過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

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恒例、家族旅行

 先日、アマガエルの話でちょっと触れましたが、7月16、17日、毎年恒例の夏の家族旅行に出かけてきました。
 行き先は八ヶ岳方面。名古屋の妹家族と合流するし、夏はなんといっても涼しいところがいいので、毎年たいてい山梨か長野と、決まった方面への旅行となります。
 まずは富士見高原百合の里へ。一昨年、同じ場所へ行っています。その時の写真がこちら

 一昨年は7月27日に訪れています。今年はちょっと早すぎて、百合も一部しか咲いていませんでした。あと一週間くらいすれば、敷地内全部の百合が咲きそろうとのこと。でも一番見ごたえがあり多くのカメラマンが訪れる白樺林の中の百合は咲いていましたし、咲き始めの百合がぽつぽつとある様子もそれはそれで趣があり悪くないです。

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 宿泊は山梨県北杜市にある“花ホテル”の露天風呂付きコテージです。

 森の中で空気が気持ちよく、街灯のない夜の闇が私は好きだし、隣の部屋を気にせず騒げるので、コテージってなかなかいいのですが、欠点もあります。レストランのある本館とだいぶん離れていて、本館の前の駐車場のスペースが限られているので、コテージと本館との行き来には送り迎えのマイクロバスを利用するのです。それがいささか面倒でした。夕飯後、一度コテージに戻ってしまったら、お風呂のためにまた本館に戻るのが面倒になってしまって、皆、コテージについている内風呂と露天風呂で済ませました。私自身は実をいうと温泉(大浴場)って苦手で、むしろコテージの一人で入る狭い露天風呂が心地よかったのですが、父や母は旅行と言えば大浴場の温泉がつきものと考えているようなので、ちょっと物足りない思いをしたようです。
 コテージは3棟借りました。それぞれ間取りが違っていて、2階建てになっているコテージよりも、1階だけの方が広々として過ごしやすいようです。
 夕食は本館のレストランで。最近多いバイキングではなく和食会席料理。工夫されたメニューと丁寧に作られた味に満足しました。惜しかったのは給仕の手際が悪かったこと。忙しい時期でアルバイトか何かで慣れない仕事だったのかもしれません。

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<3棟の異なる間取りのコテージ>


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<ベランダに設えられた露天風呂>


 翌日は、既に記事にしたように三分一湧水へ寄り、後はケーブルカーに乗ったりブルーベリー狩りをしたり、子どもたちはダムで水遊びをしたり。日射しが強く、高原にも関わらずあまり涼しさを感じない厳しい暑さの中での移動に頭がぼーっとなりました。女性陣は皆、片時も日傘を手放さなかったのに、私だけそういうのが面倒なので炎天下のブルーベリー狩りでもずっと太陽に晒されるままにしていたので、帰ってから腕がひりひりと痛みました。しかし、初めてのブルーベリー狩りは思ったよりずっと楽しく、ぼーっとしながらも、より大きくより甘そうな粒を選び取るのに夢中になってしまいました。“狩り”というのは、人の本能を刺激するものがあるのですね。

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 水遊びのできるダムに着くと、子どもたちは着替えるのももどかしいといった感じで大急ぎでぱっぱと水着になって、川へと入って行きました。こういうときって、ほんと、子どもに戻れたらなぁと思います。私も水にばしゃんと飛び込みたい。

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<尾白川下流ダム>


 写真は帰り際に撮ったので、人も少なくなっていますが、ここは夏、すごい人気があってたくさんの子どもたちが押し寄せて遊ぶ場所です。「べるが・尾白の森名水公園」というところから入るのですが、夏休み期間中は駐車場に入るのにすごい行列で早い時間に行かないととても入ることができません。


 とにかく暑くて、高原なのにちっとも涼しくないと思っていたら、帰ってきたらもっとむっとした暑さだったので、やっぱり高原は日射しは厳しくても爽やかな暑さだったのだと見直しました。道の両脇に通り過ぎるたくさんの別荘を見ながら、毎年ひと夏をこういうところで過ごせたらどんなにかよかろうと思ったのでした。ああ、でも私は自炊が苦手だ。近くにコンビニもスーパーもなさそうだ。だから別荘はあきらめよう。^^;


<訂正>
 間違いました。借りたコテージは4棟でした。子ども5人、大人9人の総勢14人、車3台での旅行でした。
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by koharu65 | 2011-07-31 15:27 | 国内旅行

七月飛雪(2)

