風鈴と蝉の声
2010年 08月 03日
松尾芭蕉に、
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
という句がある。
先日、風鈴の話を思い出したら、連想ゲームのようにこの句が頭に浮かんだ。風鈴や蝉の声にうるささや風流を感じるのも、私にとってそれがどういう影響をもたらすのか、どんな意味をもたらすのか、私と対象物との関係性に囚われる人の性なのかと。
蝉はただ自然の命ずるままに鳴くだけである。そして岩はただそこに存在するだけである。蝉の声も岩も、発するものも受け止めるものも、意味も無意味も、堺のないまま、すべてがいっしょくたになってひとつの宇宙に溶け込んでいく。蝉の声が岩にしみ入り溶け合って、“閑さ”=“無”というひとつの宇宙を作り出していく。
芭蕉の句は、世界に意味を求めようとする“おのれ”を限りなく無にする装置、わずらわしい“私”の存在を消し去る装置なのかもしれないと思った。