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過去を振り返れば羞恥心に苛まれ、未来を想像すれば不安に襲われる。ただ道を踏み外さないように、足元だけを見つめて一歩一歩進むのが精一杯。だからせめて足跡を残そう。


by koharu65

栗きんとんの夢

 栗きんとんを食べる夢を見た。
 招かれて友人の家を訪れた。夕飯前には辞去するつもりでいたのだが、これから野外で宴会だというので、私もご相伴に預かることにした。
友人の家族や親戚が20人以上、近所の長屋の前の広場に集まっている。広場の真ん中に、コンビニの商品棚の半分くらいの高さの棚が一列に7、8メートルほど並び、棚にはおつまみやスナック菓子が店のように陳列されている。集まった人々はその棚を囲むようにゴザを敷いて腰を下ろし、思い思いに棚から食べ物を取って飲み食いしている。私も目の前の棚に手を伸ばしてつまみを取り、ビールを飲みながら食べる。
 ところがそのうち、私は棚の向こう側にあるものが食べたくなる。例えば、向こうのほうの棚にあるカシュナッツが食べたくなるのだが、わざわざ立ち上がって取りに行くのも憚られ、食べながらも気がそぞろになる。本当に食べたいものは手の届かないところにあり、私は限られたものしか口にできない。
 ふと見ると、横に座っている友人の膝先にゴザの上に置かれた重箱があり、重箱には栗きんとんと、牛肉と野菜の筑前煮が入っている。お正月のようだと思いながら、私は栗きんとんに箸を伸ばす。着色していない大き目の栗と芋の餡が手作り風でおいしそうだ。次に筑前煮も食べようと思いつつ、栗きんとんをほおばる。
 
 食べたいものが食べられなくてもどかしい思いをすると同時に、それでもおいしい物もちゃんと食べられた夢。吉兆。
# by koharu65 | 2007-05-21 00:00 | 夢の話

莫名其妙的好感

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我对日本有莫名其妙的好感,而对中国有热烈的好感。
对美国有自由与打开的好感,
对欧洲有理性与平静的好感,
对俄国有古老与坚强的好感,
对非洲沙漠有浪漫的好感,
对南美密林有神秘的好感。

# by koharu65 | 2007-05-20 00:00 |

 15、6年前、北京の学生寮に住んでいた時のこと。ある夜、部屋の明かりを消してベッドに横たわると、部屋の隅に小さな白い光が見えた。電気をつけて近寄ってみると2cmほどの艶のない真っ黒な虫がいて、写真でよく見る頭の部分が赤い日本の源氏蛍と違って、なんだか醜い様子だけれど、きっと蛍の一種なのだろうと思った。こんな都会に、しかも、近くに水辺があるわけでもない寮の部屋の中にどうして蛍が紛れ込んだのろうと不思議に思ってなんだかどきどきした。明かりを消してベッドに戻りしばらく待つと、光はゆっくりと浮かび上がり、部屋の中を舞い始めた。
 その蛍は二日前に亡くなった子供なんじゃないだろうかと私は思った。この世を離れる前に名残を惜しんでいるのかもしれない。或いは小さな光は遠慮がちにその存在を私に伝えようとしているのかもしれない。ここにいますよ、とでも言いたげに、ふわふわと漂っている。
 私は小さな光を胸に抱きながら眠りについた。
 翌朝、蛍はもう姿を消していた。
# by koharu65 | 2007-05-19 00:00 | 雑感

排水が溢れ出す夢

 夢を見た。
 キッチンのシンクが二つ並んでいる。水道の蛇口も二つ。それぞれのシンクの前に、女性が一人ずつ立ってそれぞれ洗い物をしている。女性の一人は妹、一人は友人。シンクに置かれた金盥の中には食器が積まれている。彼女たちは水をジャージャー流しながら、食器を洗っていく。私はダイニングの椅子に座って彼女たちの後姿を眺めている。
 すると、突然シンクの下からじゃばじゃばと水が溢れ出す。シンクの下には扉がなく、洗い物をする女性たちの足の向こうにシンクの排水口から床まで縦に延びた排水管がむき出しになって見えている。その管の継ぎ目から洗剤を洗い流したあとの排水がどんどん流れ出てくる。私はあわてて「早く、水を止めて」と叫ぶ。友人はすぐに気づき蛇口の栓を閉めるが、妹はまだのんきに水を出しっぱなしにしているので、私は駆け寄り、飛び付くようにして蛇口を閉めた。
 さて、排水管を調べてみると、排水口から床までの管はつなぎ目のない一本のビニールパイプではなく上下のパーツに分かれていて、上の管と下の管の継ぎ目に巻かれていたビニールテープがはがれている。もともと上下の管は口径が合わず、きっちりと合わさらない管の間の隙間を埋めるように布切れが幾重にもぐるぐると巻きつけてあり、その上に更に修理用の黒いビニールテープが巻かれていた。そのビニールテープがはがれて、継ぎ目は十二単衣のように巻かれた布切れだけで繋がっている。
 私は継ぎ目の部分だけを取り出して(そんなことは実際にはできないのだが、なにしろ夢の中のことだから)、テーブルの上に乗せ、修理を始めた。ビニールテープを巻きなおせばいい。ところがテーブルの上がごちゃごちゃに散らかっていて、さっき一度手にしたはずのビニールテープがなかなか見つからない。継ぎ目を片手で持ってもう片方の手で拾い上げるのは、テープではなく布を巻いたものだったり、リボンのようにひらひらしたものだったり、テープでも細すぎて使い物にならなかったり、どれもこれも役に立たないものばかり。ついさっきそこに置いたはずの粘着力が強く幅もある修理用の黒いテープがちっとも見当たらない。目につくのは、ことごとく似て非なるもの。
# by koharu65 | 2007-05-18 00:00 | 夢の話

狂気と正常と

 17歳の少年が母親を殺害し、その首を抱えて警察に出頭した。
 それを「異常だ」と一言で片付けてしまうこともできるけど、家庭の事情や彼自身の経歴や心の内を知るよしもないけれど、それでも想像してしまう。彼が一線を踏み越えて狂気の世界に踏み込んでしまうまでの道のりを。
 以前小学6年生の少女が同級生を刺殺した事件で彼女がネットに書いていた日記や、酒鬼薔薇聖斗事件で少年が書いた文章を読むと、彼らが狂気と正常の狭間で揺れ動き、自身の狂気への傾倒に恐れおののいてる姿が見えてくる。なんとか正常な世界に留まりたいと願いつつ狂気に引きずり込まれていく自分を、彼らは感じていたんじゃないだろうか。
 狂気と正常の境目は一本の線に過ぎない。そこを越えるか越えないか。たった一歩、踏み出すだけで、もう日常は消えてしまう。
 その線からずっと離れて一生近寄ることなく日常の世界の側に安泰する多くの人々がいる。しかし、その線ぎりぎりのところで、危うい日常生活をどうにか送ってる人達もいる。線のずっとこちらにいる者にとっては、数歩右に行こうが左に揺れ動こうが、それは同じ風景の世界だが、線ぎりぎりの場所に立っている彼らのたった一歩隣には狂気と混沌の世界が口を開けて待っている。彼らにとっては毎日の一歩一歩が、線のこちら側に踏みとどまるための危うい綱渡りであるのかもしれない。
 彼らが線を踏み越えてしまうその前に、手を取ってこちら側に引き寄せてあげることのできる誰かがそばにいたらよかったのにと思う。
# by koharu65 | 2007-05-17 00:00 | 雑感