過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

<   2011年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

 さて、大使館のすぐ横に旅行社があります。旅行社の前で女性が二人、大使館から出てきた人に、安い航空券があるよ、と中国語で声を掛けていました。なんだか中国にいるみたいな気分だな、と思いながら100mほど行くと、今度はガードレールにもたれかかりながら新聞を差し出す小さなおばあさんが二人いました。中国語の新聞です。私はてっきり、新聞を売ってるんだと思いました。中国の路上にはよく新聞売りのおばあさんがいます。
 充分通り過ぎてから、夫に、
「中国のおばあさんって日本に来てまで新聞売るんだ。」
と言うと、
「売ってるんじゃないよ。ただで配ってる。反共産党の新聞。」
「え!?…そう言えば、共産党とロシアがどうのこうの、って言ってた?」
「共産党がロシアに土地を売ったって言ってる。国境のことだろ。」
「でも…、あんなおばあさんが反共産党運動をしてるの?」
「法輪功だよ。法輪功にはお年寄りが多い。」
[PR]
by koharu65 | 2011-01-28 13:08 | 中国・中国語

中国大使館領事部

 先日、久しぶりに東京へ出かけてきました。
 中国大使館へと足を運びました。近くにあるギリシャ大使館やルーマニア大使館の前は閑散として人っ子ひとりいないのに、中国大使館のある通りへと曲がると、打って変わって三々五々の人の群れが続き、中国語が耳に飛び込んできます。
 50mくらい手前のT字路に警官がひとり、大使館前にもひとり。領事部の入り口では、飛行機に乗るときのように、セキュリティーチェックを受けました。数年前はこんなに警備が厳しくなかったので、これは昨今の日中関係のせいでしょうか?
 中も人でいっぱい。1階は手続きを終えたパスポートの受領と手数料の支払いの窓口で、2階が申請窓口です。
 エレベーターで2階に上がると、降りてすぐのところにガラス張りのブースがあり、中に制服の女性が一人、座っています。まずここでどうしたらいいか訪ねたり、必要な資料を教えてもらったり、記入済みの書類をチェックしてもらって、提出すべき書類や資料がすべて整っているのが確認されたら番号札をくれます。
 病院の待合室のような長椅子に座って待っていると番号を呼ばれるので、奥の方に6つほどある窓口のひとつに書類を提出します。

 初めの受付のブースにいる女性の手際がすごくよくて、感心することしきり。てきぱきてきぱき。次から次へとひとりひとり違うことを聞いてくるのだろうに、自在に答えています。受付のブースは一つしかなく途切れなく人が上がってくるので列が短くなることはないのだけれども、対応が早いから並んだ後はそう待たずに順番が回ってきます。
 政府機関でこんなにてきぱきと見事に働く中国人を見ることは滅多になく、後から考えると確かに少し違和感がありました。けれど、自在に中国語を操っている様子はとても中国人以外には見えなかったので、夫に、
「あの人、中国人だよねぇ。」
と確認すると、
「日本人だよ。発音がネイティブじゃない。」
とのこと。
 えーっ!と思ってそばでしばらく聞き耳を立てていると、日本語には日本語で対応していて、その発音に、あ、日本語のネイティブだ、と気づきます。さらに、英語で尋ねる人には英語ですらすらと答えている。
 私が彼女のことを中国人以外には思えなかったのは、言葉が技術的に流暢だというだけでなく、受け答えの物言いや態度が実にざっくばらんで、遠慮がないというせいもあります。日本風のまわりくどさ、慇懃さ、へりくだったしとやかさが全然ない。それが対応の早さにつながっている。簡潔な中国語で、ここがだめ、何が足りない、こうして、ああして、と直截的に指示しているので、長ったらしい日本語よりずっと時間が節約できます。
 主客に隔たりのない中国的な合理主義と、仕事に対する日本的な真面目さ熱心さとが見事にミックスされたすばらしい能力に心から感服しました。世の中には優秀な人がいるものです。