 中国の高速鉄道事故に関して、日本の一部マスコミは、やっぱり、それみたことかという調子で書きたて、ネットなどでは、ざまあみろという極端な意見も見られる。
 高速鉄道の敷設計画や運行システムの選択、国家のメンツや利権などに何の関わりもない無辜の市民がどうしてざまをみなければならないのか。政府の失策のツケを、なぜ民衆の命によって支払わなければならないのか。そこに思い至るならば、日本のマスコミもそう軽々しい口を利けないはずだろうに。

 広島、長崎の原爆で10万人以上の死者が出たときも、ざまあみろと思ったよその国の人達がたくさんいたのだろうか。 


 
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by koharu65 | 2011-07-28 11:34 | 雑感

七月飛雪

 中国の高速鉄道事故で、事故後すぐに先頭車両が穴に埋められたことに対し、日本の報道は証拠隠滅だと騒ぎたてている。夫に話を聞くと、証拠隠滅なんてどうでもいい、それは二の次だ、問題は埋められた車両の中にまだ生きている人がいたんじゃないかってことだよ、それで皆、激しく怒ってる、のだそうだ。
 私は、えー、そんなことってあり得る?少なくともそのくらいは確かめているでしょう?と思ったのだが、実際、もう人はいないと確認され埋める指示が出された後、現場の一警察官が制止を振り切って更に探すと、取り残されていた少女を発見したのだという。
 それを伝えたCCTVのアナウンサーは涙ぐんでいたそうだ。

 「皆、事故後の政府の対応の仕方に怒っているの?それとも事故そのものに対して?」
 「事故そのものだね。」

 今日、上海に雪が降ったそうだ。中国に“六月飛雪”という言葉がある。六月の雪は、不当な扱いを受けた者の恨みが降らせるのだという。

 
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by koharu65 | 2011-07-27 00:18 | 中国・中国語
 10日程前、図書館で貸し出しの受付に並ぼうとしたところ、返却本の棚の中に『東電OL殺人事件』というタイトルが目に入った。一時、世間を大きく騒がせた事件として記憶に残っている。なんの気なしに借りてみた。
 1997年、もう今から14年も前の事件だ。
 東京電力東京本社に勤務する当時39歳の女性が、渋谷区丸山町にあるアパートの1階空き室で何者かに殺害された。遺体は殺害されてから11日後に発見された。この事件が大きな話題となったのは、殺された女性が大企業に勤めるキャリアウーマンにもかかわらず、夜な夜な売春婦として街頭に立って客を引いていたという事実が明るみになったからだ。
 この本を書いたノンフィクション作家の佐野真一氏は、そこまで堕ちていった彼女の内面の闇を突き止めたいという思いで取材を進める。その過程で彼女の家庭環境や父親との関係、職場での立場など、わかったことはいろいろあるのだが、結局それらはすべて外面的な事象、彼女の外郭ににすぎないという気がする。生きている人間の心の内でさえ簡単にうかがい知ることできないのだから、ましてや死んでしまった彼女の心の奥底を探ることなど始めから不可能な試みだったに違いない。
 ただ、最後の方で、彼女の大学の同級生のこんな言葉が紹介されていたのが印象に残った。 
「事件を知ったときにはとても信じられませんでした。私なりにいろいろ理由を考えてみましたが、いまだによくわかりません。彼女はすごく潔癖症だったので、精神のバランスを欠いてしまったのではないかというのが、私なりの結論でした。
 でも、女性ならば誰でも、自分をどこまでもおとしめてみたい、という衝動をもっているんじゃないかとも思うんです」
 佐野氏はこの言葉にたじろぐ。この言葉を発したのは、商社マンの夫と幼い子どもとともに、優雅でリッチな生活を営む幸福そうな主婦だったからだ。しかし、私は同じ女性として、この彼女の言葉にうなづいた。理屈ではなく、体でわかるような気がした。


 数日前、有罪となった被告人の再審請求により新たな鑑定結果が出たというニュースが流れ、直前にこの事件に関する本を読み終えたという偶然に驚いた。
 筆者は被害者の女性を足跡をたどると同時に、当時容疑者として逮捕されたネパール人のこともそれ以上の分量を割いて追っていた。筆者は始めから被疑者が無実であることを感じていたようだった。その視点に沿ってこの本を読むと、警察は先入観に囚われた見込み捜査を行い、客観的事実を積み重ねていくなら容疑者は無実であることが明白であるかのように思われた。
 ところが新たな鑑定結果によって再び注目を集めたこの事件の経緯を目や耳にした妹がこういうことを言う。
「このネパール人って、もともと被害者の客だったんでしょう?
 (遺体が発見された部屋の)隣のアパートに住んでたんだって?一部屋に何人も。」
 妹のその口調には、疑ってしかるべし、という警察の見解と一致しているかのようなニュアンスが感じられた。私は佐野氏の取材の経緯を読んで、確実に違うじゃないか、警察ってひどい、犯人に仕立て上げている、と憤っていたので、妹のこの見方には驚かされ、いったいどちらの見方が正しいのかわからなくなってしまった。
 
