鹿鳴館の舞踏会で17歳の少女明子は、フランス人の海軍将校とダンスを踊る。ダンスの後、二人の目の前で冬の花火が上がる。
……
其処には丁度赤と青の花火が、蜘蛛手に闇を弾きながら、まさに消えようとするところであった。明子には何故かその花火が、ほとんど悲しい気を起こさせる程それ程美しく思われた。
「私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火のことを」
しばらくしてフランスの海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教えるような調子でこう言った。
……
芥川龍之介『舞踏会』
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男たちはお金を出して、彼女たちのみずみずしさを買う。まるで砂漠に迷った人間が水を求めるように。資本主義の世の習いどおりに、いくばくかのお金で彼女たちから水を買う。それで一時、喉を潤すのだ。
彼らは自分の井戸を持たない。少女たちが天性に与えられている彼女たち自身の持ち物である井戸から汲み上げられた水をお金で買う。男たちは何と気の毒なことだろう。そして少女たちは何て優しいことだろう。彼女たちは気付かない。そこに自然にある水を少し分け与えて、そしてその代わりに少々の代価を得るからと言って何の損があるのだろうと思っている。そうして井戸の水は少しずつ清浄さを失い、いつか自分の飲み水を得るのさえ困難になる日が訪れる。
男女の友人二人とともに広い工場の一角にいる。ロケットのような形をした、二人乗りのボートほどの大きさの金属の物体が、半分砂に埋まってる。その物体を覗き込むようにしながら、私たち三人は作業服を着た年配の男と密談している。私たちはやっかいな廃油の処分をその男に頼んだのだ。男はその処分方法を私たちに説明している。金属の物体にはガラスの窓がついていて、その窓から中の機械が見える。機械の間を新しい油が通り、メーターがゆっくりと回っている。男は、そこを通る新しい油に廃油を少しずつ混ぜればよいと言う。工場に内緒であることは暗黙の了解であった。
話が成立し帰ろうとすると、外は砂嵐が吹き荒んでいた。正面の壁の汚れた窓ガラスを通して、断続的に砂がひどい勢いで宙を横切っているのが見える。壁の左下の隅に開けられた人ひとりが屈んでやっと通れるほどの四角い小さな穴が私たちの出口である。その穴からも時折横殴りに砂が吹き込んでくる。私たちは砂嵐の合間を縫って外に出ようと考えているが、嵐はいっこうに収まりそうにない。
2.窮屈な食卓
私は男女の友人二人とレストランでテーブルに着いている。柱と壁に囲まれた席で、テーブルはまるで一人席のように狭い。その狭いテーブルの三方に座った私たち各々に同じ料理のセットが配られている。なにしろテーブルが狭いものだから、一人分の食器がおままごとのように小さい。ただその小さな食器に盛られたビーフシチューはとろけるようにおいしかった。
肩が触れ合うような近さにある隣の同じように小さなテーブルには、5,6歳の男の子とその母親が座っていた。私はその小さな男の子とお行儀か何かについて議論をする。
3.初出勤に遅れる
今日は初出勤の日だということを私はすっかり忘れていた。通達された出勤時間は11時だというのに母にそれを指摘されたときは10時を回っていた。同じ会社に出勤する同僚たちも私のいるその場所から出かけて行くのだが、彼らはとうに支度を済ませスーツをきちっと着込んでいる。出て行く彼らの一人に、会社までどのくらいの時間がかかるのか、と尋ねると、1時間弱だと言う。ああ、これは間に合いそうにない、と思いながらも私は急いで支度をした。ブラウスを着込んでから暑過ぎることに気付いて下着を一枚減らしたり、ふさわしいジャケットがないことにあわてたり、あせればあせるほど手間取るばかりであった。どうにか支度を終えて部屋を出、エレベーターに乗り込んだ。ところがエレベーターはちっとも動かない。私も含めて4,5人の乗客を乗せたエレベーターはドアが開いたまま止まってじっと動かない。
なんだかところどころ、聞いたことあるようなフレーズがあるけれど。
试做了演歌风味的歌词,是男女二重唱。
好像有些词在哪里听过的。
『桜の花道』
(男)お前はいつも俺の後ろ じっと黙ってついてくる
言葉にすれば面映ゆい それが夫婦の心意気
古い奴だと言われても それが二人の生きる道
夫唱婦随を絵に描いた
二人が歩く 桜の花道
(女)貴方はいつも後ろ姿 振り向きもせず早足で
私は時折休みながら タクシー拾って追いつくの
私は私の人生を それが私の生きる道
夫唱婦随の夢の中
知らんぷりして 前を行く
(男)家族のために働いた (女)言い訳よね
(男)いつもお前だけを思ってる (女)本当かしら?