 手続きを終え、建物を出ると、夫が言いました。
 「日本にこんなにたくさんの中国人がいるんだから、日中関係が修復できないほど最悪の状態になるなんてことは、絶対にないと思うな。日本と中国はもう切っても切れない関係にある。むしろ今みたいにちょっとトラブルがある方が、お互いに言いたいことを言えて、いいかもしれないね。」
[PR]
by koharu65 | 2011-01-25 14:36 | 中国・中国語

金の斧と銀の斧

 スーパーで買物をして帰って家についてから気がついた。買ったはずのきゅうりがない。レシートを確かめると、確かにきゅうりを買っている。たぶん、品物を籠から袋に移したときに、台の上に忘れてきたんだ!
 そこで、あわててスーパーに戻った。
 まず台の上を見回してみたが、見当たらないので、サービスカウンターで聞いてみる。
「すみません。さっき、そこの台の上に買ったきゅうりを忘れていったんですけど…。」
 カウンターの後ろの女性は、ああ、というふうに頷き聞き返した。
「きゅうりは二本ですか?それとも三本ですか?」
 私は予期せぬ質問にとまどいながら答えた。
「えっと…。二本です。」
店員はにっこり笑ってカウンターの下からきゅうりが二本入った袋を取り出し、私に差し出した。
「はい、これですね。どうぞ。」

 帰り道、なんだかおかしくなって、自転車を漕ぎながら、にやにやするのをおさえきれなかった。
 そっか、同じ日に同じきゅうりを忘れた人がいたんだ、ただ本数が違うだけで、と。
 それから、「金の斧と銀の斧」のお話みたいだ、と思った。

 カウンターの後ろからエプロンをした女神が現れる。
「あなたが落としたのは、二本のきゅうりですか?それとも三本のきゅうりですか?」
 そして正直者の私は、褒美として、落としたのときっちり同じだけの二本のきゅうりを受け取ったのであった。

 考えてみると、金の斧も銀の斧も普通の鉄の斧も、きゅうりの本数の違いとなんら変わりがないのかもしれないな。



  我在超市买东西回来,到了家就发现了,包里没有买的黄瓜。我确认了发票上记载。我可能把东西从筐子里移到提包里时忘在台子上的吧!着急地回超市去了。
首先往台子上扫了一眼,没找到。去服务台问了一声;
“我刚才买菜时忘在那儿的台子上黄瓜了。。。”
服务台的女人,像已明白的样子点头反问我;
“您说的黄瓜,两个呢?还是三个?”
我听到没有料到的问题,踌躇地回答;
“哦,我忘的是。。。两个黄瓜。”
店员笑着从服务台的下面拿出来里面有两个黄瓜的袋子,递给我了。
“是这个吧,给你。”

  回家的路上,我骑着自行车不禁不笑。原来有人在同样的日子忘了跟我同样的黄瓜,只差点数量。然后我想起了“金斧与银斧”的故事。

  从服务台后面一个带围裙的女神现出来了。
“你掉的是两个黄瓜吗?还是三个黄瓜吗?”
  然而老实人的我得到了跟掉的正好一样的两个黄瓜作为奖品。

  这么想,看来,金斧与银斧、还有普通的铁斧的差别都只不过跟黄瓜的数量差别一样呢。
[PR]
by koharu65 | 2011-01-20 09:16 | 雑感

着せ替えウサギ

 6歳の姪っ子に、着せ替えできる人形が欲しいと頼まれたので、作ってみました。姪っ子は「人形が欲しい」と言ったつもりだったようですが、私が勘違いしてウサギになりました。
 この子は何か欲しいものがあるとき、○○が欲しいから買ってとか、作ってとか、直接訴えずに、遠まわしに言います。この時も、おばあちゃんに買ってもらったウサギのぬいぐるみで遊びながら、まず、「これ、エプロンがくっついていて取れないの。取れるのがいいなあ。」とつぶやき、その後、「前に作ってくれたお人形さんみたいなの、また欲しいなあ。」と、ひとり言のように言いました。私はなぜかその時、この子はウサギの着せ替え人形が欲しいのだと思い込んでしまいました。よくよく考えると(考えなくても)、彼女は前に作ってあげた文化人形のようなもので着せ替えできるものを欲しいと言ったのですが。
 