 奇しくもこの7月、2008年にアメリカで当時2歳の娘を殺害したとされた母親に無罪評決が下された。世間ではほとんど有罪だと思われていた事件だが、充分な証拠がなかったらしい。

 もし、東電OL殺害事件が陪審員制度によって裁かれていたら、どういう結果になっただろうと、ふと思った。



 *こちらもぜひ参考に:
北京老学生さんのブログ
『佐野眞一著【東電OL殺人事件】警察の見込み捜査と作者の癖のある描写が印象に残る 前編』
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by koharu65 | 2011-07-24 21:33 | 本・小説・映画

三分一湧水

 今年は庭にトノサマガエルが現れない。やっぱり池に網をしたのが悪いのだろうか。一応、隅の方にカエルが通れるくらいの穴が開いてはいるのだけれども。

 その代わりというわけではないけれど、先週旅行に行った時、大量のアマガエルに出会った。

 八ヶ岳の山麓、山梨県北杜市に日本名水百選のひとつである「三分一湧水」という湧き水がある。

 水争いが激しい頃、農業用水を3つの村に均等に分配させるため、湧出口の水枡に三角石を築き、三方向に流水を分岐させたという伝説があるそうだ。一日に約8500トンもの豊かな湧出量を保つ。(http://www.alps-hs.co.jp/sanbuichi/info.htmlより)

 水が湧き出ている場所というだけで、子どもには何のおもしろみもないだろうけれど、大人たちは少しでも涼しげなところがいいし他へ行く道すがらでもあったので、朝ホテルを出た後に寄ってみた。ただちょっと寄るだけのつもりだったのである。
 午前中の早い時間だったので、駐車場もすいていたし、人も多くない。ちょっとした林の中に小さな泉があって、こんこんと水が湧き出ている。水から立ち上る空気が涼しい。足をつけてみると、この夏の暑さなのに、とても長くつけてられないほどの身を切るような冷たさ。気持ちがいい。マイナスイオンが溢れているような気がする。夏はやっぱりこういう場所に来るのが一番だ、などと思っていたら、突然母の皆を呼ぶ声。
「ほら、見て見て。カエル、カエル。」
 駆け寄って母の立つ場所に足を踏み入れると、小指の先ほどの小さなアマガエルの子がたくさん、くもの子を散らすように四方八方に、跳びはねた。
 5人の子どもたちは目を輝かせて、カエルを追い始めた。
 それからしばらくは、カエルを捕まえては両手の中に大事に持って歩いたり、少し頭を出させて眺めたり、冷たい水につけたり、逃げられてはまた捕まえたり、その間大人たちはベンチでおしゃべり、思いのほか楽しい場所となった。
 そばで5歳くらいのよその男の子がじっと見ていたので、ほら、そこにいるよ、と教えてあげたけれど、こわごわと手を差し出して後ろから追いかけるので、ちっとも捕まえられない。あきらめて向こうへ行ってしまったので、私が捕まえて持っていってあげた。
 「いる?」
と聞くが、首を振って後ずさりする。そばにいた同じ年くらいの女の子にも差し出して、
 「さわってみる?」
と聞いてみた。この子も黙って、しかしきっぱりと首を振った。ところが、妹だろうか、隣にくっついていた小さな女の子が、何も言わずに自分の人差し指を、私の手の中にあるカエルに向かって差し出してきた。好奇心に溢れた目だ。全然怖がっていない。お姉ちゃんは妹を止めようとする仕草を見せる。お、ちっちゃい子の方が勇気あるな、と思いながら、手を大きく開けた途端、カエルはぴょんと跳んで逃げてしまった。

 カエルにとっては、子どもたちにいじられ倒され、果ては急流に流されるのもいるはで、大災難だったろう。
 
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段差の小さな滝の手前にあるのが三角石。

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by koharu65 | 2011-07-21 22:00 | 国内旅行

姫よ、姫~ナタリー姫

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 お姫様を作ってみました。
 頭と体の原型は米山京子さんの本を参考にし、髪型や服など外観はオリジナルです。
 義妹に、「この髪型って、セーラームーン?」と、一発で見破られてしまいました。始めはスターウォーズのレイア姫をイメージしていたのですが、もうちょっと華やかさが欲しいなぁと考えていたところ、セーラームーンの髪型が思い浮かびました。(そういう意味では、オリジナルではないのかな。)



 *追記:ある方から、「ナタリー姫」という名前をいただきました。(2012,May,22)
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by koharu65 | 2011-07-15 21:36 | 人形作り

自粛とはなんぞや?

