビニールシートのあるあたりから年配の女性が二人、出てくるのが見えた。猫のいる場所の方を振り返り振り返りして、何か話しているので、こちらから近寄って声を掛けてみた。
 「猫、いますか?」
 「いるよ。」
 「ずっと前からいますよね。紐に繋がれて。」
 「そうだよ。かわいそうにねえ。あたしら、昨日放してやったんだけどね。今日また繋がれてたよ。」
 「え、昨日、メモが置いてあって。誰か放したんだなって思ったんですけど。」
 「メモはまだあるよ。傘のところに挟んであったから見たとは思うんだけどね。」
 「また繋いだんですねえ。」
 「だから、あたしら、今また放してやったんだよ。」
 猫はすぐそばの茂みにうずくまっていた。
 「ついてこようとしたから、今、来るなって言ってたんだけど。でも、こっちの歩道の方へは出てこないみたい。」

 夕飯の席で、この顛末を家族に話すと、
 「おー、これから繋ぐ人と放す人と、バトルになるねえ。」
と妹が言った。
 母は相変わらず断固とした態度で、放す方がとんでもない、野良猫が増える、迷惑だ、と言う。

今日の夕方、猫の姿はどこにも見えなかった。容器の中には食べかけのエサが残っていた。


   被拴的野猫的故事-续编。

   妹妹说过;过会儿有人会把它的绳子解开。她的预测完全对了。
   三、四天之前我在往常的地方没有发现那只猫,走到眼前看,在猫的食物容器旁边有一张纸,写道;

不要拴起来猫。很危险。
狗过来的话它逃不了的。
你有什么理由不来了,让它就饿死的。
应该给它独立自主。
   我读完就要回去时看见了那只猫在旁边的草丛里乖乖地蹲伏。它没有被拴。它也知道在这儿有吃的有住的,已认为这儿是它的家,不愿意去很远的地方。

   第二天傍晚,我跟平常同样正要下河堤的台价时,看见了两个老太太从摆着蓝色的塑料布的那边走过来。她们一边回头看那只猫的家的附近一边聊什么话的样子,我走过去她们那儿问问;
“猫,还在吗?”
“在啊。”
“好像一直在这,被拴起来的呀。”
“是啊!真可怜啊!我们昨天把它放了,可是今天有被拴起来了。”
“哦,是吗。昨天我看见了有一张便条在那里。我想有人放它了呢。”
“便条还在那儿呢,夹在雨伞那边,所以主人应该看过那张便条。”
   我看见了猫在旁边的草丛里蹲伏。
“它好像要跟着我们,所以我们刚才告诉它别跟着,不过它好像不敢过来到这边的人行道。“

   我在吃晚饭时提了这只野猫的话题。妹妹说;
“有意思。拴派与放开派开始斗争了。”
   妈妈还在坚持原来的态度,不应该放它,野猫多了就给人添麻烦了。

   今天晚上我又散步去的时候,猫不在了。容器里留着吃一半的食物。



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by koharu65 | 2010-12-01 21:54 | 鳥、蛙、魚、犬、猫