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過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

からっぽの野原

 いつも歩く河川敷の散歩コースに、一面の野原がある。何もないただの野原。何もない?何もなくはない。人の腰ほどの高さに一面雑草がはびこっている。ところどころに潅木の塊と、さえぎるもののない四方にのびのびと枝を伸ばした大きな木が数本。一昨年、趣味で押し花をやっている母が、野原の真ん中にカワラハハコグサがあるとどこからか聞きつけてきて、ふたりで取りに行った。道から離れた原っぱの真ん中に、背の高い植物に取り囲まれて、ぽっかりと空間が開けている。そこに白いカワラハハコグサが群生していた。花の盛りには少し遅く、多くは咲ききってしまって、私と母は開いたばかりの真っ白な花を無心に探した。
 そして、野原の端には一軒の小屋。ホームレスが住んでいる。立派な住居があるのだから、正式にはホームレスとは言わないのかもしれない。小屋は、廃材やトタン板を使って作られているが、高さも広さも充分で造りもしっかりしている。台風にもびくともしない。長屋のように真ん中が壁で仕切られていて、玄関は二つある。小屋の前には、犬が二匹、紐で繋がれている。小屋に近づくと犬たちが狂ったように吠えるので、私の連れた犬はそれに怯えて小屋へは近寄ろうとしない。近くを通ろうとするだけで、足を踏ん張って尻込みする。
 小屋はいつ頃からあっただろう。3、4年ほど前、妹が犬を連れて土手を散歩しているとき、空き缶を山ほど積んだ自転車の老人に犬のことで話しかけられ、しばらく立ち話をした。その老人が小屋の主であった。市内に息子がいるが、一人で暮らしたくて建てたのだという。昔、北海道の開拓民をしていたので、自分で家を建てることなど造作もないことだ、と自慢げに言った。電気もある。テレビも見れる。(発電機を使っているのだろう。)俺は一人暮らしで、隣は二人で住んでる。隣は新聞も取ってる。(取るほうも取るほうだが、届ける新聞屋がすごいと、私は思った。)
 最後に老人は、まあ、今度一度遊びに来いや、ちゃあ(茶)くらいは出すで、と言ったそうだ。妹は、ホームレスの人にお茶に招待されちゃったよ、と笑いながら報告した。
 さて、数日前、いつものように散歩に出かけると、例の野原がまるまる、きれいさっぱりと刈り取られていた。すっきりして見通しがよくなった。大きな木と、いくつかの小さな木を残して、広々としたまっ平らの土地。からっぽの土地。こぎれいで気持ちがいいと思うべきなのだろう。
 けれど、その光景は、まるで見慣れた無精ひげの男が突然ひげを剃って目の前に現れたようで、いつもと違う顔にどう対応したらいいのか戸惑う。のっぺりとむき出しになったその顔からは、ひげとともに男の豊かな表情までが奪い去られてしまった。
 小屋はどうなっただろう。野原の向こうを見やると、木の下にまだしっかりと立っている。少し手前で草刈機が刈り残した草を探している。小屋の入り口で作業服を着た男が二人、何事か相談している様子だ。傍らに停めてあるワゴン車といい、市か県の職員じゃないかと思った。いずれ小屋も取り壊されるのだろう。住人はまだいるのだろうか。
 次の日、少し遅い時間に、尻込みする犬をむりやり引っ張りながら小屋のそばを通ってみた。もうあたりは薄暗い。犬の声もしないし人気も感じられないので、思い切って小屋の前まで進んでみた。小屋と小屋が背にしている大きな木だけがまるく取り残されている。誰もいない。半開きになったトタンの戸がゆらゆらと風に揺れている。老人は息子のところへ行っただろうか。戸の奥は真っ暗で何も見えなかった。
by koharu65 | 2009-11-17 22:18 | 雑感