 お正月に別の家の小学生の姪が遊びに来て、我が家で作りかけの着せ替えウサギをみつけました。ためつすがめつ見ながら「かわいいねぇ」としみじみと言うので、思わず「これが終わったら作ってあげようか?」と言ってしまいました。その子にはお姉ちゃんもいるので、そうするとお姉ちゃんにも作らないわけにはいかない。本当は次は十二単の人形をもう一体作ろうと考えていたのですが、こうなるとそっちはしばらく棚上げです。

 それにしても最近の子どもは皆、大人だなぁ。

c0173113_9103182.jpgc0173113_9105668.jpgc0173113_9111559.jpg

c0173113_9114817.jpgc0173113_91222.jpg

 スカート以外はすべて後ろあきで、マジックテープで止めるようになっています。スカートはウエストがゴムになっているので、下からはかせます。
 最後の毛糸の白いドレスは、編み物の得意な母が作りました。
[PR]
by koharu65 | 2011-01-15 09:14 | 人形作り
 中国ドラマ『カタツムリの家』からおもしろいと思ったセリフをひとつ紹介してみよう。

 再開発地区に指定されて立ち退きの通知を受けた家の主人が、立ち退き料を貰う手続きに必要だからと、あわてて引き出しから戸籍謄本を探す。現金が手に入るというので、喜び勇んで手続きしようとするのである。それに対して、母親である老婆が息子を止める場面。

--------------
老婆:「他の連中は金を貰って新しい部屋を買おうってんだろうが、あたしらは、金を貰ったからって何ができるのさ?今どき、20平米なんて狭い部屋、用意してくれるもんか。40平米くれるとしたって、郊外の上に、8万から10万の不足分を出さなきゃならないんだよ。おまえ、そんな金、あるのかい?」

嫁:「じゃあ、お母さん、いったいどうしろって…。」

老婆:「引っ越さないのさ。手続きしないで、ただじっと待つんだよ。」

息子:「だけど、最近はあちこちで強制立ち退きされてるっていうじゃないか。死人が出たって話も聞いたぞ。俺ら、普通の庶民があいつらと戦うっていうのか。そりゃまるで、卵が石にぶつかっていくようなもんだ。」

老婆:「試してみるさ。取引するったって、こっちにはこのぼろい部屋があるだけ。他に何があるって?金も学も地位も、手に職も、何にもない。あるのはこの部屋だけ。これがあたしらの唯一の資本ってことだ。
 だけどね、あたしらは卵じゃない。石なんだよ。肥溜めの石積みの石さ。あいつらこそ、あたしら一家のためだけに、つかんだ金を放すなんて真似、しやあしない。たとえ最後になったって、やつらの肉をひとかけ、食いちぎってやろうじゃないか。骨までしゃぶろうというんじゃなきゃ、あいつらだってそれくらい喜んで差し出すさ。
 あいつらにも弱点があるんだよ。あいつらこそ卵さ。あたしらはただここに座って、向こうからぶつかってくるのを待てばいい。」

息子:「そんな…、そんなこと…できるのか?」

嫁:「お母さんはなんてったって、いろんな経験をしてきた人なんだし。まあ、お母さんの言うとおりにしてみましょうよ。」
--------------
 
 このセリフを聞いて、私はすぐに、村上春樹が、昨年の2月にイスラエルの文学賞“エルサレム賞”を受賞した際語った卵と壁の話を思い出した。
 彼は、システムを固く高い壁に例え、私たち人間をそれにぶつかれば簡単に壊れてしまう卵に例えた。ところが、この中国の老婆はどうだろう?自分たちは卵なんかじゃない、石だと言う。しかも厠の穴の壁を補強するために中に積み上げる石積みの固い石だと言うのである。おもしろいと思った。そう言えば、ロシアの小説に出てくる農民も石のような農民が多い。ノーベル賞の候補になるような小説家の言葉が、必ずしも真理を透徹しているとは限らない。一介の老婆の見識がよりリアルに重みを持って響くこともある。