 『クリミナル・マインド FBI行動分析課』というアメリカのドラマが大好きで、毎週欠かさず見ている。先週、番組の最後に、“次回、第23話は真夏の輪番停電を利用した連続殺人事件が描かれているため放送を自粛します”というようなお知らせが出て、びっくり仰天。
 いったい誰が気にするというのだろう?誰が、アメリカのドラマの中の停電絡みの殺人事件と、今の日本の電力状況を重ね合わせるというのだろう?理解できない。自粛って何?さわらぬ神に祟りなし?転ばぬ先の杖?羹に懲りて膾を吹く?急がばまわれ?…あ、これはちと違う。
 
 パチンコのテレビCMがなくなった。震災後自粛されていたCMのほとんどが元に戻ったというのに、以前は毎日昼と夕方の時間帯に流れていた地元のパチンコ店のCMがいつの間にか消えていたことに気づく。
 節電が叫ばれてどこか(?)の都知事がパチンコ店を槍玉にあげたせいだろうか。それにしても自粛していることすら気づかせないという見事な身の潜め方。
 ふと、かつてのトルコ風呂の名称変更のすばやさを思い出した。トルコ風呂という風俗店の呼び名がトルコからのクレームによって問題になったと思ったら、時を置かず直ちに前よりずっとステキなソープランドという名前になって、それがまたたちまち全国いっせいにばたばたと変更されていった統率力の見事さ。当時、非常に感服したことを覚えている。
 パチンコ店のCMの自粛といい、トルコ風呂の名称変更といい、風俗営業のお上に対する表向きの服従ぶりは、生存本能のなせる業なのだろうか。

 (ということを書いて、いったんワードにしまっておいたら、今日、パチンコ店のCMをテレビで見た。どうやらほとぼりが冷めたみたいだ。)
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by koharu65 | 2011-07-12 21:56 | 雑感

混迷の中で

 最近の政治の混迷ぶりを見聞きしていると、どう判断してよいやらよくわからない。
 特に菅首相を支持すべきかという点について、感覚的にはどうも菅さんの考えは、原子力推進にストップをかけ新しいエネルギーを開発していこうという方向にあるように見えるので、方向性としては正しそうに思える。しかし、かといって、組織の長として人を動かすことができず孤立化していく様子を見ていると、日本の政治全体がどんどんあらぬ方向へと向かっていっているようで、不安になる。

 などと、考えていたら、昨日7月9日の朝日新聞で、この状況を上手く説明しているインタビュー記事を読んだので、引用しておこう。

 インタビューされているのは、古賀茂明さんという方で、経済産業省大臣官房付という肩書きがついている。つまり官僚だ。
 …
 菅首相は気分としては、脱原発、自然エネルギー派なんですよ。でも、気分を実現する能力もスタッフもない。だから、官僚に頼る。頭、つまり首相は脱原発で、体の経産省が原発推進ですから、バラバラで支離滅裂に見えるはずです。
 経産省が原発に必死なのは、それで官僚互助会システムを維持しているからです。巨額の予算を使い、電力会社と関連会社、公益法人に多数の天下りを送り込んでいる。原発をやめるダメージは、計り知れません。
 一方で原子力から自然エネルーへの移行プログラムも練って、どっちにも動ける態勢をつくっています。原発維持にこだわって自然エネルギーの関連予算や団体を環境省に奪われたら大変だからです。菅首相童謡、経産省も支離滅裂に見える。
 電力会社も同じです。東京電力は、原発対応で混乱の極み。…
 …(略)…
 首相も経産省も電力会社も機能不全。まさに日本中枢の崩壊です。国民は誰も信じられない。国民も気分は、脱原発に傾いてはいる。でも経産省や電力会社の脅しも効いて、原発なしで夏の電力は足りるのか、電気料金が上がるのではないか、経済や雇用に悪影響が出るのではないかと不安でいっぱいです。
 なるほど。誰も彼もが混乱しているのだ。日本全体が混迷の中にある。その混迷から私たちはどうすれば抜け出すことができるのだろうか。