(男)これから二人で手をつなぎ ともに歩むと誓うから
(女)今さらそんな気まずいわ どうかお願い振り向かないで
(男と女)例え違う夢見ても 桜の下を歩いていこう(歩きましょう)
俺は(貴方は)前を お前は(私は)後ろ
二人が歩く桜の花道
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【汉语译】
(男)你总在我的后面 一声不响地跟着我
用语言难以表达的事 夫妇间能心领神会
别人说我是落后 可这就是咱们两个人的人生
抱负着夫唱妇随的理想
两个人走在樱花盛开的路上
(女)我看的总是你的背影 你快步走着从来不回头看我
我有时会歇会儿 然后再打的追上去
我愿意按我合适的速度走路 这就是我的人生
你在夫唱妇随的梦中
佯装不知我的存在 走在前面
(男)像工蜂似勤劳都是为了这个家 (女)只是借口吧
(男)我想到的只有你 (女)是真的嘛?
(男)我发誓 以后咱们两个人手拉手一起走路
(女)事到如今我已习惯了 求你千万别回头看我
(男、女)有着各自梦想的两个人 走在樱花盛开的同一条路上
我(你)在前面 你(我)在后面
两个人在一起走樱花盛开的路上
「子育てに失敗したと思う。」
と言った。
妹はすぐに、
「で、私たちが失敗した結果ってわけ?ははは」
と軽く笑ってかわした。
私は黙って洗い物を続けながら、ちくりと胸が痛んだ。母は少し酔っていた。
次の日、やはり3人で居間でテレビを見ていた合間に、突然母が聞いた。
「生まれ変わったら、次はどんな職業に就きたい?どんなことをしたい?」
私が真っ先に、農業、と答え、妹は、考えあぐねていた。
母はキャリアウーマンになりたい、と言った。たくさんのことを一所懸命勉強して、バリバリ働く女性になりたい、と。英語ももっと勉強すべきだった、と。それを聞いた妹が、英語なんて勉強しても全然使わないじゃん、と言うと、母は
「だから、勉強して海外に行くような仕事とかに就くんじゃないの。」
と言った。
ここ数日、母の胸に去来しているものは何なのだろう。
私にとって母とともに歩んだ私の人生は充実したものとして存在してる。私はそれを肯定的に捉えている。そうした私の気持ちと、母の気持ちと、微妙にずれていることにふと気付き、少し恐ろしくなった。
以前、三つ子の魂が志向するものは大人になっても変わらないのだと書いた。大人になっても変わらないどころか、それは来世でも変わらないのではないだろうか。実際の生活の形がどうであれ、ある一つの魂の志向というのは特定の方向に向かっている。母のキャリアウーマンになりたいという来世への志向と、子供とじっくり向き合うというべきだったという後悔、この二つは私から見れば相容れないもののように思える。矛盾した感情を合わせ持つのが人間なのだと言ってしまえばそれまでなのだけれども、もし母が来世の人生を思うがままに選べるのだとしたら、子供とじっくり向き合うというスローライフを選択することはあり得ないのではないだろうか。
ああすればよかったとか、こうすればよかったとか、人はいろいろ後悔するものだけれども、結局人はその魂が志向するようにしか生きられないのだと思う。
どうしてそんな夢をみたのか、自分でよくわかるときもあるし、さっぱりとわからないときもある。でもあまり追究しないことにしている。夢分析というけれど、夢を分析してしまったら、その面白さが半減するような気がして、そんなもったいないことはできない。夢が伝えたいのは、言葉で表現しきれないある全体的な雰囲気やイメージ、感情の複雑な組み合わせであって、空を飛ぶ夢は何々を表す、歯が抜ける夢は何々…なんて単純に結び付けられるものではないように思う。
現実の世界ではない夢の中で感じるとてもリアルな感情を大切にしたい。
夕方、川に散歩に出かけた。雲はまだ厚く垂れ込め、大きな灰色の綿あめのように空一面に渦巻いている。遠くの雲の切れ間にほんのわずか青空が覗いてる。西の空の雲の切れ間からは薄日が射し、光の輪が雲の端を縁取っていた。
土手から川を眺めると、いつもの散歩コースの河原がすっかり濁流に埋まり、河原の手前の河川敷の広場は沼のようになっていた。にごった茶色の水が川幅いっぱいになって怒ったようにドウドウと流れている。数日前に、鮎釣りの釣り人がぽつりぽつりと川の中に立つのを眺めたり、きらきらと光る清流に沿って河原の石の上を歩いたり、浅瀬に取り残された小さな魚たちを覗き込んだりしていた川とはずいぶんと様子が違う。ミニチュアの揚子江のようだ、と思った。
土手の上ではこの間まで辺りに甘い香りを漂わせていたクチナシの白い花がほとんど落ちきって、気の早いトンボが数匹飛んでいた。