  下面介绍一下从中国电视剧“蜗居”中我觉得有意思的台词。

  场面是这样;有个小巷里的老房子的房东收到了拆迁的通知。他因为手续方面的需要着急地找抽屉里的户口本。因为他觉得能得到现钞,高兴地积极要手续。他老母亲却阻止儿子去着急地申请拆迁。

--------------
老太太:“人家拿钱去买新房子了,我们拿钱够干的什么呀?现在哪有是造一个20平方米的给你呀。即使给你一个40平方米的,还在郊区,让你贴个10万8万的。你有钱吗?”

儿媳妇:“那妈你的意思是。。。”

老太太:“不搬。不去登记。就这么待着。”

儿子:“可是现在在强迁的多得是。有的地方还出人命了。我们这种平头百姓跟他们斗啊。那不是鸡蛋碰石头吗?”

老太太:“那就试一试呗。你跟人家谈条件的,只有这间破房子。你还有什么?金钱、技术、学识、地位,你什么都没有啊。就这个。这是我们唯一的本钱嘞。
   可是我们不是鸡蛋。是石头。是茅坑里的石头。他们呐,才不会为我们这一家舍得放弃那到手的钞票呢。即使最后啊,我们啃下他一块肉来。只要不动他筋骨,他们还是会愿意的。
   他们有弱点。他们才是鸡蛋呢。我们就坐在这儿,等着他来撞我们。”

儿子:“这,这能行吗?”

儿媳妇:“妈是老江湖。我们就照妈说的去做。”
--------------

  我一听这个台词就想起来了去年2月份村上春树获奖以色列文学奖时讲的“鸡蛋与墙壁”的故事。
  他把体制比喻了又高又硬的墙,把我们人类比喻了碰它就容易弄碎的鸡蛋。但这个中国的老太太怎么样呢?她说她们不是鸡蛋,而是石头。而且是茅坑里的石头。这个话,真有意思。我想起俄罗斯的小说中的农民也像石头的农民比较多。能当诺贝尔奖的候补人的作家讲的话不一定透彻出人世的真理。有时只是个普通的老太太的见识就让人感到更实在更有威信。


つづく
[PR]
by koharu65 | 2011-01-11 09:30 | 中国ドラマ『蝸居』

歌の力と個性

 第61回の紅白歌合戦、きっちり全部、見た。
 悪くなかったと思う。
 昨今、歌の力や言葉(歌詞)の力自身が衰えているので、歌が世代を超えて心を繋ぐなどというお題目を声高に叫んでも、なんだか虚しいような気がする。今回の紅白も一応そういうテーマを掲げてはいたけれども、まあ、テーマがないとまとまらないので仕方がない。でもそれが押し付けがましくならない程度に上手く抑えられていたと思う。景気のせいもあるだろうけれど、舞台装置の地味さといい、全体的に上品で身の丈に合わせた作りに好感を持った。雑だった前回の紅白より、ずっとマシだ。
 どっちみち歌自体に力がないという日本の文化全体に関わる大事については、いち番組の製作者にはどうしようもないことなので、無理をせず、プロらしく丁寧な構成さえ心がけて楽しませてくれればそれでいいと思う。

 一番印象に残ったのは、桑田佳祐。結局は“人”ということなのかなぁ。出演者個人の力量や才能、人生の重み、芸の深さなどが見る人聞く人にきっちり伝わってくるということなんだろうな。
 『トイレの神様』は、曲だけ聴いたときは、どうしてこんななんでもない曲が…と疑問に思ったものだけれども、生で歌ってる姿を見たら思いがけず心が揺さぶられてしまった。不思議だ。
 やっぱり氷川きよしがいい(一昨年も同じようなことを書いた。どうやら私は氷川きよしが好きらしい)。歌い方が少し変わった。この人はもっと自由な精神や情熱を内に秘めてるのに、それをストイックな意志の力で強く抑えてるといったふうに見える(考えすぎかな?)。これは単なる個人的な好み。
 トリと大トリにはがっかり。けれど、これも個人的な好みの問題だろう。ファンの人にとっては喜ばしいことに違いない。
 深い芸を積み重ねてきた或いは積み重ねていく人たちと違って、いわゆるアイドルと呼ばれる人たちには流行廃りがある。その時々に勢いのある人たちというのは見ていてやっぱり小気味よい。楽しいし意気があがる。