 古賀氏は、「求められているのは組織力」だと言うけれど、今、組織の機能がいろんな場面で上手く働かなくなっているのは、日本が根本のところで大きな変革を迫られている現われであって、組織を立て直すには、求心力となる理念や強いメッセージが必要なんじゃないかと思う。そして新しい理念は国民の多くに受け入れられなくてはいけない。

 古賀氏のいうように、今は頭と体がバラバラなのだ。原発事故の甚大な被害には、誰だって恐れおののいている。このままじゃ安心は得られない、何とかしなければいけないと強く思う。頭ではそう思う。しかし一方で、体はいままでの習慣を失うことを恐れている。安定的な電力に頼る経済の発展や生活の便利さを失うことに対してどうしても大きな抵抗を感じざるを得ない。
 バラバラな頭と体を統一する場と時間をつくるべきだと思う。こころゆくまで議論を重ねて、私たちは何を選択するのかという意志の確認、国民的合意を形成するべきだ。組織力はその上で、初めて発揮されるものだと思う。

 こう考えてみると、やはり菅さんのやり方はどうもまずいように思えてくる。例え首相の考え方が正しいとしても、様々な議論を通して国民全体のコンセンサスを作り上げていく、その過程が大事だと思うのだけれども。
 人はある道が正しいと思っても、それが困難な道ならば選ぶのを躊躇するものだ。躊躇しているとき無理やり選ばされ心理的抵抗が残ったままになると、歩む力も鈍りがちになる。自らそれを選び取ったという自負があって始めて、人は、困難な道を勇気を持って歩む力を持つことができるのではないだろうか。

 震災以来、首相から国民へ向けられた強いメッセージや新しい理念の提案というのを、私はまだ聞いたことがない。

 でも、菅さんよりマシな人もいそうにないし。困ったもんだ。
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by koharu65 | 2011-07-11 22:27 | 雑感

唐の寺院(夢の話)

 中国にいる夢を見た。
 唐の町並みを人力車で通りぬけ、寺院にたどり着いた。
 岩肌をくりぬいてつくられた礼拝所は、冷たく暗く、様々な小鳥の群れが飛び交っていた。

 写真を撮ろうとデジカメの画面を覗き込むが、真っ暗で何も見えない。
 ところが撮った写真を見ると、色とりどりの小鳥たちがちゃんと映っていた。

 目を覚ますと、窓の外で、向かいの家の軒下に巣をつくったツバメたちが、ピーチクパーチク、チョチョチョチョと、かまびすしく鳴いていた。
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by koharu65 | 2011-07-09 15:55 | 夢の話

氷のごとき妄心

 今年の1月からずっと気に病んでいることがあって、過ぎ去ったことはもう取り戻せないのだから忘れよう、前を向いて歩こう、と思っても、ちょっとした心の隙に折に触れて思い出され、どうしても振り切ることができない。
 そのつもりもなかった言葉がただ相手に誤解されたというならば、そこに何か行き違いがあったのだと考えるだけでよい。しかし、問題は、私が発した言葉の裏に、自分では意識していなかったよこしまな気持ちが込められていて、本当のところは誤解ではなく、相手が受け取ったそのままに自分が無意識のメッセージを送っていたのだ、と解釈する余地があるということだ。もし、自分が発した無意識の心を、思いもかけないところでいきなり目の前に突きつけられ、知らされ、あわてふためき、身の置き所を失っているというのがこの1月以来の動揺の真相ならば、自分という人間の生来のいやらしさや情けなさから、どう逃れたらいいのだろう。これは一生ついてまわるものなのか。

 そこで、沢庵和尚の言葉を念仏のように唱える。

 「本心は水の如く、妄心は氷の如し」

 思いつめて一箇所に凝り固まることは、氷のごとき妄心に捕らわれることである。心が固まってひとつところに留まれば、固まった氷が自由に使えないのと同じように、手も足も自由に洗うことができない。
 氷を解かして水に変え、どこへでも流れるようにして、手足も何もかもを洗えるようにしよう。水が自然に流れるように、体の隅々まで心を趣くままに自然に行き渡らせよう。

 どうせ一生ついてまわる“おのれの心”ならば、そこから逃れようとせずに、器によって形を自在に変える水の如く、のびやかに、自然に、流れるままに任せるのがいい、と理屈を自分に言い聞かせる。
 おのれの心から逃れようとせずに、おのれの心に執着しようとする“我執”を解かすのだ。

 言うは易し、行うは難し。
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by koharu65 | 2011-07-09 15:52 | 雑感