 いきものがかりは好きなんだけど、なぜか売れてる曲にはあまり心惹かれない。アルバムの中のマイナーな曲の方がちょっと変わってて個性的な歌詞が多い。彼女たちの初期の歌も個性的だった。不特定多数の人に“ウケる”ためには、無難でなきゃだめなのだろうか。
 それで思い出した。『歌の力』という曲が紅白のテーマソングになっていて、途中で出演者皆で合唱した。詞が、視聴者から寄せられたフレーズを繋ぎ合わせて作られている。もう全然、まったく、ちっとも、さっぱり、おもしろくない。一般的で抽象的で上滑りのただの単語の羅列。耳に残らない。心にひっかからない。主体のない寄せ集めの言葉なんて中身がからっぽに決まってるのに、NHKの人たちはどうしてこういうつまらないやり方をしたのだろう。
 それで、またまたいもづる式に思い出した。昨年末に叔父が日産のGT-Rという車を中古で買ったのでそのお披露目を兼ねて遊びに来た(一生の夢を退職金をはたいてかなえたのだと事前に聞いていた。)交通手段としての車ではない、走るための車だそうだ。で、彼が以前乗っていた車がプリウスで、彼が言うには、プリウスほど運転しやすい乗りやすい車はなかった、今までで一番よかったね、この車(GT-R)は扱いにくくて大変だ、3年くらい乗ったらまたプリウスにしようかと思ってる。
 せっかく夢をかなえたのに変なの、と、この話を弟にしたら、
「プリウスってデザイン的にはすごくつまんない車だって、ヨーロッパの自動車メーカーの社長が言ったって話だよ。こんな車、うちでは絶対に作らないって。」
 やっぱり不特定多数に好まれる車にしようとすると、無難な車、個性のない車になるのだろうか。車のことは全くの門外漢なので、実際のところはどうなのか私にはわからないけれど。
[PR]
by koharu65 | 2011-01-06 09:19 | 雑感
 昨日紹介した中国ドラマ『蝸居(カタツムリの家)』がすごくおもしろいと思ったので、北京の夫に、見たことある?と聞いてみた。すると、
「見たことはないけど、噂には聞いてる。」
とのこと。見たいと思わないの?と重ねて聞くと、きっぱりと断固として、見ない、と言う。現実的なドラマは見ないのだそうだ。
「え~、でも、このドラマは現実的だけど、それだけじゃなくて、社会批判があると思うよ。」
「そういうのは、今、中国の流行りだからね。」
 そうか…。流行りなのか…。
 そう言えば、ちょっと前に夫が紹介してくれたお薦めの映画は『山楂樹之恋(サンザシの恋)』という純愛映画であった。
c0173113_8525496.jpg

『サンザシの恋』
 中国の70年代から80年代にかけての文化大革命中、ちょうど日本の戦時中のように結婚前の男女交際が厳しく監視されていた時代のお話です。初心な青年と少女が純粋な恋をするお話。恋する二人とそれから背景の田舎の光景が、もう美しくて美しくて。まるでこの世のものとは思われない桃源郷に入り込んだよう。
 ストーリーは本当にシンプルなので、あえて紹介しません。昔、『一杯のかけそば』という話が流行ったけれど、あれもただあらすじを言ってしまえば、なんのことないのですよね。物語と言うのは、あらすじだけじゃない、それをどう語るか、どう見せるか、「語り部」の力というのが重要な役割を果たしてるのだということをつくづく感じます。
 さすが、巨匠、張芸謀監督。映像として美しく見せる手腕に長けていると思いました。
 興行的には大成功をおさめているらしいですが、一部の評論では、評価が低いようです。深い思想がない、とのこと。しかし、いったい何を以って「深い思想」と言うのか。『サンザシの恋』は、純粋な風景の美しさ、純粋な人間の感情の美しさを、どう観客に伝えるか、練りに練られて作られた作品だと思いました。
 この映画が批評家に“深い思想がない”と低く見られるということと、夫の言った現実を描く社会批判的なドラマが今の中国の“流行り”だということとは、何か関連があるような気がします。
 『サンザシの恋』は、現代の中国に失われた、或いは忘れ去られようとしている純粋な風景や感情を再現することによって、人が如何に美しい心を持ち得るかということを思い出させ刻みつけるという意義を持っていると思います。

 熟練の俳優ではどんなに上手く演技しても、本当の少女や青年の純粋さは表現できないということで、主人公の二人はオーディションで選ばれた新人で、この映画がデビュー作だそうです。
ヒロインの女の子が、まあ可愛くて可憐で素朴で。演じたのは周冬雨という18歳の、まだ高校生の女の子です。
c0173113_8523950.jpg

 さて、話を元に戻せば、映画とドラマを比べるのはそもそも無理があるかもしれないが、確かに『サンザシの恋』は見ていて心が洗われるような気持ちになるけれど、『カタツムリの家』は、特にその現実の社会の中に生活している人間からすれば、既に見飽きてうんざりするばかりだと思うのにも頷けることではある。


   因为我觉得上次介绍的电视连续剧“蜗居”非常有意思,所以问了我丈夫,你看过了没有?
   他回答说:“没看过,但听说过。”
   我再问“你不想看吗?”,他断然地说“不看”,还说“我不看现实的”。
“可是,它不只是现实的呀,而是对社会批评的。”
“那种东西,现在在中国很流行。”
哦,是吗。。。,是流行吗。。。
   这么说我想起来了,以前我丈夫给我推荐的电影叫“山楂树之恋”,是描写纯爱情节的电影。

《山楂树之恋》
   这部电影是中国70年代文化大革命中,正像日本二战时代,对结婚之前的男女关系管理的特别严格的时代的故事。是纯洁的青年少女谈纯粹的恋爱的故事。谈恋爱的这两个人的模样和农村的风景都很漂亮、非常美丽,观众会感到貌似误入了世外桃源的样子。
   情节很简单,不必介绍。情节上它没什么特别的内容,但一个电影作品中情节并不是最重要的,更重要的是把它怎么讲、怎么表现的具体方法,这是跟讲述的人的具体能力有关系。
   张艺谋导演还是巨匠。他擅长怎么构造美丽的风景从而给人印象深刻表现怎么的感情。
   虽然演出成绩很好,可是听说一部分的评论不怎么好,说是这部电影没有很深的思想。“很深的思想”指什么呢?评论家认为它没有很深的思想,与我丈夫说的现在的中国流行描写现实生活并对社会批评的剧作,我想这两点好像有什么关联。
   “山楂树之恋”再现啦现在的中国失去的或要忘记的纯粹的风景和感情,我觉得它用这种方法让人们想起并刻画人能拥有那么纯粹的感情,这是很有意义的事。
   导演认为如果采用熟练的演员,演得怎么好也表现不出来真正的青年少女的纯洁,所以主角的两个人通过海选从很多人中被选出来的新人。两个人都以这部电影是最初出演的作品。
   女主角多么可爱多么纯朴!演的人才18岁是高中学生,名字叫“周冬雨”。

   话回到前面,也许本来电影作品与电视剧不能比较起来,可我承认确实看“山楂树之恋”时,感觉心里被清洁得很干净,可看“蜗居”时,特别对在那社会的现实中生活的人来说,已经看腻而够烦的了。


つづく
[PR]
by koharu65 | 2011-01-04 08:58 | 中国ドラマ『蝸居』